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9.11あの日 2001年9月11日フランクフルト

2001年9月11日に何をしていたか覚えている人はたくさんいるのではないでしょうか。
アメリカ同時多発テロ。アメリカンとユナイテッド航空機がワールドトレードセンターに突っ込んでいく映像は全世界の人に大きな衝撃を与えました。
2001年9月はドイツのフランクフルトで私が商社マンとして勤務を開始した月でもありました。
フランクフルト市内ヴィリー・ブラント広場駅徒歩1分のオフィス街に職場があり、欧州中央銀行(後に移転、現ユーロタワー)の隣のビルに勤務していました。

この日はなぜか事務所の内装を変える日で、私も上司から、営業ついでに、みんなの机の上に敷く透明のデスクマットを買ってくるように。見つけるまで事務所に帰らなくていい(笑)との指令が出ていたので、市内随一のショッピング目抜き通りであるツァイル通りをデスクマットを探して午後から歩いていました。なかなか見つからない上に、カフェや買い物の誘惑もあり、あちこちで休み休みダラダラと東に歩きながらツァイル通りとコンスターブラバッへ広場の角にあった、今でもあるゼグミュラーという家具店の中にいました。

午後3時頃だったでしょうか。来独まだ間もなくで、私はドイツ語がほとんど分からなかったのですが、店内の空気が明らかにおかしくなっていたのを感じました。買い物客が皆、どこか不安そうな顔でいて、何人かは携帯で話しています。なんとも言えない胸騒ぎがした私のノキア携帯もけたたましく鳴りました。会社人事部の女の子からで、「今、どこにいるの? 」私「ゼグミュラーでデスクマット見つけたよ。何かあった?」同僚「それどころじゃないのよ!サウジアラビアがニューヨークを爆撃してホワイトハウスもペンタゴンも攻撃されたって!」
えー!さっきまでのただならぬ雰囲気はこれか…というか、なんだか、にわかには信じ難いのだが…
私は携帯で、その同僚に言いました。「大変な事だ…でもね、サウジアラビアは親米国だからアメリカを攻撃はしないと思うよ…」と意外に冷静に、自分。しかし一体なにがなんだか。何かがこの世界で起きている。

すぐに自宅に帰り待機するよう言われましたが、あ、ラップトップとか荷物をオフィスに置きっぱだと慌てて、私はすぐツァイル通りを西に戻りました。コメルツバンク本店の前あたりカイザープラッツ広場手前まで来るとEUの旗をつけた兵士が銃を持って何十人も隊列を組んでいます。通りは封鎖されてこれ以上進めそうにありません。広場には戦車がガラガラ音を立てて動いています。
この時、私は銃をガチャガチャ言わせている兵士も動く戦車も人生で本物を初めて見ました。カイザープラッツ広場にはパニックになっている市民もたくさんいてプチカオスで、隣にいたドイツ人サラリーマンが私に聞いてもいないのに一生懸命に英語で、アメリカのあちこちで複数のテロが起きており、念のためアメリカ大使館や欧州中央銀行を避難させているんだ、だからここから先のオフィス街は立入封鎖になったんだと教えてくれました。
銃を持った兵士、戦車、パニックになっている市民、街の全ての雰囲気がとてつもない緊迫感に溢れていました。この午後、フランクフルトは結局地下鉄は全線停止となり、私は45分かけてボーンハイムミッテの自宅まで徒歩で帰宅しました。自宅のケーブルテレビでCNNが繰り返し衝撃的なワールドトレードセンターの映像、煙の上がるペンタゴンの映像を流しておりとんでもない事になったと訳もわからず不安に思ったものでした。
あの時の雰囲気は一生忘れられません。私は議員引退後は一年おきくらいにフランクフルトを訪れますが、今でも買い物客や観光客でごった返すツァイル通りを歩くとあの日の午後を鮮明に思い出しては、平和の尊さと当たり前の日常をグッと噛みしめます。
私が後に、政治家を目指した原点の一つがこの日の体験だった事は言うまでもありません。危機下における政府対応、そして平和な世界への強い思いがありました。

続く


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