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服薬情報等提供料3の新設に至るまでの話

4年前にひとりで入退院時の連携を始めてから、社内に浸透させ、そして算定要件として新設(僕の手柄ではないですが)されるまでのストーリーと、新しいことにチャレンジし、そして拡げる時のポイントについて書きます。

2018.6 課題の発見、入院時サマリーの送付を開始


薬剤師として3年目になり、医師への提案も通るようになってきたので、「やれてるわ〜服薬後のフォローできるわ〜」と勘違いしちゃってた頃です。

そんな折に転機となる出来事が起こりました。

それは、処方意図不明のまま継続していたH2ブロッカーによるせん妄により、認知症と診断された結果、施設に入居することになった患者さんとの出会いでした。

H2ブロッカーによるせん妄の症例は経験があったので、かなり慎重にフォローしながら、中止したところ、息子さんの顔も分からなかった方が僕の名前と顔も覚えられるし、ご自身の病気に対する認識も復活したのです。
これはかなりショックな出来事でした。

原因は、患者さんのライフステージが代わる度に医療の担当者が代わり、その際に情報がバトンされていないことだと考えました。
自分が診られる範囲(お家にいる時)だけフォローしていても、本質的に患者さんや地域医療の抱える課題は解決できないのです。

そこで、まずは自分がひとつ目のバトンを渡せる薬剤師になろう!と入院時の情報提供を始めました。

VISIONを高らかに宣言


看護師や医師には率直に「現状がムカつくのでサマリーを送ることで解決したい!」と伝えました。かなり熱っぽく語ってた記憶ですが、皆さん「頑張って!」と応援してくださいました。
宣言することで自分の行動を定める、という効能もあるのですが、患者さんが入院したという情報を看護師さんからタイムリーにいただくためにも”何のために情報が必要なのか”を伝えておいた方が良いと考え宣言しました。

数多の失敗


とにかく失敗の連続でした。
今振り返ると自分のやり方の甘さで、いろんな方々にご迷惑をかけたなと思います。

この頃は入院時サマリーなんて言葉は世の中に無かったので、送付時の電話口でお叱りを受けることが多々ありました。
「また薬局ですか。お金ついたんですか?」「よくわからないので送って来ないでください」あたりは、もはやあるあるです。
割と手厳しかったのは、受付から薬剤部に繋いでいただくまでエリーゼのためにを15分くらい聴いた後で、お名前も教えてもらえないまま「で、何したらええの?」と半笑いで遇らわれたケースです。
ここでは書けないようなハードシングス(お聞きになりたい方は講演呼んでください笑)もありましたが、全て僕の説明不足と態度が悪かったのが原因でした。

仮説検証の繰り返し


とにかく一例一例、なぜ失敗したのかを自分なりに検証をして、次のアクションを改善しました。
電話口での言い回しや、アプローチするポスト送り方や渡し方など。
各病院(薬剤部)さんの事情を汲み取りながら、失敗と改善を繰り返していきました。
そうすることで、”電話口でお叱りを受ける””受け取ってもらえない”ことは無くなりました。

2018.9 初の返書(退院時サマリー)を受取


初めて退院時にお返事をいただくことができました。
初めは「もう送らないでください」とお断りされていた病院さんでしたが、地域の勉強会などに参加し、対話を繰り返しているうちにご理解いただき、「じゃあお試しで1例書いてみますね」と仰っていただけたのです。

この時の気づきは、”そもそも会ったこともない相手に、よく分からない手紙を送って返事を要求するのって非常識だったんだな”ということです。
人として至極当たり前の事なのですが、処方箋を介して疑義紹介などのコミュニケーションが当たり前になっている薬剤師には抜け落ちている価値観なのかもしれません。

2019.2 医療機関への訪問を開始


この気づきをもとに、医療機関(薬剤部、地域連携室)への訪問を始めました。
とはいえ、すべての医療機関に訪問するわけにはいかないので、退院時にお返事をいただけた医療機関を対象にしました。
これは何も時間的な理由だけではなく、”サマリーをやりとりした”という前提がないと今後の連携関係を大きく進めるような対話は成立しないと考えたからです。

初めての薬剤部訪問はとても緊張しましたし、怖かったです。
いくつかの病院薬剤部に訪問させていただきましたが、いずれもとても温かく迎えていただきました。

ただ、その中で感じた違和感もありました。
訪問時は、先方はいずれも部長クラスの先生が出て来られるのですが、こちらは何のネームバリューもないペーペーです。そうなると、なかなか深い連携の話になりにくいんですよね。
「若いのに、上の人から、お前いってこいっ!って言われたのね〜」みたいに、応援はしていただけるけれど、その先の話になりにくいのです。(僕の営業力不足もあったのだと思います。)

2020.4 地域連携推進室を設立


ある程度ノウハウが確立し、8病院と連携関係を結ぶことができました。
全社的な取り組みにしたいと考え、地域連携推進室の設立案を役員にプレゼンし、GOサインが出ました。全くお金にならないことに、投資してくださった会社には感謝しています。

設立したもうひとつの理由は、病院との対話をスムーズに進める肩書きが欲しかったからです。
上述の訪問時に感じた違和感を取り払うために、それっぽい肩書きと会社からのお墨付きを手に入れる必要があったのです。

その他の詳しい活動内容は後半に記載しています。

社内の協力もあり、今や1年目の薬剤師も実践しており、また、退院時の情報提供がいただける医療機関が23施設にまで増加しました。

2022.4 服薬情報等提供料3の新設


ありがたいことに色んな講演に呼んでいただくようになりました。
講演では、成功例と失敗例を通して、何のためにやるのか、そしてどうすれば伝わるのかをお話ししています。講演にご参加いただいた先生方から、「一例目チャレンジしてみました!」とご連絡いただけることが何よりのやりがいとなっています。ありがとうございます。

ただやはり、広く取り組むのにはまだまだハードルが高く、ボトルネックのひとつは算定がついていないことでした。
そんな中、ななな何と算定が新設されるというニュースがっ!
その名も”服薬情報等提供料3”。

この算定新設を追い風に、日本中に広めていけたらなと思っています。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。

今回のエピソードを振り返って、新しいことにチャレンジする上で大事だなと思うポイントと、組織内で拡げていく際のヒントについて、地域連携推進室での活動をもとにご紹介します。

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