日本人との感覚の違い

 今日は仕事場で思いがけない学びがあった。

 自分は金属加工の工場で働いている。

最近は外国人留学生も増え外国人も珍しくはないが、今私と一緒の担当に付いて仕事している方は日本との混血の方である。

日本在住期間も長く言葉には不自由はない。なので雑談では宗教や習慣の違いなどについていろいろ話しを聞かせてもらっている。

 今日、仕事について指導の為に説明をしていたのだが、なかなか理解してもらえず説明の仕方に何か問題があるのかと考えたが話しを聞いてようやくなにが問題なのかが理解出来た。

ある加工について、見た目が綺麗に揃う様に

私「見本の様に加工して!」

と言うと相手は「?」の様子で理解してもらえない。

難しい話しでは無いのだが、どうも考えているポイントがそこでは無い様だった。

加工の仕方が分からないのでは無く、何故その様に加工しなくては成らないのかが理解出来ないとのことらしい。簡潔にまとめれば

相手「機能的に果たすのなら、今まで通りの方法でやれば良い。新たに教わる必要は無い。」※要点をまとめると、このような言い方になる

との考えかたである。と言うのも、

いくつかの加工の方法があるのだか機能的に考えれば実際は他のやり方でも可能である。ただし、その場合我々の感覚では不格好になり見た目には悪い。※実際はお客様からの仕様で決められたことなので指示通りに加工する必要はあるが。

一応話しは進み、仕事のことは理解してもらえたが

私「ではどの様に言えば分かりやすい?」

相手「~をしてはイケナイ。(禁止)」

とのこと。成る程、そう言われてみればそうだった。

日本人は周囲との共存意識が強い為、「個人の自由より周り(国家)の為に~しなければなかない」と書かれることが多い。

対して海外では「個人の自由が前提で、禁止事項を明文化」する考えだということ。言い方に誤解を招きそうではあるが…。

つい最近まで法律とか憲法とかの条文を読むのが嫌で隅々まで読むことは無かった。はっきり言えば頭に入ってこない。読むのが辛くて仕方が無かったのだが「個人の自由」と「禁止事項」という感覚で捉えると理解出来るようになった。

全てのことについて細かく明文化するのは非常に困難である。当然空白もできる。その空白に対してどう考えるのか。日本人なら先ず周囲のことを考えて迷惑を掛けない様に考えるだろう。しかし海外の感覚なら書いてないなら行っても良いと解釈するだろう。

最近のニュースでも無理な開発のことを聞くことがある。なぜあんな無茶をするのだろうと思っていたが、おそらく法律の抜け穴があるのだろう。彼ら外国の投資が入る企業はいつも無茶なことをする。

やはりお金か?お金なのか?

お金に縛られたこの世の中、私たち先祖が守ってきたこの日本を守っていけるのか。自分になにができるのだろうか?



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