
アタシ、踊り子になります!(2)ースト活開始ー
「タカシ……鈴木千沙子さんの小説、読んだ?」
「あっ、ごめん……まだなんだ」
「ううん、このところ忙しそうだもんね……いいよ」
まふゆはひさしぶりにタカシとデートをして、イタリアンのミニコースの夕食をとっていた。まふゆはタカシがまだ貸した本を読んでいなかったことに少しがっかりしたが、今回のデートも半月ぶりくらいなので仕方ないかな……と思った。
まふゆが劇場に通うようになって一月ほどがたったが、まだタカシには「スト活」を始めたことは話していなかった。前回のデートの時に、たまたま最近読んだ本の話題になったので、このところずっと肌身離さず持ち歩いていた『裸の叫び』をタカシに手渡したのだった。
まふゆの知る限り、タカシは生真面目な性格で、おそらくこれまで女性関係も多くはなく、ましてや夜のお店や風俗店などには行ったこともないように見受けられた。
まふゆは自分でストリップを観て、それがいわゆる性風俗とは違うものであることは理解していた。しかし世間ではストリップが性風俗の一種とみなされているのは間違いないし、タカシの認識もそうは変わらないものであろうことは予想された。
だからこそ、本をきっかけにストリップの話題を持ち出すことが出来ればと、まふゆは期待していたのだった。どうやら、タカシに「スト活」のことを話すのは、もう少し先になりそうだ……とまふゆは思った。
「そういえば、最近のまふゆ、前より元気になったんじゃない?」
「そうかしら……? 家に閉じこもっているんじゃなく、外に出かけるようになったからかもね!」
「良かった……。今度、どこか旅行に行こうか?」
タカシの安心したような、うれしそうな顔を見て、まふゆはうれしくなった。
「でも、いいの? 博論、忙しいんじゃない?」
「秋になると大詰めになるので、むしろ今のうちじゃないとチャンスがないかも……」
「ありがとう! どこに行こうかしら……?」
会社員だった頃も、その後無職になってからも、ずっと沈みがちだったまふゆにとっては、ようやく活力が出てきたように感じられた。そしてそのきっかけをくれたのは、まさにストリップであったと感じたのであった。
まふゆの「スト活」はもっぱら千沙子の「追っかけ」であった。今風に言うなら「推し活」とも言えるものだろう。千沙子が出演する劇場は、だいたい上野、池袋、そして神奈川県の大和で、時折、福井県の芦原温泉に出ることもあるようだった。まふゆはさすがに芦原温泉までは行けなかったが、上野、池袋、大和はいずれも訪れた。
そしてこの時は大和の劇場だった。千沙子は一番目の出演で、二番目は千沙子が師匠と慕う愛川ジュリであった。
まふゆの住む目白から大和までは、電車を乗り継いでいく必要があるので、あたかも小旅行の雰囲気がある。しかしまふゆは一度、行ったことがあるので、今回は慣れたものであった。
小田急線と相鉄線が乗り入れている大和駅を降り、戦後の闇市の雰囲気を残した一角を通ってしばらく歩くと目当ての「やまとミュージックホール」だ。
大和の劇場は上野や池袋に比べるとかなり広く、また売店もあって軽食も食べることが出来る。そのどこかのんびりした雰囲気が、まふゆにとってもお気に入りだった。
そして時間となり、この日の一回目の公演が始まった。
千沙子の演目は黒猫をテーマにしたものだった。ネコの耳と尻尾を付けた千沙子は、時に可愛らしく、時に気まぐれな様子を見せた。
「まふゆちゃん、今日も来てくれてありがとう!」
「千沙子さんの黒猫の仕草、可愛かったです!」
まふゆはもうすっかり千沙子の馴染みとなっていた。
「次の回もいますので、ポラは預かりでお願いします」
「良かった! ゆっくり観ていってね」
撮ったポラを「預かり」にしておくと、次回のポラタイムの時にサイン入りのものを受け取ることが出来る。千沙子はいつも短いメッセージを書いてくれるのだが、まふゆはそれを読むのをいつも楽しみにしていた。ポラタイムの時に演目の感想を伝えると、ポラのメッセージにその返信を書いてくれることもあり、そんな時はちょっとした交換日記みたいだな……とまふゆは思った。
千沙子のオープンショーの後、舞台は暗転し、二番目の愛川ジュリの登場である。
BGMとともに舞台に現れたのは、ノースリーブの黒いドレスを着たジュリであった。背中の素肌が見えたデザインであったが、全体的に落ち着いた雰囲気である。小道具にテーブルとグラスが置かれていたので、クラブの雰囲気を表現しているのだろう。
そしてジュリは踊り始める。ジュリのステージを見るのは初めてであったが、その動きにまふゆは見入ってしまった。
ジュリの踊りはとりわけ技巧的なものではなく、むしろゆったりとしたものであったが、どの角度から見てもその姿は美しかった。
公式プロフィールの記載を見る限り、彼女は今年で五十歳である。しかしその肌は艶やかで、決して細すぎることはなく女性らしい丸みを帯びてはいるが、その下には鍛えられた筋肉があるに違いなかった。
演目は進み、今度は赤いドレスに変わった。そしてそれを最後に脱ぎ捨てると、ジュリの肉体のすべてが明らかになった。
まふゆはあらためてストリップの魅力を実感した。美しい衣装やメイク、踊りのテクニックや演目の表現力、いずれもその魅力の重要な要素である。しかしやはりストリップならではの魅力とは、踊り子の肉体をダイレクトに感じられることではないだろうか。
まふゆはジュリの肉体を愛おしく思った。それは人間の肉体を肯定してくれているように感じたからだ。
演目が終わりポラタイムになったので、まふゆは列に並んだ。まふゆの前に並んでいる客は背の高い、短めのグレイヘアの女性で、そういえば今日は心なしか場内にも女性客が多めだ。たしか前の女性は千沙子のポラタイムの時にもいたな……とまふゆが思っていると、ちょうど前の女性の順番となった。
「サクラコ先生! おひさしぶりです。ようこそ大和へ」
「ジュリさんもお元気そうで良かったわ。これ、先日の取材旅行のお土産」
「これ、京都の中谷菓舗のでっち羊羹ですね。ありがとうございます」
「そうなの。次回作のために、北白川の尼寺に行ってきたの」
どうやら二人は知り合いのようだ。聞くともなく二人の会話を耳にしていたまふゆであったが、
「お姉さん、ごめんなさい。ツーショット、撮って頂けるかしら?」
と前の女性に声をかけられたので、驚いてあたふたしてしまった。
まふゆは戸惑いながらも手渡されたデジカメで、ジュリと女性が並んだ姿を撮影した。こうやって他の人のポラ撮影を手伝うのは初めてだったので、上手く撮れたか自信がなかったが、デジカメを受け取ったジュリがプレビューを見て、
「うん、きれいに撮れてるわ。ありがとう」
と笑顔で応えたので、ほっとしたのであった。
後日、この前にいた女性こそ、愛川ジュリをモデルにした小説『ステージライト』を書いた作家の梅田サクラコであったことを、まふゆは知ることとなる。
そしてまふゆの順番が回ってきた。
「千沙ちゃんのお客さんね。観てくれてありがとう!」
「……ま、まふゆといいます。ジュリさんの舞台を観て……感動しました!」
緊張のあまり、感動を上手く言語化出来ずにもどかしい思いをするまふゆであったが、ジュリはその様子を見守るように微笑んでいた。
「ポラのポーズ、どうする?」
「……ええと、おまかせで二枚、お願いします!」
まふゆは千円札一枚をジュリに手渡した。まふゆがデジカメを構えると、ジュリはパッと脚を上げるポーズを立て続けに二度、決めた。
「ポラは預かりでいいかしら?」
「はい、お願いします……。あの……」
「何かしら?」
「……あたしもいつか、ジュリさんと……いえ、何でもありません!」
まふゆは、自分の中で沸き起こっている気持ちを抑えきれずに、思わず心の声を口にしてしまった。
ジュリは一瞬、驚いたような表情を見せたが、すぐに笑顔に戻って、こう言った。
「私も、待ってるわ!」
帰りの小田急線の車内で、まふゆはまだ気持ちが高まってどきどきしていた。これまで「スト活」を続けてきて、観客としてステージを観てきて、千沙子の小説の主人公のように「自分もステージに立ちたい!」という気持ちになることはあった。しかしそれは現実味のない妄想に過ぎないと、自分に言い聞かせていた。
しかし今日、愛川ジュリの舞台を観て、それが抑えきれない衝動になっていることに、自分でも驚きを隠せなかった。
ジュリがかけてくれた言葉を噛みしめながら、まふゆは新しい一歩を踏み出そうと、心に決めた。