【古典洋画】「勝手にしやがれ」

有名な割には、俺はあまり好きぢゃない、ジャン=リュック・ゴダール監督だけど、若い頃に観た、代表作の一つ「勝手にしやがれ(À bout de souffle)」(フランス、1960年)を今更鑑賞。

ジュリーの歌も、ピストルズのアルバムも、ココから来たのだ。

女は犯罪を犯さないけど、「俺たちに明日はない」に少しだけ似てるかな。

ロケ中心とか、カメラ目線とか、即興や視聴者に話しかけるセリフとか、50年代末からフランスで興った、いわゆるヌーヴェルヴァーグ(新しい波)の代表作とされるが、今観ると、やっぱり古くて、特別目新しいものはないフィルム・ノワール(犯罪映画)だけど、当時の観客や映画人らが大きな衝撃を受けた雰囲気は伝わる。

刹那的なサイコパスに思えるジャン=ポール・ベルモンドと、ベリーショートのステキな美人であるジーン・セバーグ、中盤のジーン・セバーグの部屋での2人のけっこう長いやり取りは、自暴自棄にも思えるような、ウィットに富んだ言葉が自由に飛び回り、そこにお互いを想う“愛”が、ハプニング的に生まれて来る、とてもスリリングなシーンだ。

すぐに車を盗む、追ってきた警官をヘーキで射殺する、GFの部屋でも金をくすねる、文無しだから上手いこと言ってタダで飲み食いする…、パリのシャレた街並みに、ストイックな身体をスーツで包んで颯爽と歩くスタイリッシュなチンピラの男と、フランスを愛する、上昇志向の強い、モデルのようなアメリカ人の女はよく似合う。

「本当に最低だ」と男、「最低って何?」と女。

有名だから、すでにいっぱい語られているだろう。

あったら、また「気狂いピエロ」と「軽蔑」も観ちゃおうかな。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。