【古典邦画】「セックス・チェック 第二の性」
増村保造監督の、1968(昭和43)年の大映作品「セックス・チェック 第二の性
」。
当時の巨匠・成瀬巳喜男らを、はかない小市民の情緒を描くものと痛烈批判しただけあって、ダイレクトに異質な人間そのものを正面から描く、増村監督らしい作品だ。後の大映テレビドラマの萌芽が見えるかも。
男と女両方の生殖器を持つ、いわゆる半陰陽、ふたなりであることがわかった(女子)短距離走選手と、そのコーチとの師弟を超えた愛憎劇だな。
コーチを演じたのは緒形拳で、傲慢で強権的、ぶっ飛んだワイルドさを持ち、欲を抑えきれずに友達の奥さん(小川真由美、後で狂ってしまう)をも暴行するような男であり、彼にピッタリの役かもしれない。
オリンピックで金メダルを取ることを戦争によって断念した、スプリンターだった宮路は戦後、女のヒモとなって自堕落な生活を送っていたが、ある日、激しい性格からバスケ部を退部となった南雲ひろ子(安田道代)に出会う。宮路はひろ子に短距離走の素質を見出して、コーチとして徹底的に鍛えることに。「勝つためには男になれ」と猛練習を強いる。ひろ子は大会で好成績を出すが、直後のセックス・チェックで“ふたなり”と診断されてしまう…。
ひろ子は、オリンピック代表候補から外されてしまうが、宮路は、女性の身体で男の闘争心を持たせて再度チャレンジさせるために、昼間は男として猛練習、夜は女として宮路に抱かれるという生活を送る。
スゴい設定だが、結局、ひろ子は記録を出せず、なぜなら、夜の生活で女になってしまったから、がその理由というから面白い。
宮路はひろ子を捨てずに、(多分)妻として迎えるというラスト。大映的な増村監督らしいスポーツ映画だ。男っぽい乱暴な口調のひろ子も夜は妖艶だ。
同性愛はたくさんあっても、“ふたなり”はまだお目にかかったことはない。男の身体を持ちながら中身は女、女の身体を持ちながら中身は男、は肉体的ではなく精神的(心)には、もうすでにフツーのことになりつつあると思う。ハッキリと男の性だけ、女の性だけは将来、少数派になるんじゃないだろうか。これまでの男女の性差もタガが外れつつあるし。
しかし、現代を見ると、確かに男は元気がなくて、女は元気のように見えるが、それだけ女が肉体を過剰にアピールすることが増えているように思う。男は表に出ずにムッツリとなって。