熊本地震に遭遇
ブログ再掲↓
災害っていうのは、ホントにいきなりやってくるもんだ。
倒れて10年ぶりくらいに、このド田舎の実家に帰ってきて、
あろうことか、史上初の熊本(大)地震…
ここは熊本県菊池市泗水町。
震源地の益城町のちょっと上辺り。
益城町が最大震度7で、ここは5~6を観測らしい。
夕食も食べて、コーヒー飲みながら、
図書館で借りた本を読んでたのが、14日の午後9時半近く。
いきなり、なんの前触れもなく、ドドーン!!!!!!!!!!!
いままで生きてきて、まったく経験したことのない、激しい揺れ!
コーヒーカップ持ったまま、
ボーゼンと開けてた窓から外を見つめてた。
あぐらをかいてたから身体が持って行かれたりすることはなかった。
揺れが収り、ゆっくり立ち上がって窓を開けた瞬間、真っ暗に。
停電だ!
外も真っ暗。
近所の家の明かりもない。
遠くから、誰か叫んでる声が聞こえる。
自分で焦ってるのはわかっていたが、ここはとにかく落ち着こうと、
一呼吸置いてテレビの下の棚に入れてた懐中電灯を手探りで取った。
あれ?
スイッチがどこかわからん。
真っ暗のうえに懐中電灯なんてめったに触らないから、
いったいぜんたい、どこにスイッチがあるのかわからない。
だんだんパニクってくる。
ああ、と手が震えてきたところでパッと電気がついた。
ほっ。
ウーウーと役所のサイレンと緊急放送が聞こえてきた。
家の中を見渡すと、テレビがずれ、押入れの座布団が落ち、
棚のものがちょっと落ちてただけ。
まあ、良かった。
テレビ付けたら緊急報道番組。
全局。
両親も、「大丈夫か?」と2階の部屋に上がってきた。
「うん、こっちは大丈夫だよ。」
そうこうしているうちに、予期せず、次の余震が…!
し、しかもけっこうデカい!
テレビでヘルメットをかぶった地元のアナウンサーが、
「落ち着いて! 火の元の処理を!」
などと叫んでる。
いくつか余震が来て、ようやっと落ち着いたかな。
1階に降りたり、外に出ることもなく、
2階の部屋にいて、友人知人から来たメッセに答えてた。
で、余裕かまして、Facebookにいろいろ書き込んだり。
ついでにちょっと部屋を片付けたりして。
あ、そうだ! 血圧大丈夫かな?
と、鏡で顔色見たら、ほの赤い。
ヒューヒューヒューと血の流れ?に合わせて耳鳴りもする。
血圧計に腕を突っ込んでみると、上は130、下が92といつもよりちと高い。
自分では落ち着いていると思ってたけど、
身体は素直に反応するもんだ。
まあ、ぜんぜん問題なしの範囲なのではあるが、
やはりちょっとでも高いと血管切れたトラウマからドキドキ心配になる。
夜用のクスリを早めに飲む。
ちょっと情けないなあ。
麻痺してる側の身体がちょいこわばってる。
右腕がキュッと上がってる。
でもこの日は、そのまま緊急報道番組見ながら落ち着いてきて、眠りについた。
その間もちょこちょこ余震あったが、そんなに気にしてなかった。
次の日の15日夕方。
リハビリで近所を歩いてみたが、とくに何の異常もなかった。
「けっこう揺れたけど、この辺は意外とたいしたことなかったんだな」
なんてのんきに考えてたら…!
本番(本震)はこれからだった!
最初の大地震から28時間後の16日夜中1時半頃。
わたしは、もう歯磨いてふとんに入って寝てた。
うっすら夢を見始めたとき、
またまたいきなりドッ、ドド〜ン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
きたー! なんかよくわからんが、きたきたきたああああー!
こりゃホントにデカい! いや、デカいなんてもんじゃない!
もうふとんの上で身体が左右に振り回されるーーーーー!
まるでゴジラが下からぶん回してるみたいだぁーー。
だれかぁ~止めてくれ~~~~
ようやく揺れがおさまり、
恐る恐る起き上がってはみたものの、
まだ夢の中にいるみたいに頭の中はぼぉーとしてる。
「なんだなんだ! 何が起こったんだ」
アタマはまだぐぁんぐぁんして大混乱。
なんとなく、大きいのはすぐに収まったような気がする。
気がついたらまた停電してる。
こんどはこの前みたいに部屋を見る余裕もなく、
枕のそばに置いてた懐中電灯をつけてふとんの上にボーゼンと座ってた。
親父が2階に上がってきて、懐中電灯手に、
「おい、外に出るぞ!」
そういわれることが頭の中ではわかっていたけど、
現実を受け入れたくない自分としばし格闘。
障害者手帳、保険証、金、クスリ、ケータイとか
諸々入れてそばに置いといたウエストバッグ(準備しといて良かった)を首から下げ、麻痺してる右足に装具を付けた。
わざとゆっくりと。
ケガしてない、だいじょうぶ、落ち着け、落ち着け!
部屋の外に置いてたカラーボックスが倒れてドアをふさいでいた。
親父と二人で無理矢理こじ開け、
足元に散らばったものに注意しながら、慎重に階段を降りた。
とにかく真っ暗だから、床になにが落ちてるのかよくわからん。
もし窓ガラスが割れてたりしたら、危険きわまりない。
やはり地震のあとは靴下を履くもんだ、とふと思った。
外に出ると、近所の人もわらわらと集まってきた。
両親は着の身着のまま。
なんだよ、そのかっこ。昨日の地震で準備しとけと言ったろ!
それからは余震がヒンパンに発生。
余震のたびに大地が揺れる。
つくづく、われわれ人間は「動く地球の上」に住んでるんだな、と実感。
お袋が余震があるたびに怖い怖いといっては、
麻痺してる側の身体にしがみついてくる。
「痛てーよ、痛てーって!」
地面が割れない限り、このあたりは畑だらけで高い建物もないから安心しろよって。
ホント、田舎でよかった!
親父がなぜか車庫から車出してきた。
「何すんの?」
家の前のアパートの敷地に入れたり、また戻したり。
いよいよ親父もパニクってんのかよ。
やれやれ。
耐震構造(だったのか!)なのか、ウチも近所の家も見た目は大丈夫だ。
お隣さんちの一角に近所住民が集まり、その日は朝明るくなるまでみんなでそこで過ごすことになった。
怯えたワンちゃんもいる。
ワンちゃんだって、そりゃコワいよな。
ワンちゃんには何が起こったのかリカイできないんだろうが、
飼い主の不安が伝播するんだろな。
あーしましょう、こーしましょう、みんなでこれからのことをペチャクチャ…
こんなに人が住んでたんだと今さらわかったびっくり。
でも、私のことはみなさんに知られてるようで。
ははは…。
同じく片麻痺になった斜め後ろの家のおじさんもいて、
「こんな時片麻痺は困るねえ」
なんて話してた。
意外と自分でも驚くほど冷静だったが、
麻痺してる側の身体がこわばってる。
ただ、血圧はそんなに高くなった気はしない。
あとスゲー寒いよ。
ご近所さんが飲み物やチョコレート、ガムを持ってきてくれた。
ビニールシートや毛布、布団、それにさすがだ、ラジオも。
ウチなんて何も提供するものがない。
それらをありがたくもらいつつ、
布団にくるまって、ラジオを聞いて、周りを見渡しながら、
一晩中とりとめのない話をしてた。
こういう時、人はテンションが上がる。
近所のおばちゃんなんてケタケタ笑いながら冗談を言っている。
いや、まったくたくましいね~。
いろんな人が前を通り、「大丈夫ですか?」と声をかけ合う。
クルマも通る。
地面に座ってると、寒くて身体がこわばるから、ジャケット取ってきて、立ってあっちをうろちょろ、こっちをうろちょろ。
すると、近所の町内会の若いにーちゃん(彼は作業着にブーツ、懐中電灯と準備万端、話してて同い年だということがわかった)が、
「ちょっと周りを見てきましょう」と言ってくれた。
「ああ、あの家なんですかあ」なんて話ながら、
一軒一軒、大丈夫ですか? と声かけして回る。
身体もだいぶ温まり、右足もぎこちなかったのがだんだんソフトになってきた。
へんな話だが、なんか町内会に貢献したようで嬉しかった。
あーあ、麻痺がなけりゃなあ。もっと参加できるのに。
最終的に汗かくぐらい運動したね。
あったかくなったよ、ありがとうございます。
だいぶ落ち着いてきて、
自宅から必要なもの持ってきたりした。
街灯は復活してた。
朝5時半頃、ようやく明るくなって、自宅を見る。
ありゃー
畑側の、周りの壁が全部倒れてる。
壁にクラックもある。
中に入るともっとヒドい。
食器棚はずれ、食器の一部がコナゴナに。
風呂場も台所も物が落ちてめちゃくちゃ。
大きい棚やタンスはずれただけで倒れなくて、ホントに良かった。
倒れてたら圧死だよ。
2階の自分の部屋に入ると、カラーボックスは倒れ、本やDVD、小物が散乱。
小さなクローゼットの棚は倒れ、服や下着が散乱。
ポットは倒れ、上に置いといた砂糖が散乱。
押入れのドアが開き、中の布団や座布団が散乱。
デッカイ姿見は倒れる寸前、テーブルはあっち向いて、し瓶は倒れて中身が。
ああ、くせ~っ。
天井とか見たけど、部屋の中はクラックもなくよかった。
「さて、どうしよう? どこから手をつけるか?」
そうだ、ちょっとテレビ。
全局特別番組。
各地での被害が流されてる。
スンゴイことになったよ。
もう日本の終わりか? 原発大丈夫か?
とりあえず、着替えとか、必要なものを親父のクルマに入れる。
両親にも話して、まずライフラインを確保することを伝える。
最低でも一週間は余震が続くだろう。
今片付けても、またデカい余震がくれば同じになる。
後片付けは徐々にで良い。
今は何もしねえ。
曲がってずれた布団も直すことなく、そこにゴロンとなった。
余震にビクつきながらも、昼間ゆっくり休んだ。
幸い、まだ電気、水、ガス止まってない。
クルマをすぐ乗れるように車庫から出してもらい準備した。
お袋さんは余震にビクビクしながらも、近所の人のためにもオニギリ握ったりしてたが、
親父はなんか無駄に動くだけ。
高齢だし、満足に寝てないのだから、片付けで動いても疲れるだけだよ。
「休んでな」って、と言っても聞かないからイライラする。
これで血圧上がりそうだ。
また、親父は、あちこちにカギを置いて忘れたり、動かさないでいいものを動かしたり、いろんなとこの電気つけて忘れたり、
あーホントにダメだね。身内ながら情けない。
気丈なお袋さんと違い、内心かなり動揺してるのがわかったよ。
とはいえ、私もこの血を引いてんだろうな。
16日夕方、近所の避難所となった公民館に両親を行かせた。
ここにいるより近所のおばちゃん連中とコミュニケーションとってた方がストレス発散になって良いだろう。
で、俺は今日はクルマの中で寝る。
ちょこちょこ親父は戻ってきて、
薬忘れただの、自転車の鍵がないだの、
懐中電灯がないだの…
うー。
電気があるので、まだWIFIがつながる。
iPad持って、facebookやTwitterにたくさん書き込み。
現状を伝える。
友人知人からの励ましや心配するメッセージ。
ホントにありがたいし、心の支えになった。
不謹慎だけど、なんか映画かなにかの主人公になった気分。
ありがとうございます!
満足に身体が動かせない片麻痺は、こんな災害の時、ホントに困る。
足手まといになるかもしれない。
しっかりヘルプしてくれる人がいるとイイけどね。
自分の身体にイライラするけど仕方ない。
リハビリを続けて、なるべく普通の人並みに動けるようにしないとね。
火事場の馬鹿力はまだ出なかった。
あと震災後の脱力感、虚無感。
確かに地震が続くと精神が不安定になるな。
でも揺れにはスゴイ敏感になる。
小さくても余震が来ると身体が、特に麻痺の右手がビクッとなる。
わーって狂うような気もする。
片麻痺になった上に、こんな災害。
スゴい絶望感。
なんてハードな試練なんだ。
それを防ぐのは、やはりコミュニケーションだろう。
私の場合、これといってリアルなコミュニケーションをとるひともいない。
今はネットしかない。でも、それは大きい。
これを書いてる今も、まだ余震は止まらない。
もう200回近いらしい。
さっき、両親が公民館に出かけた。
誰もいない家に独り。
両親が守ってきた家はヒビが入りボロボロ。
焦ってパニクり地震にオドオドする年老いた両親を見てると悲しくなってきたな。
精一杯守ってあげたいけど、もう障害者である今の俺には力がない。
何もない。
何もできない。
ごめんなさい。
ホントに迷惑かけております。
涙出てきたよ。
さて、これからどうなることやら。
つづく。
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