クリティカル ラーニング それは、ほんとうかな?
クリティカル ラーニング
「それは、ほんとうかな?」という姿勢でものごとを学ぶ姿勢
と僕は解釈しています
健全な批判的精神を持ち、その本質や、背景、 前提までを深く掘り下げて探求して学ぶ姿勢
と言ってもいいでしょう
ABE(Art Based Education)研究会の中でで最近よく語り合っているテーマの一つです(ABE研究会については、どこかで紹介します)
ABE研究会ではアートを使った教育においてこれを大切にしようというものの一つとしてクリティカル ラーニングを掲げています
先生が言うことをそのまま理解する、暗記する
先生が教えることは絶対正しいと疑わずに学ぶ
語弊のある言い方をしていますが
それらを前提にした教育に対するアンチテーゼです
教育や研修、ワークショップを行う際に
場をあずかる者として、教える側がクリティカル ラーニングを大切にする
すくなくとも、それを歓迎する姿勢がないと教育ではない思うのです
例えばですが
小学生に算数の授業で九九を教えている際に
「先生、なんで9×9が81と決まっているんですか?」
と言う生徒がいたら
「おっ! こいつは天才かもしれない どうしてそう思うのかきいてみよう」
となると思うのです
しかし、得てして自分が専門にしていたり、得意にしてきたことを教える立場になると
「それはほんとうですか?」と問われると
「これはこうなんです!」とそれ以上生徒に言わせない態度をとってしまいがちです
教える側が強い立場なので、そこでそれ以上教わる人は意見しづらくなってしまいます。その場にいる人たちはそれ以上探求できなくなります
はたして、それでいいのかな?
先週から、プレイバック・シアター実践リーダー養成プロジェクト7期(Lプロについても、どこかで紹介します)、そして企業内インストラクター養成講座と続きました。どちらも教える立場の人たちを対象にした学び合う場です。それらのコースを担当してみて、これまでは無意識だったクリティカル ラーニングを意識して言葉にして取り入れてみると、どちらもこれまで何回も担当してきたコースですが、これまで以上に深い学びが、早期の段階で生まれました。これは僕の独りよがりではなく、参加者の反応から確実に言えることです
ABE(Art Based Education)研究会のなかで、これを大切にしようとしているものとして、他に
ネガティブ ケイパビリティ
答えのないことや葛藤を持ちつつその場にふみとどまる力
があります
それについて次回は書きたいとおもいます
場づくり、プレイバック・シアター、ワークショップ、企業研修、Arts Based Education そして時々沖縄について語りたいとおもいます