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僕がサッカーを仕事にするまでの話

Jリーグが開幕し約30年経ち、サッカー関係の仕事に就きたいという人は本当に沢山いると思います。

実際にそんな相談を受ける事もありますが、思ったようにやりたい仕事に就けるか?と言えばそんなわけはありません。僕自身、プロのサッカー選手になるという夢を諦め途方に暮れていたところ、運よくサッカーの仕事をいただく事ができました。その他、仕事にはならないまでもボランティアというか、お手伝い程度に貴重な経験をさせて頂いたこともあります。参考になるかはわかりませんが、自分がサッカーの仕事を始めるまでの話をさせて頂きたいと思います。

サッカーとの出会い

僕が実際にサッカーを始めたのはいつか?と言うと、実は中学校からでした。簡単に言えば、自分の住んでいる街は当時全くサッカーが盛んではなく、地域の子供会が運営するソフトボールチームに入るのが普通でした。むしろ入らなければ変人扱いされるような環境(笑)小学校4年生の頃にキャプテン翼ブームがあり、サッカーをやりたいなと思い、ボールを蹴っていたこともありましたが、ソフトボールチームを辞めてサッカーをやる勇気がなかったという感じですかね。

中学校の部活では、入部した当初は玉拾いばかり。しかも上級生の不祥事で1ヶ月くらい休部という事態が起こったり。顧問の先生もサッカーの知識はほぼゼロみたいな状態でした。そんな状態でしたから、まずはサッカー雑誌を毎月買って、隅から隅まで読むのが楽しかった…当時はイタリア、セリエAが世界のサッカーの中心で、ACミランにはフリット、ライカールト、ファン・バステンのオランダトライアングル、インテル・ミラノにはマテウス、ブレーメ、クリンスマン、ナポリにはマラドーナ、カレッカ、アレモンと、各クラブ3人までの外国籍選手が所属していたのを覚えています。映像で彼らのプレーを見たのは89年のトヨタカップでACミランが来日した時。また、世界のトップクラスの選手のプレーを初めて生で観たのはやはり89年に神宮球場で行われた、マンチェスター・ユナイテッド対日本代表の試合。マンチェスター・ユナイテッドにはマーク・ヒューズやブライアン・ロブソンが所属していました。そんな選手が神宮球場でプレーしたんですよ?時代を感じます。

当時は基本的に選手名を知っていても、本当にサッカー雑誌を読みながらどんなプレーをするのか?と想像するしかなかったのです。しかし、それが本当に楽しかった時代でした。

正月の高校選手権になると、ほぼ毎日サッカーが見られるし、実際に千葉県総合運動場で試合が行われていたのもあり、試合も見に行ったのをよく覚えています。だから自然と高校サッカーに対しての憧れも出てきました。

中学3年生の時にやっとサッカー経験者の先生が顧問になり、本当に数ヶ月間少しだけサッカーを教えてもらえた感じでしたが、常に初戦敗退の弱小チームであったのには変わりなく…自然と高校サッカーへの憧れを現実にしようと、甘い考えを持っていたのです…

名門校で現実を見る

地域のトレセンの選考会に志願して行く程度だった自分が、何故か名門高校の受験を志します。成績的には問題なく、一般受験で合格したのですが、そこで現実を見ます。

全国大会の常連だった名門校の練習は想像を絶するものでした。

周りは県トレセンレベルの選手ばかりの中、技術、体力…その差も含めて思い知ることとなります。

GWに入る直前、自分は退部します。いや、今思えば、入部したことにもなっていなかったかもしれません。

3月に某JリーグのクラブのU-18のセレクションに落選していたのですが、GWまでに連絡すれば、Bチームの活動には参加させてもらえるという話があり、とりあえずそこでお世話になることに決めました。しかし、Aチーム昇格を目指して努力し続けるものの、昇格の話はなかなかありませんでした。毎日練習があるわけではないので、友達と遊ぶ時間もありましたが、それが甘さに繋がってしまったのか、思ったような成果を挙げられず、2年生になる時、Aチーム昇格の可能性がないことを遠回しにスタッフから伝えられます。

たまたま知り合った、似たような境遇の同じ高校の先輩が社会人チームでサッカーを続けていることを知り、そのチームに入れてもらうことにしました。そのチームは県の名門高校のOB主体のチームだったことも知らず…いざ入ってみると、週末しかプレーしていない人たちも、かなりレベルが高かったことを覚えています。

高校2年生から通っていたJリーグのクラブのU-18の練習は、週1回、Jのクラブのコーチが指導してくれるスクール扱いになりました。そういった環境は残ったこともあり、高校2年生からは自主練とスクール、週末は先輩が紹介してくれたチームの練習や試合に通いました。そして、中学校の頃から欠かさず読んでいたサッカー雑誌に掲載されていた広告、『ブラジルサッカー留学』を進路に考えました。しかし、クラスにはそういう僕の意思を快く思わない同級生もいました。スポーツの名門校だったこともあり、他競技の部活に参加していた同級生からも、露骨に嫌がらせを受けました。

同級生はサッカー部の躍進を期待しているなか、サッカー部を辞め、ブラジルに行きたいと言う自分は変人だったでしょう。机の中に嫌がらせの文書が入っていたり、いたずら電話等の悪質な嫌がらせもありました。実際に面と向かって『サッカーなんかやめちまえ』と言われ、激怒して殴りかかったこともありました(その相手とはすぐに和解しましたが)。僕が学生時代を黒歴史と言うのはこんなことがあったからです。その他にも考えられないエピソードが幾つかありましたが…それは別の機会に…。

不思議と嫌がらせをする人に対して、『見返してやろう』という考え方はしませんでした。自分はサッカーが好きなわけで、嫌がらせをしてきた人達を見返そうと思ってサッカーをしているわけではないと思っていたからです。担任の先生とも全く上手くいかず、進路の話をされたことは一度もありませんでした。

AMIGOとの出会いと草サッカー

卒業後、すぐにブラジルには行けず、近所のとんかつ屋さんでアルバイトをしながら自主練、週末は試合の日々。サッカーをする環境が今よりもあるわけがなかったので、色々なことを考えました。

そんなある日、自主練をしていた公園でブラジル人の友人と知り合います。ブラジルのクラブのユニフォームばかり着て練習していたので、僕のことをブラジル人だと思って話しかけてくれたのがきっかけでした。

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