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短編SF小説『筋肉の国』
五東圭介は小説家だった。大御所というわけではなかったが、それなりに名の知れた作家だった。
彼はスポーツを憎んでいた。今日は仕事が進まずイライラして、テレビで野球を見ている息子をこんな風に怒鳴りつけた。
「そんなくだらないものを見るな。世間ではもてはやされているが、スポーツマンなんて全部クズだ。現代は頭脳の時代だ。スポーツマンが世界を変えたか?歴史を変えたか?奴らがやってるのは「遊び」だ。所詮、社会の贅肉でしかないんだ。勉強をしろ!」
15才の息子は父親のこんな言動に慣れていた。黙ってチャンネルを変え、父親が立ち去ってからチャンネルを戻した。
五東はスポーツにコンプレックスがあった。学生時代に横暴な体育会系のグループに虐げられた経験が未だに彼の人格に影響していた。
二階の書斎へ上がろうとする時、突然頭痛に襲われた。五東が今までに経験したどんな頭痛よりも強烈だった。脳の血管が破れたに違いなかった。五東は階段を転げ落ち、光のトンネルを見て、気を失った。
五東は見知らぬ部屋で目覚めた。どうやら病室のようだ。ひとまず、自分が生きていることに安堵した。
それから手足が自由に動くことと、言語に異常がないことを彼は確かめた。
そこへ突然、全盛期のシュワルツェネッガーのような筋骨隆々の男が現れた。服装からして看護師のようだ。つぎに看護師は片腕を胸の前に力強く持っていき「パワー!」と言って白い歯を見せた。
マッチョが売りのお笑い芸人「かなやまきんに君」の有名なネタだった。ユーモアのある看護師だと五東は思ったが、あまりのシュールさに少しの恐怖心が彼の心に差し込んでいた。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」と看護師は聞く。
「五東圭介です」五島は答える。
タブレットに情報を入力し、看護師は微笑んで続ける。
「五東圭介さん。あなたの治療は完了しています。すぐに退院可能です」
「ああ、ありがとうございます。病気の原因は何だったのでしょう」
看護師は答える。
「それはドクターにより不明とされています。それよりも、貴方には国民番号がありません。さらにはノルマを達成していないようですので、すぐに役所へ向かって登録を済ませることをお勧めします」
国民番号とはマイナンバーのことだろうか。ノルマとはなんのことか。不可解な点はあったが、五東は家族への連絡を優先させたかった。
「家族に連絡を取りたいのですが」
「国民番号があれば連絡も可能となります。まずは役所へ向かってください。それではお元気で」
看護師は最後に笑顔と白い歯を見せて立ち去った。
病院の外へ出ると全く知らない景色だった。大都会だ。郊外の自宅からなぜ、こんな都会に運ばれたのか分からなかった。それよりも奇妙なのは道行く人々が、老若男女、誰もが肉体的に優れていることだった。看護師と同等かそれ以上に筋肉質な人々が当たり前のように行き交っていた。
「ボディビルの世界大会でもやってるのか、まったく」
五東はスマホも財布も持っていなかった。看護師の言った役所へ向かわなくてはならない。
「あの、ちょっとすみません」
五東は日焼けした筋肉質の女性に声をかけた。
女性が片腕を胸の前に構え笑顔で答える。
「パワー!なにか御用?」
この人まで「パワー!」をやるのだとすると、事情が違ってくる。この街では挨拶のように使われているのだろうか。
「パワー…、役所の場所を知りたいのですが」
女性は答える。
「ああ、あなた外国から来たのね?パワーはもっと元気良く言わなきゃだめよ。パワー!」
五東はぎこちなく「パワー!」をやった。女性が続きを話す。
「役所はその角を右に曲がって2ブロック先にあるわ。筋肉の国へようこそ!」
「筋肉の国」と彼女は言った。改めて周りを見回す。看板や、標識の文字は日本語だった。しかし、通行人はおろかポスターや画面の中の人物、衣料品店のマネキンに至るまで全てがマッチョだった。貧弱な体をしているのは自分だけだった。
それまでサッカーを流していた街頭テレビに「かなやまきんに君」そっくりな男が映った。電子オーケストラのジングルが流れる。
「パワー!筋肉の国、大統領のかなやまきんに君です!」
「6月から、すべての食品にプロテインを配合することが義務付けられました!これにより国民の筋肉量がすでに3%上昇したことを確認しています!」
「それから、国営トレーニングジムのマシンを最新のものに入れ替えています!最新マシンを、試すのかい、試さないのかい、どっちなんだい!?」
頭がおかしくなりそうだった。五東にとって、これは悪夢そのものだった。筋肉の国だなんて。だが、手の甲をつねると確かに痛みが走るのだった。
五東はとにかく役所へ向かった。道中、目にしたものは全てが筋肉と関連していた。スポーツ用品店。健康食品の店。クライミング施設。プール。屋内テニス場。映画館でさえ、上映しているのはスポーツをテーマにした作品ばかりだった。
五東が役所に入ると、周囲の視線が彼に集中した。無理もない、貧弱な体をした者は筋肉の国では異質なのだ。
「国民番号を登録するように病院で言われました。それで、家族と連絡が取れるとも聞きました」
受付のマッチョが答える。
「パワー!承ります。筋肉の国のシステムはシンプルです。こちらの虹彩スキャン装置でIDを作成していただくことで国民端末を発行できます。国民端末をお持ちの上でノルマを達成することで全ての国営サービスを無料で利用できるようになります。勿論ご家族との通信も可能です」
ノルマとは何なのか、そもそもこの国がどこにあって日本とどういう関係なのか不明だった。だが、五東は家族と話すのが先だと思った。言われるまま虹彩をスキャンし、端末を受け取った。
端末はスマートフォンによく似ていた。だが、文字が少なく、記号が多く使われていてより直感的だった。
五東は家族の名前を検索した。顔写真付きのリストが現れる。同姓同名の人々の顔が並んでいたが、検索範囲は全世界とされているにも関わらず、家族はどこにも存在しなかった。
「そんな馬鹿なことがあるか!昨日、話したばかりなのに!」
あらゆる知り合いを探したが一人も見つからなかった。五東は急に不安になった。全てが謎に包まれた「筋肉の国」で一人きりになったのだ。最後に息子を怒鳴りつけたことが今になって悔やまれた。
国民端末は肝心な情報を隠していた。スポーツニュースは表示するくせに、他の情報は世界地図すら見せようとしなかった。五東はこの国が情報統制されているのだと思った。
突然、国民端末が声を発する。「ノルマのお知らせです。本日の24時までに国営ジムへ向かいノルマを達成してください。あなたは現在、医療ポイントを15ポイント消費しています。ノルマを達成できない場合、ペナルティが課せられる可能性があります」
嫌な予感がした。情報統制をするような国家だ。ノルマを達成しなかった場合、どんな罰があるのだろう。想像すると恐ろしくなった。五東は国営ジムへと向かった。
国営ジムでは人々がトレーニングに励んでいた。広いフロアにマシンが200ほど並んでいる。利用者の会話が聞こえてきた。
「よし、ノルマ達成!」
「おー、お疲れ!俺もうちょっとだから待っててくれ!」
「あいよー、シャワー浴びてくるわ」
などという会話だった。薄々感づいていたが、この国では筋トレを国民にノルマとして課しているのだ。
生産性のない筋トレを国民に課して何になるのだろう。個人の健康管理を国が強制して行うなど、五東には狂っているとしか思えなかった。だが、ここは「筋肉の国」なのだ。五東はしぶしぶ、国民端末をマシンにセットしてトレーニングを始めた。
運動不足の五東の脚にペダルは重かった。しかも、ノルマは残り18000回転と表示されていた。五東は今日中にノルマを達成できないのではないかと思った。
それでもやるしかない。五東はペダルを踏みしめ、回転数を上げていった。
汗が吹き出す。骨がミシミシと軋む。鼓動が早くなる。
なんとか一時間ペダルを漕ぎ、五東はフラフラになっていた。24時まで残り4時間だったが、マシンは残り16000回転を表示していた。
「不可能だ」
五東は諦めた。端末を使ってプロテイン入りのビールとフライドポテトを買って食べ始めた。そしてベンチで眠った。
五東に誰かが話しかけている。
「五東さん、五東圭介さんですね」
五東は不快に思いながら、なんとか目を覚ました。24時だった。マッチョな警察官二人が五東を囲んでいる。
「筋肉警察です。24時、ノルマ未達成を確認しました。あなたを逮捕します」
筋トレをしないと逮捕されるという現実に、五東はフッと笑った。連行される五東を見てマッチョ達ががヒソヒソ声で言う。
「あんな体見たことないよ。あれじゃ無理だよな」
「どんな生活してたらああなるんだよ」
五東は嘲笑の対象だった。
五東は悔しかった。頭脳では、ことに物語を書くことなら、ここに居る誰よりも優れている自信があった。だが「筋肉の国」で、それは完全に無力だった。
パトカーの車窓を夜景が流れていく。車両は高架を通って大都市の中でも一際大きなビルへ向かいその中に滑り込んだ。五東は雑に車を降ろされフロアを見た。そのフロアには電話ボックスぐらいの大きさのカプセルが並んでおり、彼はその一つの前に立たされ、そこに入るよう命令された。
五東は抵抗することを考えたが、無駄であると悟った。鍛え上げられた警察官二人に敵うはずがなかった。彼はおそるおそるカプセルに足を踏み入れた。
カプセルの蓋が閉まり、シューッという音とともに異臭がした。カプセルはガス室だったのだ。五東は意識を失うと同時に、カプセルが垂直に上昇するのを感じた。
気がつくと五東は裸で壁に拘束されていた。大の字になった全身がビクビクと痙攣している。体を見ると全身にワイヤー付きのパッドが貼り付けられていた。痙攣は電気刺激によるものだった。
「畜生、こんなの刑務所のほうがマシだぞ!離しやがれ!」
五東はもがいた。だが、手足を固定する器具は頑丈でびくともしなかった。
電気刺激は定期的にインターバルに入った。そのたびに、上からノズルが降りてきて五東の口にまずい栄養剤を流し込んだ。人権無視も甚だしい。家畜のほうがマシだと思った。
前方のディスプレイに現在の筋肉量と目標値が表示されていた。あと一ヶ月はこの状態が続くことを知って、後藤は絶望と怒りに震えた。
「俺は小説家だ…小説家なんだ…。頭を使うことが仕事だ。こんな…こんな目に遭うなんて…」
これほど惨めな思いはしたことがなかった。五東は自分の運命を呪った。
7日目の夜、五東は心を無にしてひたすら耐えていた。そのとき突然、警報が鳴り響いた。ディスプレイに赤い文字で緊急事態と表示された。どこからか爆発音と銃声が聞こえ、それが近づいてきていた。
突然、拘束が解かれ、壁から自分の服がせり出してきた。五東はパッドを引きちぎり、急いで服を着た。誰かが部屋の外で叫んでいる。
「我々はレジスタンスだ!君たちを開放しに来た!共に戦う意志のあるものは部屋を出てついてこい!」
五東は部屋を飛び出した。AK-47と弾薬を持った男が廊下の奥に立っていた。
「俺は五東圭介、小説家なんだ!助けてくれ!」
レジスタンスの男は五東にサブマシンガンを渡す。
「小説家?同情するよ。今では誰も本を読まないもんな。我々は最上階に居る大統領を狙ってるんだ。この狂った国を正しい姿に戻さなくてはならない。さあ、行こう。エレベーターは止められている。階段で最上階を目指すんだ!」
五東はレジスタンスと共に走りだした。不思議と前よりも体が軽かった。電気刺激で筋肉量が増えていたのだ。以前の自分ならとっくに息切れしていたであろう長い階段を、10人のレジスタンスと共に登りきった。
最上階はマッチョな警察官に守られていた。レジスタンスが彼らに銃弾の雨を浴びせる。マッチョの表皮が破られ筋肉が弾け飛んだ。だが、その中から現れたのは内臓ではなく金属のフレームだった。彼らはアンドロイドだった。
「奴ら人間じゃなかったのか!」
「この国は機械に支配されてるんだ。大統領もおそらく人ではない。行くぞ!」
五東とレジスタンスは大統領の執務室へ飛び込んだ。
大統領「かなやまきんに君」は背中を向けて立っていた。鬼神の様な背中だった。
振り返りながらサイドチェストを決め、笑顔を見せて渾身のあれをやった。
「パワー!!!」
次の瞬間、銃声が響き、その笑顔と筋肉はバラバラに弾け飛んでいた。サイドチェストの形をした金属のガラクタが、その場に崩れ落ちた。レジスタンスたちが叫ぶ。「やったか!?」
静まり返った部屋で五東は壁面の大型モニターに日本地図が描かれていることに気がついた。その下にはこう書かれていた。「筋肉の国-2051」と。
「筋肉の国…?これは日本列島だ。筋肉の国は2051年の日本だっていうのか!?」
そのとき、天井のスピーカーから大統領の声が聞こえてきた。
「そうです。筋肉の国はかつて日本と呼ばれていました。今よりもずっと賢い人達が暮らしている国でした」
「しかし、2020年代の末期になると機械の知能が人間を上回りました。それ以来、知的労働は人間の仕事ではなくなり、人工知能がこなすようになりました」
「不都合なことに、半導体を使ったコンピューターの性能はそれ以上発展しませんでした。ムーアの法則が終わったのです。演算装置の性能が上がらないまま需要だけがどんどん伸びていき、AIの演算で膨大なエネルギーが消費されるようになりました。化石燃料は底を尽いていましたし、地震の多い日本で原子力は安全の観点から使用できませんでした。風力や太陽光などの自然エネルギーが利用されましたが、それでは賄えないほどにAIはエネルギーを消費したのです」
「ついに、国は人間をエネルギー源とすることを決めました。国民にノルマを課し、体を使って発電させました。国営ジムのマシーンには発電機が内蔵されているのです」
「国民のすべての労働は、ジムにおける発電に取って代わられました。知的労働はAIが担い、人は発電をしてAIの動力源となるのです。このシステムによって筋肉の国は歴史上最も平等な社会となりました」
「あなた達はかつての日本を理想としているようですが、日本は本当に良い国でしたか?格差はありませんでしたか?生まれ持った知能や性質によって差別されていませんでしたか?筋肉の国のほうがずっと平等な良い社会ではありませんか?」
レジスタンスは銃を乱射して叫ぶ。
「うるさい!黙れ!機械なんかに支配されてたまるか!」
大統領は言う。
「無駄です。私のプログラムは日本中に分散された演算装置によって実行されています。全てのノードが同時に破壊されない限り、私の処理は止まらないのです」
いつの間にか背後に警官隊が忍び寄っていた。レジスタンスと五東はテーザー銃で撃たれ、電気ショックで意識を失った。
五東は自宅で目覚めた。彼は階段の下でうずくまっていた。物音を聞いた息子がドアを開けて駆けつけたところだった。
「父さん、大丈夫?階段から落ちたの?」
五東は背中に受けた電撃の痛みを感じながら息子にすがりついた。
「ああ、広樹!会いたかったんだ!父さんは大丈夫だ。筋肉の国はどうなった!?」
「筋肉の国?なにそれ?でも父さん前より筋肉付いてるね。運動なんていつしてたの?」
息子は何も知らないようだった。五東は元の世界に帰ってきたことを悟った。
「ああ、そうなんだ。そうさ。これからは体を鍛えたほうがいいと思ってな」
息子は父親のらしくない言動にキョトンとしていた。
「体を鍛えなさい。勉強はもうしなくていい。そうだ、ジムにファミリープランがあったな、今すぐ契約に行こう」
五東は玄関を出て、夕暮れの街に走り出した。ジムは数キロ先だったが気にしなかった。呼吸が弾み、全身の筋肉が喜んでいる気さえした。五東は生まれ変わっていた。
氷山トモヒロ 2024