文書の細部にも宿るものは 【木下是雄著 『理科系の作文技術』】
昨日書いたNoteは文書を書くとき、その「組み立て」に必要な「幹から枝葉へ」という原則をご紹介しました。
話の展開や順番に気を配ることで「伝わりやすい」文書を作ることができます。
しかし、「全体的な流れ」だけでなく「細部にやどる品格」も大切だと、木下是雄先生、そして小山透先生がおっしゃっていました。
今回は「細部に宿る文書の品格」について書いていきたいと思います。
細部に潜む違和感をみつける「音読」
私たちは本を読んでいるときしばしば、「誤字脱字」を目にします。私が書いているこのNoteも、たまに読み返してみると「恥ずかしい」ミスをしていることがしばしばあります。
誤字脱字や、文章の変なところを取り除く最も簡単な方法があります。それは「音読」をすることです。
修士論文もなんとか書ききったものの誤字脱字がないかと何度も読み返しました。
その時一緒に住んでいた両親からは「何か変な声が聞こえるけど大丈夫?」と心配されたほど、コンピュータにむかって何度も何度もぶつぶつと喋っていました。異様ですね(笑)
しかし、この効果は抜群!読んでいるうちに変なところに自分から気づき、そこを直すことができます。「音読」は一度自分の文章を自分の文章でなくして客観化するための大切なプロセスです。
区切り文字の宗教論争
まず大前提として、区切り文字(カンマピリオド、句読点)は文書に一貫して同じものを使うことが「品格の高い」文書であることは間違いないことです。
しかし、文書を書くとき、区切り文字にどちらを採用するかで、よく宗教論争が起こります。
いわば、プログラムを書くためのテキストエディタとして何を使うか、vimかemacsか(ちなみに私はvim派)。
きのこの山とたけのこの里のどちらが美味しいか(ちなみに私はたけのこ派)。
どっちが良いかの論争は絶えません。
区切り文字では、「カンマ(,)ピリオド(.)」を使うのか、「読点(、)句点(。)」を使うのか、ですよね?
木下先生、小山先生ともに見解は一致していて、
「横書き」のときは、「カンマ(,)ピリオド(.)」
「縦書き」のときは、「読点(、)句点(。)」
を文書では使うべきだ、としています。
ちなみにこのNoteでは基本的に句読点を使っているのは、一見してみたとき馴染みを持ってほしいという意図が込められています。
結局の所、前回のNoteに書いたとおり、「読む人の立場になってどっちのほうが読みやすいか」を重視して選ぶ必要があるのでしょう。
漢字にするか、ひらがなにするか
文書の中で漢字にしてもいいけれど、しなくてもいいものもある、そんなときにどちらを使うか大いに悩んでしまいます。最近はだいたい感覚になってきましたが、改めて文書を書いてみると、
「通りに突き当たった時」と書くのか、
「通りにつきあたったとき」と書くのか、
「通りに突きあたったとき」と書くのか、
どこでひらがなを使い、どこで漢字を使うかで文書の印象は変わってしまうことに気づきます。(「気付きます」ともかけますよね)
正解はないものの私が一貫して意識しているのは「やわらかく伝わるように」ということでした。
細部に宿るものが、全部の印象になってしまう怖さ
人は、誤字や脱字がある文章を読むと「なんとなく心配、書いてあることは本当か?」と疑ってしまいます。
また、やけに漢字の多い文章を読むと「なんとなく硬いな、読みにくいな」と思うこともあれば、逆にひらがなばかりでも、「よみにくいな、幼稚だな」と思ってしまいます。
文書を書く上での品格、それは「コミュニケーション」をする上で相手がどう感じるかを考えた上で伝え方を考える、ということなのかもしれません。