部活と宗教とイニシエーション
私が体験してきた中高の部活。
未だに中学生からの友人と毎年集まることもあるのはなんでだろう、そんなことを最近考えます。
改めて最近の話をしなくても一緒にいることができるのは、なぜだか戦友だからなのか、
でもこの特殊な雰囲気は今まで部活しか味わうことがなかったと思い返します。
部活へのイニシエーション
今色々思い返すと、
中学テニス部に入ると、のんびりしていた自分は(今でものんびりしていますが)、練習中は「ファイト行きます!」(これを大きな声で早く唱えるので「ファーイキャース」となっていました)という掛け声をかけていたり、
声出しランニング、といって先頭から一人ひとり「ファイ」の声をかける人をまわしながら、他のみんなは右足で「オー」と叫んで走ったり、
「これをやるところなのだ」という無言の共通認識がある集まりにポーンと投げ込まれ、いつの間にかその中に溶け込んでいっていました。
あまりそれに疑いを持たずそのままで、あの声を大きく出している先輩も上手だから自分もそうすればそうなれるものかとも思っていました。
無意識のうちに、いつのまにかイニシエーションされ、冒険をしていた、といったところでしょうか。
宗教へのイニシエーション
さらに、中高はカトリックのミッションスクール。
実は両親祖父母がプロテスタント系の教会の信者だったこともあって、教会にはまったくの疑いもなく、いつの間にか、小さい頃からその中にいたわけです。
聖書の話も聞いたことがあったし、そういう空間にいたら、そういうものが当然とおもわれてしまう。そんなわけでした。
イニシャル、というくらいでイニシエーションはそういう集まりに溶け込んでいく、そんな意味かもしれませんね。
結社とイニシエーション
秘密結社にはいる、そんなこともイニシエーションを使うようです。
なにか新しいことを企む、そんなときにコラボレーションなのか、イニシエーションなのか。
いつまでも一体感を残し続けてくれる部活の経験は、紛れもなくイニシエーションから始まったわけだったのですが、
その後にコラボレーションがあったかというと、それもあったでしょう。
イニシエーションとコラボレーション。部活型だと、イニシエーションから入ってコラボレーションになる、という順番になったのが私の体験でした。
神話とイニシエーション
人々の心を惹き続ける神話も、イニシエーションから始まります。
そしてその後には果てしない冒険と成長と、そして帰還がまっています。
最終的には還ってくる。私も全国メンバーに入ったわけでもないのに、毎年後輩たちのいる、テニス部合宿に還ってくるのも、
もしかしたら、部活によってイニシエーションされ、様々な冒険を経た結果、還りたくなるのかもしれません。
冒険に怖気づいている私達を励ましてくれるのは、遠い昔から語り継がれ、読み継がれる神話なのかもしれません。
「古ーション」によって私たちは安心して冒険し仲間をつくっていくのでしょう。