板書は正しいノートの取り方じゃない
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今日はノートの書き方について。
昔、noteで「読書という行為」という記事を書いたらかなり反響がありました。
子供の頃の読書と大人になってからの読書は違うよって内容だったのですが。
それがこちら↓
僕たちは子供の頃に「こういうものだ」と習慣づいたことを大人になっても盲目的にやってるってこと、結構あるんじゃないかって思うんです。
今日テーマに書いた「ノートの取り方」についても、そうじゃないかって。
ノートって、よく先生からは板書しなさいって教えられた。
板書とはつまり、先生が黒板に書いたことをノートに書き写すこと。
でも、重要なのは先生が書いたことをノートに書くことじゃなくて、授業で教わったことを自分なりの解釈で理解して、覚えられること。そして必要な時にそれを思い出せること(テストに限らず!)。
じゃないでしょうか?
そう考えると、ノートの取り方も、人それぞれ自分が一番インプットしやすくて、なおかつアウトプットしやすい方法でやるべきなんじゃないかって、僕は思います。
例えば、見出しを大きくしたり、1ページを贅沢に使ったり、イラスト交えていたり、もはや漫画や四コマにしてみたり?笑
なんでもいいと思います。体裁なんて。
覚えられればいいんだから。そして必要な時にその情報を引っ張り出せればいいんだから。
もし、綺麗に板書してテストで全く思い出せずに60点の人と、授業の内容を全部4コマ漫画風にノートを取ってふざけてるように見えるけどテストは100点の人がいたら。
どっちが褒められるべきなんだろう。
重要なのは、理解できること、覚えられること、必要な時にその情報を取り出せること、そのためにノートを活用すること。
ノートを綺麗に書くことじゃない。
板書という牢獄から抜け出して、自由にノートを取ったらもしかしたら勉強が楽しくなるかもしれないし、今まで自分は勉強ができないと思ってた枠が外れて、めちゃめちゃ賢くなれるかも!
ブログにはまたちょっと違ったアプローチで書いてるので、よければブログの記事も読んでみてください!