【第六回】「海外ミステリの扉を叩こう」~ジェフリー・ディーヴァーによるレイモンド・チャンドラー評 (旧「海外ミステリ情報通信」)

みなさま、ご無沙汰しております。約二か月ぶりの更新となってしまいましたが、ご容赦ください。

今回から連載の名前を「海外ミステリ情報通信」から「海外ミステリの扉を叩こう」に変更しました。よろしくお願いいたします。

さて今回は、ジェフリー・ディーヴァーがペンギン社版のレイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』に寄稿した序文の紹介です。
当代一のスリラー作家は、チャンドラーをどのように評したのでしょうか。

まず、ディーヴァーはフィクションのカテゴライズをすることの便利さついて述べたあと、このように書きます。
"But there's a danger in reductive labeling.
For instance, consider Raymond Chandler."
ラベルづけ、すなわちジャンルわけによって(楽しみが)縮小する危険があるものの一例が、チャンドラーの作品なのだと、ディーヴァーは述べます。

そのすぐあとに、
"Reader unfamiliar with or casually aware of his writing assume he represents a mere continuation of the work of his groundbreaking predecessor, Dashiell Hammett~(後略)"
と続け、(チャンドラーに)なじみのない読者、簡単にしか知らない読者は単にハメットからの連続的な再生産だと思い込んでいる、と書き、確かに彼らはハードボイルド・ノワールジャンルの里程標的な扱いである、とします。

そして、
"Yet Chandler is far more than the label 'hard-boiled' would suggest."
すなわち、チャンドラーは「ハードボイルド」というラベルが指し示すよりもさらに大きなものだ、と述べます。

"HIs few novel~(中略)~carried the crime novel into entirely new territory."
(チャンドラーの)数少ない長篇は、犯罪小説をまったく新しいテリトリーへと進めた、とディーヴァーは看破します。

そのあとの記述で、チャンドラーの作品の特徴や、彼が簡潔に述べた他作者への執筆アドバイスを紹介し、こう書きます。
"By stepping back from the genre, ironically, Raymond Chandler steped byond it."
ジャンル(ハードボイルド)に立ち返ることで、皮肉にもハードボイルドを飛び越えてしまったのだ、と。

チャンドラーの作品のプロットについて述べたあと、ディーヴァーはこう書きます。
"His skill in creating atmosphere remains a model for writers today, oh, what lines(~チャンドラーの文章を引用~)"
(チャンドラーの)作品での雰囲気づくりの技巧は、現代の作家のお手本として残っている、と述べます。

そしてようやく、"あの"フィリップ・マーロウについて言及します。
"But where Chandler transcends the genre is his approach to his characters––Philip Marlowe~(後略)"
チャンドラーが(ハードボイルドという)ジャンルを超えた部分は、登場人物たち、すなわちフィリップ・マーロウに代表されるような人物へのアプローチだ、と述べます。

ディーヴァーはマーロウについて、
"Marlowe's a hard-drinking man, sure. But he's also a hard-thinking one."
フィリップ・マーロウは大酒飲みだが、とても思慮深い人物でもある、と書きます。

そして、
"And it's the observations about and interactions with the other characters in Chandler's books that give the stories thier intensity and emotional reach."
(itが"hard-thinking"を指すのか、it is ~thatで強調構文なのか、僕の英語力では判断がつきませんでしたが)チャンドラーの作品のなかでの、他の登場人物への観察と、彼らとの交流こそが物語に激しさとエモーショナルな幅を与えている、と述べます。

このあとは『ロング・グッドバイ』の内容とテリー・レノックスについての記述になり、『ロング・グッドバイ』はチャンドラーにとって非常に野心的であり、文学的な作品だ、と述べます。

"In his earlier books Chandler examined the dark sides of social climbing and sex; here, he aims higher –– at the rich, gambling, lawyers, big business and thier pernicious effects on average guy and gal."
チャンドラーの初期作品では、社会的成り上がりと性についての暗部を描いていたが、(『ロング・グッドバイ』では)もっと高みを目指したこと、社会的な成功者が一般の男性や女性に及ぼす有害な影響について描いた、とディーヴァーは見抜きます。

そのあとに『ロング・グッドバイ』の自伝性について述べ、最後にディーヴァーはこう締めくくります。長くなりますが、
"What makes Philip Marlowe so appealing to us, and unique in crime fiction, is that he 's a man less likely to turn his revolver on someone than to aim his keen, skeptical and querying eye on his (Raymond Chandler's) real anemies: pretension, betrayal, greed."
フィリップ・マーロウを読者にとても印象付けさせるもの、そして犯罪小説のなかでも特徴的にさせているものは、(マーロウは)誰かに銃を突きつけるのではなく、それよりも彼の鋭く、疑い深い目を彼の本当の敵に狙いをつけることであり、その本当の敵とはつまり、偽りであり、裏切りであり、欲望である、ということです。

ここまで見てみると、ディーヴァーはチャンドラーを犯罪小説の模範のように見ていますし、また『ロング・グッドバイ』について、あるいはチャンドラー自身について「ハードボイルド」の枠を超えている、と感じているようです。
チャンドラーが作り上げたものは、「ハードボイルド」の定型だけでなく、文学的な高みをも持った犯罪小説、ということでしょうか。

以下の記事は、以前私が書いたジェイムズ・エルロイによるチャンドラー評を含んだものですが、このチャンドラー評と比べると非常に対照的ですね。
作家によってチャンドラーへの思いは様々(称揚することが多いように感じますが)なのだと思います。


いいなと思ったら応援しよう!