「アウシュヴィッツの子どもたち」
ナチスのアウシュヴィッツ強制収容所に、大人たちと共に入れられた男女13人の子供たちの個人的運命と歴史、そして、戦後まで生き延びて解放されてからの人生を辿る。
アウシュヴィッツの4年間で数万人もの子供たちが死亡した。正式な数は不明だが、解放時に生きていたのは、新生児と子供を合わせて180人だけだったという。
強制収容所に、実に多くの子供たちがいて、無名のままに死んだことにも驚くが、生き残った子供たち13人全員が、特に苦しんでいることが、「なぜ自分は生き延びてしまったのか?」という思いであることも、収容所の想像を絶するような条件下にいたことがわかって惨憺たる思いを抱く。
周りの人たちと同様、収容所で死ななかったことを“罪”として感じているのだ。
何年経とうが、多分一生(本に登場する子供たちはすでに寿命を終えてると思うが…)、収容所体験はPTSDとなって現れる。身体に彫られた番号が消えることなく、収容所体験を思い起こすことになる。
突然、激しい不安に襲われて動けなくなる、神経過敏で常に敵意に満ちている、人間が自然に死ぬことが信じられない、誰かいなくなると死んだと思う…凄まじい体験の数々。
出産直後の多くの新生児が、母親の目の前でSS(親衛隊)によって殴り殺される。SSは笑いながら赤ちゃんを壁に投げつけたりしてる。
人体実験で有名な“死の天使”ことヨーゼフ・メンゲレも出てくる。子供たちの中でも、特に双子に対して残酷な“解剖実験”を施した。メンゲレはユダヤ人に対して、「世界で最も優れた民族はドイツ人とユダヤ人であり、どちらかが世界を支配する。しかしユダヤ人が支配することを私は望まない」とナチズムとはちょっと違った考えを持ってたらしい。
「私は誰?」「両親は?」「兄弟姉妹は?」「出身は?」「年齢は?」「名前は?」…人間は誰でも自分が何者でどこからきたのかを知りたいものだ。
ヨーロッパ各地をはじめソ連までにも渡り歩いて、親や親類縁者を探して手紙を書く、新聞で取り上げる、広告を出す。自らのアイデンティティを探すように。何十年も経って偶然的に親が判明した例も少なくない。
乳児や子供を収容所に閉じ込めて殺す…何も当時のドイツ人だけが残酷であったわけではない。少なからず全世界でこういう事例は起こってる。今も。全体主義という政治体制は、ある程度の地位にいたならば、人間が、本来なら誰でも持つ残虐性や攻撃性を抑えることなく開花させるものであるのかもしれない。
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