自分の考えを持つということ
私は基本的に自分の意見や考えというものがない。
いつも周りの人の意見に合わせるような人間だ。
別にそれで辛い思いをしたことはなかった。運命に身を任せるような生き方をしてきた。
人見知りで引っ込み思案という性格もあり、なおさら自分の意見など言うような人間じゃなかった。
上司や先輩、友達が言った意見に対して「あ~なるほど」とすぐに思ってしまう。その後別の人が逆の意見を言ったとしても、「それもわかるな~」と、またすぐに思ってしまう。
自分の中で答えが出ない。いや、出そうとしていなかったのだろう。
この人生でそのような場面が何度もあった。
今思い返すと自分は何も考えていないんだなと恥ずかしくなってくる。
なぜこんな私なんだろうか。育った環境?学校教育のせい?生まれ持った性格のせい?
しっかり自分の意見を言える人がいたり、私みたいな人もいる。いろんな人がいるから世の中がうまく回っているという考えもあるかもしれないが、なぜ同じ人間なのにこうも違うのだろうかとずっと不思議に思っている。
私は自分の意見や考えを持つことも苦手だが、自分で考えて自分の好きなようになにかを生み出すようなことも苦手だった。
小学校や中学校で美術や工作の授業があったが、なにを作るか自分で考えなければならない。
そこに正解はないのに、自分はどうしたらいいかわからなくなる。
そんなときよく友達に「なに作るの?」と聞くことがあった。
すると友達は「俺は○○を作ってこうしようと思ってる」と答えてくれるのだが、いつも最後に一言
「俺はな」
と言ってくる。私はその最後の一言でいつも突き放された気持ちになった。
「俺はな」を強調するということは、真似をするなよって言いたいのだろう。
今思い返しても悔しいし情けなく思う。
もっと自分で考えられるような教育を受けたかった。
先日オンライン勉強会で「自由進度学習」に取り組んでいる小学校教諭の方のお話を聞いた。
自由進度学習というのは、先生が黒板の前でずっと話しているのではなく、先生が少しだけ教えてあとは生徒が自分たちで勉強するというもの。
その様子も見せて頂いたが、子供たちが教室の自由な場所で、自分のやりたいように勉強していた。1人で集中している子もいれば、友達に教えている子もいる。友達同士で問題の解き方を議論している子もいた。
非常に活発で楽しそうに見えた。
子供の頃からこのように自分で考えて勉強する感覚を身につけていれば、私のようなしょうもない大人にはならないと思う。
このような素晴らしい先生に出会えている子供たちが羨ましい。
でも大人からでも変えることはできる。
私はそれに気づき変えようとしている。
子供たちに負けないように私も頑張ろう。
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