広島原爆の日
「もう一度原爆が落っこったってどうしたって、そんなことはかまったことじゃない。僕にとって重要なのは、そのおかげで地球の形が少しでも美しくなるかどうかということだ」by三島由紀夫
79年目。
初めて原爆を意識したのは、やっぱ、小学校の時、学校の図書館で見た「はだしのゲン」だった。今は左右のイデオロギーによって貶められてるけど。
確か、先生に薦められたのか、最初の数頁で引き込まれ、何回か図書館に通って全部読んだ。
姉が職員室で先生に上半身裸にされるところ、原爆によって皮膚が垂れ下がって歩くゾンビみたいな人たちの群れ、黒コゲの死体、助けようと手を引っ張ったらスルッと抜けっちゃったところ、父と姉と弟が炎でギギギッって焼けるところなど、グロ描写を繰り返し見てた記憶がある。だから後半はあまり面白くなかった。
ガキなので、反核や反戦ということよりも、エロの他、残酷な死と肉体の変化への関心が高かった。キノコ雲の形が不思議で面白くて、教科書の隅に描いてた。
それから、親に、県の大きな図書館に連れて行ってもらった時、原爆のコーナーで、長時間、写真や絵ばかり探して見てた。ついでに、医学の病気や奇形の写真とかも。
その辺から、エログロ、殺人、虐殺、テロ、フリークス、ガイキチ、アウトサイダーなど、反社会的なものへの異常な興味が芽生えたのかもしれない。
広島、長崎を訪れた時、当然、原爆資料館には行った。
…時代に合わせて、いろいろと変化させる事は出来ても、一回作ってしまった物や技術を全て無くしてしまうという事は、どんなに犠牲があろうとも相当難しいというか不可能なのかもしれない。
自ら、全てを破滅させることが可能になってこそ、ホモ・サピエンスの最終形だ。
原爆→核兵器→ 中性子爆弾→水素爆弾→ ツァーリ・ボンバ→原子力発電。
人は忘れるからこそ先に進める。そして、また新たな悲劇が起こるのだ。
祈って黙祷を捧げてれば、核が、戦争がなくなりゃ、世話ねえよ。