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内藤君の個展(『編集者・石川知実の静かな生活』)

 内藤君の個展が原宿のギャラリーであったので、週末におじゃましに行ってきた。
 内藤君はあたしの「ビールともだち」で、長い付き合いの写真家である。実はあたしもこれまでに何度も彼と一緒に「撮影旅行」に行って、写真を撮ってもらっている。ただし念のために断っておくが、内藤君とあたしはいわゆるそういう仲ではなく、あくまでビールと写真を通じたともだちなのである。
 内藤君は普段は神戸に近い御影を拠点に活動しているが、ときおりこうして都内のギャラリーで写真展を開催している。これまで何度か観に行ったこともあったが、今回はあたしの写真も一枚、展示されているので、その感慨もひとしおだ。

「えっ、あたしの写真なんて……」
「……ダメですか?」
「いや、そんなんじゃなくて、あたし素人だし、美人でもないし……」
「知実さん、僕はあなたの自然な雰囲気の写真が好きなんです。ぜひ使わせてください!」
 そういう訳で、ついにあたしも展示デビューしたのだった。

 展示が行われているのは、原宿でもいわゆる「ウラハラ(裏原宿)」に近いあたりにある「デザインフェスタギャラリー原宿」である。ここはもともと外国人用アパートメントだった建物をギャラリーに改装したもので、大小二十以上のスペースがあり、絵画、写真、ハンドメイドなど、さまざまな作品が展示、販売されている。比較的安価で借りられるので、美大の学生やアマチュア作家が多く出展しており、いつも賑わっている。外国人の来訪者も多いようだ。また展示スペースだけではなく、カフェやレストランも併設されている。
 内藤君の展示が行われているのは二階の比較的広めのスペースだった。しかしそこかしこに、かつてのアパートメントだった頃の名残りが残っていて、趣きがある。
「知実さん、お越し頂きありがとうございます」
「内藤君、個展開催おめでとうございます! これ、差し入れです」
「わざわざありがとうございます!」
 内藤君はアルマーニのポロシャツというラフな格好だ。袖からは細身だけど適度に筋肉の付いた腕がのぞいていて、少年の雰囲気すら感じさせる。もっとも内藤君はあたしより五つ年下なので十分若いのだが……。
 そして隣には、はっとするほど美しい女性がたたずんでいた。黒のノースリーブのワンピース姿だ。
「知実さん、紹介しますね。木村彩子さんです」
「はじめまして、モデルの木村彩子と申します」
「はじめまして、石川知実と申します。彩子さんの写真はいつも拝見しています」
「知実さんは、こちらの作品のモデルさんですよね」
 彼女が奥の壁に飾られた一枚の写真の方を見た。横長の、ポスターサイズの写真で、カフェバーのカウンターに腰掛けたあたしが、ビールのグラスを手にしている。頬は少し紅くなっており、表情はかすかに微笑んでいる。
 展示に使う写真については、事前に内藤君から相談を受けていたので、どの写真が使われているかは知っていたが、あらためてこうして大きくプリントされた自分の写真を見ると、いまさらながら気恥ずかしくなってきた。
 木村彩子さんは内藤君のミューズと言っても過言ではないモデルさんだ。内藤君は普段はコマーシャルカメラマンとして様々な写真を撮っているが、個人の作品としてはおもに女性のポートレートを撮っている。その被写体には、芸能人やアイドル、ファッションモデルが選ばれることが多いが、たまにあたしのような素人も被写体となっている。そんな中でも彩子さんを撮った写真は、内藤君の代表作と言えるものばかりである。
 実のところ、彩子さんに今回初めてお会いして、思っていたより小柄な方だったので驚いた。細身でスタイルが良く、顔立ちも涼しげな雰囲気なので、もっと高身長かと思っていたが、あたしと変わらないくらいかもしれない。ただ、顔が小さいので、頭身のバランスで背が高く見えるのだろう。あたしと一緒に並ぶと、自分の顔の大きさが際立ち、気後れしてしまう。
 彼女のことを内藤君の恋人か奥様だと思っている人も少なからずいるようだが、内藤君には入籍はしていないが長く連れ添っているパートナーがいるので、そうではない。しかし内藤君にとって、彼女が大切な人であることは、その写真からにじみ出ている。

 今回の展示では十二枚の作品が展示されていて、そのうち二枚が彩子さんの写真だ。個展のフライヤーに用いられている作品も彩子さんのものである。
 それは、海岸に一直線に延びたコンクリートの道のようなところに彩子さんがたたずんでいる写真で、海から吹きよせる風で彩子さんの髪は乱れて舞い上がっている。その足元は裸足だ。左右対称の構図からは、宗教画のような神々しさすら感じさせる。
 この写真は部屋に入って正面の、一番目に付くところに展示されていた。
「これは福島県南相馬市の海岸で撮った写真です」
 内藤君が展示の説明を始めてくれた。
「彼女が立っているのはコンクリートの防潮堤です。ここにはかつて集落がありましたが、東日本大震災の津波ですべて流されてしまいました。そして彼女が裸足なのは、彼女がこの世の人ではないことを暗示しています」
 この作品は東日本大震災の被災地をテーマにした一連の作品のひとつとのことだった。南相馬市に生まれ育ったある女性が、津波で命を落としたが幽霊となって現在に姿を表し、彼女の思い出の土地や場所を巡っていくというストーリーだという。震災とその後の復興によって、彼女が幼なかった頃とはまったく変わってしまった所もあれば、変わらずに残された所もある。そうした土地と記憶の断絶と連続性が、この作品の主題なのだということだ。
 他の作品についても、内藤君に一通りギャラリートークをしてもらった。さすがに自分の写真を前にすると気恥ずかしくなったが、あらためて全体の展示作品を通して見ると、あたしの写真もしっくりこの空間に収まって見えてくるので不思議なものだ。
 内藤君の作品は、女性のポートレートであっても、どこか静謐な印象を受ける。雑誌のグラビア写真のような煽情的な写真はほとんどなく、肌の露出もほとんどないので、一見すると地味な感じであるが、じっくり鑑賞すると女性の内面のエロスが静かににじみ出ているのが感じられる。
 内藤君が冷たいお茶を用意してくれたので、あたしの持って来たゼリーの詰め合わせを開けて、彩子さんと三人で頂くことになった。ところが間もなく、内藤君の仕事関係の知り合いが来廊したようなので、内藤君はそちらの応対に向かった。あたしと彩子さんは二人でお茶を頂きながら、展示の作品を振り返った。

「彩子さんの二枚目の写真……すごい色っぽいですね」
「ありがとうございます。自分でも、自分じゃないかのようです」
 その写真は、窓から柔らかい陽光が差し込むベッドの上で、下着姿の彩子さんが横になっているというものだった。下着姿ではあるが、それほど露出を強調した感じにはなっていない。それでも、素肌の透明感、そして彩子さんの恍惚とした表情が、エロスを感じさせる。
 あたしも同じようなシチュエーションで内藤君に撮ってもらったことがある。そのたびに、普段の自分からは考えられないような色っぽい姿を写真に残してもらい、いずれもあたしのお気に入りになっている。しかしそれに比べてもはるかに、この彩子さんの写真からはエロスを感じる。分不相応とは分かっていても、あたしは軽い嫉妬を覚えた。
 しかしこうしてじっくり作品を見ていると、彩子さんの表情には、カメラを向ける内藤君に対する絶対的な信頼感があることが感じられた。それに比べて見るとあたしの表情には、彼に対して「あわよくば……」という下心や邪念が含まれていて、それが写真ににじみ出ているのかもしれない。
「彩子さんは、写真に撮られている時に、どんなことを考えているのですか?」
「うーん、そうですね……」
「例えばこの写真とか、とても色っぽいじゃないですか」
「ふふっ……はい」
「あたしもこういうシチュエーションで内藤君に撮ってもらった時に、擬似的なものかもしれないけど、彼に恋愛感のようなものを抱いたりしてしまうんですけど……あら、恥ずかしい」
「それは、私もそうですよ」
「えっ?」
 彩子さんがあっさりそう答えたので、あたしの方がびっくりしてしまった。
「他のモデルさんはどうか分からないのですけど、私は演技で笑ったり色っぽい表情を作ったりすることが出来ないので、例えばこういう恋人同士のような写真を撮るときには、相手に本心で気持ちを向けるようにしています」
「……ほんとですか?」
「あっ、でもそれは内藤さんが本当に信頼出来る方だから、こういう表現が出来るのだと思います」
「うん、それはそうかも……」
「内藤さんも、撮影の時には本心で私を愛してくれているんじゃないかと思います。でもそれはあくまでその撮影の時だけで、実際に恋愛関係になったりする訳ではないんです。彼がその距離をしっかり線引きしてくれているので、私も安心して気持ちをさらけ出すことが出来るのだと思います」
「わかります」
「あっ、知実さん、彩子さん、お話し中すみません。ちょっといいですか……?」
 内藤君が、応対しているお客さんに紹介したいとのことで、あたしたちに声をかけた。
「こちらがモデルをつとめてくださった、石川知実さんと木村彩子さんです」
「あれ、やっぱりもしかして……『エンタメジャパン』の向井さん?」
「角間書店の永田さん……? ごぶさたしています!」
「あれ、お二人はお知り合いだったのですか?」
「ええ、以前いた編集部の時にお世話になった方で……あら、恥ずかしい」
 いらしていた三人のお客さんのうちの一人が、あたしが最初に配属されたエンタメ系雑誌の編集部にいた時に、同業他社ではあったがお世話になった人だった。聞くところによると、近々、角間書店から内藤君の作品集が出版されるとのことだ。
「まさか向井さんが内藤先生の写真のモデルをされているとは……でもこの写真、すごくいいですね。自然体で」
「ありがとうございます。でもやっぱり知り合いに見てもらうと、恥ずかしいですね……」
 内藤君がお客さんを送り出した後、ふたたびあたしたちのところに来て尋ねた。
「さきほどは二人で何を盛り上がっていたのですか?」
「あっ、それは……ええと……」
「ふふっ……「恋のさやあて」のような話ですよ」
「あら……それは穏やかではありませんね」
 内藤君は真面目な口調でそう言ったが、冗談だと分かっているので顔は微笑んでいた。

 会場に小一時間ほど滞在した後、失礼することにした。彩子さんは今日一日、在廊されるとのことだ。
 ギャラリーの中庭にあるカフェで、ブリュードッグのパンクIPAの缶を頂きながら展示を振り返っていた。内藤君の人柄がよく表れていた展示だったのと共に、木村彩子さんも素敵な方だった。ますます内藤君の作品も彩子さんの写真も好きになった。
 あたしが内藤君に写真を撮ってもらいたいと思い続けているのは、きっと彼がカメラを通してあたしに真心で向き合ってくれつつも、個人としては程良い距離感を保ってくれているからだと思う。それはきっと彩子さんや他のモデルさんたちとの間にもあるものなのだろう。あたしは、そうした内藤君の世界の中でモデルをつとめさせてもらい、彼の作品の一部になれたことに、充足感を覚えていた。
 今度は、彩子さんとも一緒に飲みたいな……なんてことを考えながら、あたしはギャラリーを後にした。

 

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