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アタシ、踊り子になります!(4)ー踊り子、入門ー
その日、まふゆは踊り子の市川ひなのとともに、振付師のレイカの前に立っていた。
レイカは元踊り子で、現在はジュエリーデザイナーの仕事をしつつ、踊り子の依頼を受けて振付をほどこす仕事もしている。もっとも自前の稽古場を持っているわけではないので、その都度、スタジオを借りてレッスンを行っている。
「いい、今日教えたのがステップの基本のボックスだから、最初はこれが目をつぶってでも出来るように身体に覚え込ますのよ」
ぎこちなくステップを踏むまふゆに、レイカはそう声をかけた。
「レイカ姐さん、まふゆちゃんの動き……どうですか?」
「うーん……リズム感はひどいものね」
ビートのある音楽に合わせて踊る時には、拍ごとに身体の動きを刻んでいかないといけない。これが上手く出来ていると、いわゆる「キレ」のある踊りとなるのだ。しかしまふゆの動きは、メリハリのない、つまり「キレ」のないものであった。
「ただね……悪くないところもあるんだ」
「悪くない……というと?」
ひなのが不思議そうな面持ちで聞いたので、レイカはまふゆに呼びかけた。
「まふゆちゃん、あなた、ダンスの経験はないって言ってたけど、何か習い事とかしてた?」
まふゆはそれまで続けていたステップの動きを止めて、答えた。
「はい……小笠原流の茶道を、高校生まで」
レイカは納得した表情で、ひなのに応えた。
「あの子、体幹のブレがないのよ。だからステップを踏んでリズム感がなくても、安定感があるのよね」
「なるほど……」
「だからあの子の踊りには、不思議な浮遊感があるのよ。あの子には無理にリズム感を付けさせるより、あれを個性にして伸ばした方がいいかもね」
レイカとひなののやり取りを不安そうに眺めているまふゆであったが、レイカはまふゆに声をかけた。
「今の動き、それでいいわ。それをしっかり自分のものにするのよ」
「はい! レイカ先生」
まふゆがひなのの元に「弟子入り」して早一週間がたった。ひなのはまふゆがデビューするまで面倒を見ることを、快く引き受けてくれた。
そして最初に行ったことは、振付師のレイカの元でまふゆの動きを見てもらうことだった。レイカはひなのや千沙子の振付も担当していた。
まふゆはこれまで踊りの経験はないとのことだったので、具体的に演目を作っていく前に、まずは基本的な踊りの動きを身に付けさせようと思ったのだ。他ならぬひなの自身も、踊りはレイカに仕込まれたのであった。
「じゃあ次はポージングね」
レイカは自らスタジオの床に座り、左の膝は折り曲げたまま、右脚を高く持ち上げた。
「これが「L字」ね。基本的なポーズだけど、最初は無理しないで、やってみて」
そう言われたので、まふゆもレイカにならって同じポーズを試みた。しかしレイカほど脚は高く上がらないし、膝のところで曲がってしまって真っ直ぐに伸びない。
「最初は身体が固いので、無理して伸ばさなくてもいいわよ。今度は今の半分くらいの角度で、右脚を上げてみて」
まふゆは前方に四五度くらいの高さで右脚を上げた。先程よりはだいぶ楽で、脚も真っ直ぐ伸ばすことが出来た。
「最初は脚を広げることよりも、脚を真っ直ぐ伸ばすことを意識して」
そう言うとレイカはまふゆの背中と腹に手を当てた。
「ほら、背筋と腹筋に負荷がかかっているでしょう?」
「はい……ちょっときついです」
「ポージングを支えるのは身体の柔らかさよりむしろ筋肉なの。ストレッチと筋トレは、欠かさずやってね!」
まふゆは、脚を真っ直ぐに伸ばしたポージングをそのまま維持する練習に取りかかった。最初は足先や膝がぷるぷる震えたが、伸ばしては下ろし、伸ばしては下ろしと何度も繰り返すうちに、安定して脚を伸ばせるようになってきた。もっとも、脚の角度はまだまだなので、まふゆはあらためて、これまでステージで観てきた踊り子さんたちの努力と鍛錬を実感した。
「脚の角度はそんなに大きくなくても、ステージできれいに見せることは出来るわ。例えばこんなふうに……」
そう言うとレイカは、ふたたび「L字」のポーズを取った。先程よりは確かに脚を上げる角度は大きくなく、四五度くらいだ。しかし右脚を先程より右に開くことで、横方向に開脚したような形となった。そうすると確かにダイナミックなポージングとなった。
「本当です! すごく脚が開いているように見えます」
「そう、ポージングでは、お客さんからどのように見えるかを、常に意識するのが大切よ」
結局この日は、ステップの基本的な型と、ポージングの「L字」だけをひたすら繰り返すレッスンとなった。具体的な演目の振付は、その内容が固まってからあらためて、ということになった。レイカの考え方としては、始めから色々なことを教えるのではなく、基本の動きを身に付けさせ、そこからは本人が自分で考えながら発展させていくべきだ、というのがあるようだ。
レイカのレッスンが終わり、まふゆとひなのは上野の寿司店に入った。ここは回転寿司ではなく、カウンターとテーブルがある店なのだが、値段はリーズナブルで、上野の踊り子の間でも人気が高いという。
「踊りについては、これからしばらくは自主練を続けてもらうとして、次は演目を作っていかないとね」
「はい、あたしも漠然としたイメージはあるのですが、どうやって作っていけば良いのか……」
「あっ、そうや。演目もやけど、あなたの名前を決めないとね!」
「はい!」
「何か、付けたい名前とか、ある?」
「はい……本名の名字が「雪村」なので、そこから取って「ゆき」にしたいと思うのですが……」
千沙子の小説の主人公の名前が「由紀奈」だったので、それにあやかりたいという気持ちもあった。
「うん、「ゆき」ね……あなたらしいわ。でも「ゆき」だけやと、名前がかぶってしまう姐さんが何人かいるので、名字も付けた方がいいと思うわ」
「名字ですか……どんなのがいいでしょう?」
二人は、アイドルやタレントの名字を色々挙げてみて、しっくりくるかどうか検討してみた。
「上白石ゆき、真行寺ゆき、綾小路ゆき……うーん、どれもしっくりこーへんねー」
ひなのの方が、何だか楽しそうである。
「姉小路ゆき、三条ゆき、六角ゆき……そうや! 「一条ゆき」ってどう?」
ひなのは「してやったり」という表情で、まふゆの顔をうかがった。
「えっ! それはさすがに、おそれ多いんじゃ……」
ストリップ歴の浅いまふゆでも、その名前が特別なものであることは知っていた。
伝説の踊り子と言われた「一条さゆり」。もう本人は亡くなって久しいが、それでもストリップの歴史を語る時には必ず出てくる人物である。その名字を戴くことは、さすがに気が引けたのである。
「大丈夫! あなたがそれに恥じない、立派な踊り子になればええんやから」
まふゆは頭の中で何回も反芻した。一条ゆき、一条ゆき……そのうち、その名前がしっくりくるように思えてきたのだから、不思議なものだ。
「ひなの姐さん、ありがとうございます。「一条ゆき」の名前、頂きました」
「良かった! とてもいい名前よ」
まふゆは自分の中に「一条ゆき」という新しい人格が生まれるのを確かに感じていた。そしてそれを大事に育てていきたいと、思いを新たにした。
「そういえば、ひなの姐さんはどうやって名前を決めたんですか?」
「うん、タレントさんから取ったのかとよく聞かれるんやけど、それは本当に偶然で、「ひなの」はハワイ語の花の名前から。「市川」は私の好きな歌舞伎役者から……」
「歌舞伎役者って、市川團十郎?」
「うん。でも実は十二代目の、海老ちゃんのお父さんの方なんやけどね」
芸能にうといまふゆにとっては、今ひとつピンときていないようだった。
名前が決まり、着実にデビューまでの歩みを進めていくまふゆであったが、ひとつだけ心に引っかかりを覚えていた。それは、デビューのことをまだタカシに話せていないことだった。
先月、千沙子の本の感想についてタカシと話した時、彼はストリップというものに対して否定的な感情を持っているであろうことが分かった。出来ればその時にデビューの相談をしたかったのだが、その機会を逸してしまい、そのままとなってしまっていたのだ。しかもその時は、言い争いにこそならなかったものの、まふゆは内心、気分を害してしまい、それにはさすがのタカシでも気が付いたので、気まずい雰囲気のままになってしまったのだ。
そして九月になり、タカシも博士論文の詰めに入って本格的に忙しくなり、二人で会う機会を持てないままになっていた。やり取りはもっぱらLINEであったが、まふゆが日中に送ったメッセージがなかなか既読にならず、明け方になって返信があるということもしばしばであった。
まふゆは、タカシに事前に話をしないままデビューを決めてしまったことを、後悔はしていなかったが、罪悪感のような、後ろめたい気持ちを引きずることとなってしまったのであった。