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ジェイムズ・エルロイによるハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルドの簡潔な評価



・はじめに



 アメリカで出版されている、「ブラック・リザード叢書」という犯罪小説専門の叢書があります。ジム・トンプスンやデイヴィッド・グーディスらの再評価に貢献した叢書としても知られていますが、2022年には、厳選された7冊の作品の記念バージョンを発刊しました。

 その7冊とは、ダシール・ハメット『マルタの鷹』、レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』、ロス・マクドナルド『さむけ』、ジェイムズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、チェスター・ハイムズ『イマベルへの愛』、桐野夏生『OUT』、ルース・レンデル『ロウフィールド館の惨劇』、です。

 この並びのなかで桐野夏生さんの作品が選ばれるのは嬉しい限りですが、それは今は置いておくとして、これらの作品にはそれぞれジェイムズ・エルロイによる序文が1ページ強から2ページほど寄せられています。
 私の手元には現在、『マルタの鷹』、『大いなる眠り』、『さむけ』、『イマベルへの愛』しかなく、記念バージョンすべての序文に目を通すことはできていません。
 ただ、ハードボイルド作家で「御三家」(ビッグ3)と呼ばれる人たち––––ハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルド––––の代表的な作品を、エルロイがどう簡潔に評しているかについては目を通すことができました。
 ここからは、三人の作家についての序文をそれぞれ見ていきたいと思います。


・ダシール・ハメット『マルタの鷹』(Dashiell Hammett "The Maltese Falcon")


 エルロイのハメット愛は強いことで有名です。
 例えば、詳細は省きますが『ホワイト・ジャズ』には『赤い収穫』のオマージュが見受けられ、色々なところでハメットを語っています。

 『マルタの鷹』について、エルロイはまずこう述べます。

"The Maltese Falcon is the first surefire masterpiece of the American hard-boiled canon."

"The Maltese Falcon"序文

 ここですでにエルロイは、『マルタの鷹』はアメリカン・ハードボイルドの「正典」であり、「最初の確実なマスターピースである」ことを明言しています。ここだけでハメットを高く評価していることがわかります。

 また、『赤い収穫』と比較して以下のように述べています。

"It surpasses Red Harvest……(後略)"

 "surpass"は「上回る」という意味ですから、すなわちエルロイは『マルタの鷹』を『赤い収穫』より評価しているというわけです。
 また、登場人物たちについては、

"They're lively psychopath. ……(中略)……That gives the book snap, crackle, and pop."(lively,snap,crackle,popはイタリック体)

と述べています。彼らは非常に精力的な「サイコパス」であり、それが作品を躍動的にしている、と解釈すればよいでしょうか。
 「サイコパス」のような言葉は序文に何度か出てきますが、エルロイはハメットの登場人物についてそうみなしているようです。

 そして、このあとから主人公であるサム・スペードについて

"He's a repressed private eye and a tenuous hostage of the women in his life. He's the eyes and ears of a short novel oozing mendacity. ……(中略)……Thus, Spade remains as obscure as the cadre of grifters and shitheels out to grab the black bird."

 と述べており、スペードについては
「自己を抑制した私立探偵であり、また登場する女性たちによって存在感が希薄でありながら(彼女たちに)囚われている」
「流れるように嘘をつく短い小説の目であり耳である」
「鷹を手に入れそこなったくだらないやつらと同様に(読者にとって存在が)ぼんやりしたままである」
と解釈できるでしょうか。
 ここだけ読むと、始めて読む読者には「その小説って魅力的なのか?」という疑問がわいてくると思います。前後の冷めていて、なおかつ熱量のあるかきぶりがエルロイのハメットへの傾倒を示しています。
 かなり簡潔に述べられていますが、これはハメットの文体に合わせたもの、と見ると良いのでしょうか。

"Hammett crafts a love story between two grasping, lying, manipulative arrivistes……(中略)……It's a pure late '20s lament."(arrivistesはイタリック体)

 「ハメットはお互いをつかもうとし、嘘を付き合い、思い通りに操作しあおうとする成り上がり者二人の間のラブストーリーを作り上げる」と解釈しました。そして、それは「純粋な1920年代終盤への挽歌だ」、としています。
 エルロイのロマンチスト気質な側面が垣間見える評価ではないでしょうか。また、エルロイの作風を思えば、ハメットがエルロイに影響を与えていることも見えてくる評価だと思います。

 エルロイは最後にこう述べます。

"The Maltese falcon ups the ante to Art. Sam Spade is the canon's first tragic hero."

 この前の文章で、『赤い収穫』はハードボイルド小説全体の「正典」であると述べたうえで、『マルタの鷹』はそれを芸術へと高めたものである、としています。
 『マルタの鷹』は芸術である、とするエルロイの態度は、アメリカではハメットの作品が学術研究の対象としても人気があるということにも関連してくるでしょう。

 ここまで見てみると、エルロイはハメットを非常に評価していることがわかりますね。
 実は、Everyman's Libraryというアメリカの出版社レーベルのハメット作品集にもエルロイは序文を寄せていますが、パッと目を通したところ、ハメットに対する評価は揺るがないようです(こちらのほうが何ページにもわたってハメット評をしており、ハメットの各長篇作品短評もあります)。


・レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』(Raymond Chandler "The Big Sleep")


 エルロイがチャンドラーを評価していない(らしい)ことは有名です。例えば最近のインタビューでも、チャンドラーについての質問に対し以下のように回答しています。

"I don’t like the books and I don’t think he knew people well. I don’t like the style, and the plots are slapdash. The writing enchanted me as a 17-year-old, when I read all seven of Chandler’s novels. I tried to read them two years ago and ended up tossing them across the room."

 作品も文体もぞんざいなプロットも嫌いで、人間をよく知っているとは思えない、17歳のときには魅了されたが、今読もうとしたら投げ出してしまった、という趣旨の発言ですが、あのチャンドラーに対してとても辛辣な意見ですね。
出典元はこちらです。

 また、ハヤカワミステリマガジン1996年10月号掲載のインタビューでも、

結局のところ、レイモンド・チャンドラーから得られたものはほとんどないよ。チャンドラーは過大評価されていると思う。言われているほど重要な作家じゃないよ。

ミステリマガジン1996年10月号

と述べています。

 エルロイは劇場型の性格(自分を演出するような性格)をしているとは耳にしますし、話半分に聞いておいたほうが良い可能性もあります。実際にエルロイは、自身のオールタイムベストにチャンドラーの作品を入れていたことがあります(出典を探し出せませんでしたが、記憶には残っています)。

 ここで序文に入りましょう。

”The Big Sleep dictates and commands the style and tone of the American detective novel for all time. It's a roadmap, it's a how-to book, It's a primer.”

"The Big Sleep" 序文

 このような書き出しですが、とても腑に落ちます。『大いなる眠り』から始まるフィリップ・マーロウものは、アメリカ私立探偵小説のスタイルやトーンの基礎になっていますし、「地図であり、ハウトゥー本であり、入門書である」という表現は的確でしょう。

 その後にこう続きます。

"The Big Sleep is about a workaday guy who goes around asking questions and deciphering frequently incomprehensible answers."

 『大いなる眠り』について、「質問を訪ね歩き」「理解しがたい答えを頻繁に解読する」「平凡な男」の物語だとしています。

 また、

"The sequence of events unfolds in a haphazardly unintegrated fashion."

 物語で起こる一連の出来事が、「無計画に統合されない形態で」展開する、とも述べています。

 そしてこの段落を、

"And the murk doesn't matter––because Marlowe isn't the star of the show––late '30s Los Angeles is."

と締めます。
 前述のような「見通せない物語」は1930年代のLAにとって当たり前であること、マーロウは巻き込まれ型の登場人物であり、物語の焦点が当たる人物はマーロウではないことが述べられています。

また、

"Marlowe gives good riposte, and Chandler gives good hopheads, dipsos, nymphos, diseased racetrack tout, verbose hoodlums, and psychopathic movie-biz flotsam––––but it's L.A. entre les deux guerres that captivates us. "

と述べ、要するに「チャンドラーはチンピラや小悪党の描き方がうまく」、「それが我々を魅了する戦間期のLAだ」としています。

 そして次の段落とその次の段落で、

"He's got the Form: the jive-talking, first-person P.I. novel. He's got the Hero: noble nudnik/schtickmeister Philip Marlowe.……(中略)……Chandler's L.A. is everywhere. Why go anywhere else ––in any detective novel?"

と述べます。
 "He"はもちろんチャンドラーのことですが、彼は独自のフォームとヒーローを勝ち得た、それは「俗語的な話をする一人称私立探偵小説」であり、「高貴で、いやなやつで、お決まりな滑稽なことを話すフィリップ・マーロウだ」としています。
 「チャンドラーのLAはどこにでもあり」、「どうして私立探偵小説は他のところへ行かないのか」と疑問を呈します。
 結局のところ、エルロイにとって「チャンドラーのような私立探偵小説」は「フィリップ・マーロウさえあれば」といった感じなのでしょうか。

 最終段落でも、

"Here's the diagram that ten million other writers have followed."

「一千万の作家が追従するダイアグラム」と述べていて、チャンドラー型私立探偵小説の真似のしやすさを指摘しています。エルロイ自身も、デビュー作はチャンドラー型の一人称私立探偵小説でした(ただ、どこかそこから逸脱した感じはありますが)。

 この序文もチャンドラーの文体に寄せているのだと思いますが、褒めているのか貶しているのか測りかねる序文になっています。
 私はチャンドラーの作品のことは好きなのですが、やはりエルロイには合わない……のでしょうか。


・ロス・マクドナルド『さむけ』(Ross Macdonald "The Chill")


 エルロイが作品の献辞とエピグラフで触れた「ミステリ作家」は、後にも先にもロス・マクドナルド以外いません。
 『血まみれの月』の献辞に、『ホワイト・ジャズ』のエピグラフに、それぞれ登場します(『血まみれの月』は「ケネス・ミラー」宛てになっていますが)。

 エルロイが青年期に犯罪小説を愛読するようになったのは、ロス・マクドナルドの『縞模様の霊柩車』を読んで感動したことが理由である、といった記事が出ていました。

 上の記事がそれです。
 新刊の販促記事ですが、なかなか読みごたえがあり楽しいです。

"Someone is lost. It's a missing dautghter or a missing son or a wayward bride or a lost lover a generation ago. The Detective is charged to find them. Someone is lost. It's a always The Detective himself. It's the one fact that the man cannot concede."

"The Chill"序文

 失踪人探しはハードボイルド小説の定番のモチーフですが、エルロイはロス・マクドナルドの主人公リュウ・アーチャー自身も失踪人であり、彼自身はそれを認められない、としています。

また、

"The late William Goldman called The Acher books"the finest series of detective novals ever written by American." He was right  about that."

 リュウ・アーチャー・シリーズのことを、「アメリカ人によって書かれた、もっとも洗練された私立探偵小説のシリーズ」である、とエルロイは認めています。

"Lew Archer. He's the Secret Sharer. He's the Underground Man. He's the Great American Detective."

 「the Underground Man」はロス・マクドナルドの作品名でもあり、意味を二重にかけているのでしょう。
 エルロイにとって、最も偉大な私立探偵はリュウ・アーチャーのようです。

"(以下はすべてイタリック体で)Archer lives through these people. We lives through Archer. That's how deep Ross Macdonald's hold on us goes."

 「these people」とは、『さむけ』に登場する人物たちのことです。読者はアーチャーを通じて、登場人物たちの生を体感します。ロス・マクドナルドがいかに深いところへ読者をいざなうかについて、エルロイは感嘆しています。

 文末でエルロイはこう述べます。

"He leaves us with frayed nerves and troubled souls and the knowledge that Archer's alternative lives in duress will go on––liberated, consoled, and shattered by the truth."

 「緊張した神経」と「乱れた魂」と「アーチャーの、無理強いを行いながら生きるもうひとつの人生は続いていくという知識」を読者に残し、読者は「真実によって解放され、慰められ、閉じられる」感覚を得る、と述べているのだと解釈しました。
 おそらくこの序文も、ロス・マクドナルドの文体とエルロイの文体の融合なのでしょう。

 エルロイはロス・マクドナルドからも大きな影響を受けていますが、エルロイの作品のプロットを見ればわかるように、ロス・マクドナルドが作品のつじつま合わせにこだわる点は、エルロイにも強く引き継がれています。

付記:
『ホワイト・ジャズ』の序文は以下の通りです。

"In the end I possess my birthplace and am possessed by its language."
"要するに、わたしには生まれた土地があり、そこの言葉から離れられないということだ。"(佐々田雅子 訳)

"White Jazz"
『ホワイト・ジャズ』

 これがロス・マクドナルドのどの文章からの引用かというと、"Archer in Jeopardy"という『運命』『縞模様の霊柩車』『一瞬の敵』が収録された合本のロス・マクドナルド自身による序文のようです。
 『縞模様の霊柩車』がエルロイに与えた影響の大きさを痛感しますね。

・さいごに

 ここまでエルロイがハードボイルド小説ビッグ3に寄せた序文を見てきましたが、なかなか興味深い記述が多く見られました。
 今後機会があれば、特別バージョンの残りの序文も見ていきたいと思います。

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