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ムーンブルクの王女の物語ープリンのしあわせな日々(番外編)ー
「プリン、オーブンのキッシュの具合はどう?」
「はい、もう少し焦げ目が付くくらいが良いかと思います!」
今回のパーティーは初めてここベラヌールで行われることになったので、私たちは大忙しであった。
これまでの毎年のパーティーは城で行われていたので、会場の広さも十分であったし、手伝いの人手も事欠かなかったが、このベラヌールの会場はあくまで個人の住宅に過ぎない。もっともゲストは三組だけなので、パーティーだけならまかなえないことはないのだが、さすがにベッドルームは足りなかったので、それぞれベラヌール市内のホテルに泊まってもらうことになっている。
毎年恒例のこのパーティーが催されるようになったのは三年前からだ。そもそも最初の呼びかけ人は竜王様であった。
「あなた方のおかげでハーゴンの一味も一掃され、世の中も落ち着いて久しいので、どうでしょう、私の城でディナーなどおもてなしさせていただけないでしょうか?」
美食の殿堂として名高い竜王城ということもあって、第一回は大好評だった。そうして始まったこの同窓会的なパーティーは、その後、ローレシア城、サマルトリア城と順に回っていき、今回はここベラヌールとなったのである。
「ムーン様、ローレ様がお着きになったようです」
「プリン、ちょっと私は手が離せないから、あなたがお出迎えして差し上げて!」
二人だけで準備しているのでバタバタであった。
私はローレ様たちを応接室にご案内差し上げた。昨年、ご結婚されたばかりの王妃様を連れてのお越しで、王妃様がパーティーに出席されるのは今回が初めてである。
「プリンさん、おひさしぶりです。お元気そうですね」
「ローレ様、そして王妃様、ようこそお越しくださいました。主人もすぐに挨拶に伺いますので、しばらくお待ちください」
「あわてなくて大丈夫ですよ。僕たちはだいぶ早めに着きましたからね。お気遣いなく」
私は事前に用意しておいたウェルカムドリンクのレモネードと、クリームチーズを載せたクラッカーをお二人にお出しした。
ローレ様は、若々しく精悍なお姿で、国王になられて二十年ほどたっているとは思えないほどの、気さくな方である。世間では名君として知られ、各国の王や元首たちからも一目置かれていて、国際政治の実質的なリーダーでいらっしゃる方とは思えないほどである。
長らく独身であったローレ様が一年前にご結婚されたというニュースは、それこそ世界中を驚かせた。お相手はローレシア王国の庶民出身の方で、ローレ様よりはひと回りほどお若い方であったが、落ち着いた雰囲気の女性で、その結婚を世界中の人々が祝福した。私もムーン様のお付きとして、結婚式に同席させて頂いた。
「ローレ、来てくれてありがとう!」
「ムーン、ちょっとばかり早く着いてしまって、かえってご面倒かけてしまったね」
「全然! サマンサ様はこちらは初めてでしたわね。ゆっくりしていってくださいね」
「ムーン様、ありがとうございます。このような場にお招き頂き恐縮ですが、なにとぞよろしくお願いいたします」
ムーン様は、ローレ様とハグを交わされた後、王妃のサマンサ様ともご挨拶を交わされ、お二人の応対を始められた。
私は準備のためにキッチンに戻りつつ、ムーン様とローレ様のお二人のことを思った。
お二人がハーゴンを倒すための長い苦難の旅をご一緒され、その後、それぞれの国のためにご尽力されている間も、お二人はひかれ合い、愛し合っていらっしゃったのは、私もうかがい知っている。しかしムーン様は、決してローレ様とは結ばれることのないご自身の立場を考慮され、これまで過ごしてこられたことは私も理解している。
私は、ムーン様がローレ様に向けるまなざしに少し嫉妬しつつも、ローレ様のかたわらに王妃のサマンサ様がいらっしゃることに、どこか安心する思いを抱いていた。そしてそうした私自身の心の中に浮かんだ暗い感情に、私はあさましさを感じた。
そうこうするうちに、サマル様と竜王様もお着きになった。サマル様は王妃様と、十歳になる双子の王子様、王女様をお連れのお越しであった。竜王様はお一人でのお越しであった。
「ムーン、今回はお世話になるよ!」
「サマル! おひさしぶりね。子供たちも元気そうね」
「君たち、ムーン様にご挨拶しなさい」
「ムーン様、レックスです!」
王子様は元気良く挨拶された。
「ムーン様、タバサです。おひさしぶりでございます」
王女様はキラキラした視線をムーン様に向けられた。
「みんな、今日はゆっくりしていってね」
「騒がしくしてしまい、申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします」
「いえいえ! 楽しんでいってくださいね」
王妃のマリア様が少し恐縮しつつご挨拶されたのに対し、ムーン様は、二人の王子様、王女様に優しくあたたかいまなざしを向けられつつ、お応えになった。
「竜王様、ようこそお越しくださいました」
「ムーン殿、今日はあなたの手料理を頂けると思って心待ちにしていたのですよ」
「あら……美食の殿堂として名高い、竜王城のご主人からそのようなお言葉を頂けるとは、緊張してしまいますわ」
「いえいえ、我が竜王城にレシピを授けてくださったのは、かのローラ姫様であったと言い伝えられています。あなたこそ、ローラ姫様の料理の正当な継承者ですよ」
竜王様は微笑まれ、ムーン様もそれにお応えになった。
ムーン様と竜王様の間には、他の誰にも代え難いようなつながりがあるように感じられた。それは恋愛のようなものではなく、かと言って友情と表現するのも違うような、あえて言うなら同志のような関係なのかもしれない。
「プリン殿も、元気そうですね。またこれまで以上に、成長されたようですね」
「はい、今年で23になります」
「ムーン殿のところに来て、十年がたちますか……」
「はい、でもまだまだ学ばねばいけないことが、たくさんあります」
竜王様は目を細められた。
ゲストが皆そろったところでパーティーの始まりとなった。ムーン様と私で用意した料理と、ムーン様自身の選りすぐりのお酒で、皆様をもてなした。
話題の中心はやはりハーゴン征伐の話で、破壊神シドーを倒した後、崩壊していくロンダルキアの神殿から三人を救出し、その背に乗せて飛び立ったのは竜王様であったということは、今回初めてうかがった。今ここにいらっしゃるのは端正な紳士のお姿の竜王様であるが、その本性は巨大なドラゴンの姿であるというのは、何だか実感がわかないところでもあった。
宴もたけなわになってきた。この中でお酒に強いのはムーン様と竜王様だけで、私は給仕の仕事もあるのでお酒はほどほどにした。ローレ様ご夫妻は早くもほろ酔いとなられ、またサマル様のご家族はお子様たちもいらっしゃることなので、早めに宿にお戻りになられることとなった。
ローレ様とサマル様のご家族をお見送りするため、ムーン様が対応されている間、私は竜王様と二人きりとなった。その時、竜王様は私にこう尋ねられた。
「プリン殿……あなたはこれで良かったのですね?」
私はその竜王様の言葉に驚愕した。
「竜王様……ご存知だったのですね」
「はい。しかしこのことに気付いているのは私だけです。ムーン殿もご存知ではありません」
「……」
「私は……正直なところ、あなたの魔法の力の強大さに、恐れおののくばかりです」
「竜王様……」
「あなたは、時間を巻き戻すだけではなく……その巻き戻した時間の先で、あの「クリムゾン・キング」と二人の強力な魔法使いを、たった一人で葬ってしまったのですから」
私は、竜王様はすべてご存知であることを理解し、答えた。
「はい……確かに私は、時間を巻き戻し、歴史の流れを変えてしまいました。それは神をも畏れぬ所業と思っています。ただ、私の願いは……」
「分かります……あなたはムーン殿と、一緒にいたかっただけなのですね」
私は黙って、うなずいた。
竜王様は、静かに私を見つめている。その表情に、私を責める感情は感じられなかった。
そう、私はただ、ムーン様と一緒にいたかった。それはムーン様を愛しているからに他ならなかった。
しかし私がムーン様を愛する気持ちと、ムーン様が私を愛する気持ちは、その大きさでは変わらないものの、その愛の形は少しばかり違うものであった。かつての私は、その愛が受け入れられなかったと思い込み、ムーン様に憎しみを向けてしまった。しかし今となっては、愛の形に違いはあっても、互いに愛し合い続けることが出来れば、それで良いと思うようになったのだ。
「竜王様……ムーン様は、竜王様のことを愛しておられるようです」
「はい。私も、ムーン殿のことを愛しています」
「……」
「……ただそれは、恋愛とか、身体を求め合いたいとか、そういうものではないと思います。それはムーン殿も、同じ思いなのだと思います」
「……そうなのですか?」
「あなたがムーン殿を愛し、ムーン殿があなたを愛されている気持ちと、それは決して矛盾するものではないと、私は思います」
私の目からは思わず涙がこぼれた。それはとどまることなく流れ続けた。
私は、ムーン様の愛を独り占めしたいと思っていた。孤児だった私を引き取り、私を一人前の魔法使いとして育ててくださったムーン様。私にとってムーン様は私のすべてであった。しかしムーン様は、私を愛してくれるのとともに、ローレ様を愛し、竜王様を愛していらっしゃる。そうしたムーン様の思いを受け入れることが、私がムーン様を愛するために必要なことだということを、理解したのであった。
「プリン殿……大丈夫ですか?」
「ええ……竜王様、申し訳ありません。私は大丈夫です」
しばし沈黙が流れたが、その後、私は続けた。
「……竜王様は、私のことを許してくださいますか?」
私が歴史の流れを変えてしまったことで、ムーン様が竜王様の元で暮らすようになるという未来も変わってしまったはずだ。
竜王様はしばらく考え事をされていたようだったが、やがて私の言葉の真意をとらえて、こう答えられた。
「私は、今のこの関係が、けっこう気に入っているのですよ」
そして微笑んで、私のことをご覧になった。私は竜王様に深々と頭を下げた。
ゲストの方々がみなホテルに戻ってお休みになられたので、私とムーン様はキッチンに立って簡単な片付けをした。本格的な洗い物は明日の朝に回し、鍋の焦げ付きが残らない程度の簡単な洗い物だけ済ませた。
「プリン、今日は遅い時間までご苦労さま」
「いえ、ムーン様……私も楽しかったです」
私はキッチンの横に並んで立つムーン様に対し、愛おしい気持ちを抑えることが出来ず、ついその右腕に取りすがってしまった。
「あら……! どうしたの、プリン」
私は自分の突発的な行動に自分自身、どぎまぎしつつも、勇気を振りしぼって言った。
「……ムーン様、今日は一緒に……寝させて頂いて……いいでしょうか……?」
私は顔が真っ赤になって、うつむいてしまったが、ムーン様は左手を私の背中に添えて、こうおっしゃった。
「あら……プリンはいつまでたっても甘えん坊さんね」
「ムーン様……」
私が時間を巻き戻し、歴史の流れを変えてしまったこの現実は、あるいは偽りの現実なのかもしれない。この神をも畏れぬ所業を行なってしまった私に、いずれその報いを受ける時が来るのかもしれない。しかし今はただ、この与えられたしあわせな日々を、大切にしたいと思った。
隣で静かに寝息を立てるムーン様の横顔を見つめながら、私は小さく声に出して言った。
「……ムーン様は、私のことを許してくださいますか?」