現代の地獄ハイチ大地震32万人死亡後のギャング支配・修羅の国と、拝金クリントン夫妻の鬼畜過ぎる横暴の限り【注意:残酷な写真含む】
カリブ海に浮かぶ世界でもっとも貧しい国とも言われているハイチ共和国が、現在、非常事態と言える驚愕の状況にある。
ギャングが刑務所を襲撃し、およそ4000人が脱獄したと見られるなど、国内の治安が急激に悪化する中、事態の収拾を図るため首相が辞任することになった。
ハイチは2010年の大地震により32万人の死者、不明者を出し、これは歴史上、二番目の地震被害であり、当時、大統領や首相でさえもホームレスになってしまうという信じられない状況であった。
その後も2021年、またもや大地震に見舞われ、2000人以上が死亡、さらにここ数年の政情不安により2023年3月20日現在、ギャングが首都を占拠している状態までになっている。
なぜハイチが今のような危機的な現状に至ったのか?
ここからその元凶となったクリントン夫妻のあまりにも非人道的行為について解説する。
ハイチの現在の危機の発端は2021年7月、ジョブネル・モイーズ大統領が武装集団により銃殺されるという事件である。
犯人らはいまだに逮捕されてはおらず、その後、ハイチは国家元首の選挙を行えず、大統領は不在という状況に陥った。
さらに2013年1月以降、国会議員すら不在になり、2019年を最後に選挙すら行われていないという世界的に見てもウクライナやガザと並ぶ最悪の事態と言えるだろう。
国会議員が消滅したものの、アンリ首相は今年の3月以降の海外訪問中にハイチ国内での大暴動が始まり、国内の2つの空港が攻撃を受けて封鎖され、首相はアメリカの自治領プエルトリコから帰国できなくなる事態となっている。
さらに、ハイチの刑務所が襲撃された結果、凶悪犯4000人が外部に出てしまうと無法地帯と化している。
なんと、道端に放置された死体が回収されないため、住民たちは腐敗した臭いに悩まされている。
そして極めつけは、通称「バーベキュー」と呼ばれている人物がギャングのリーダーとして実効支配しており、この人物は死体の足などを食べているという、現代とは信じがたい地獄と化している。
ちなみにこの放置されている死体に関しては、あまりにもグロテスクかつ倫理的問題があるため、各SNSや動画サイトでは画像と動画の削除を行っている。
では、なぜ、ここまでハイチが惨状に陥ったかという根本的原因が、元アメリカ大統領と元アメリカ国務相のクリントン夫婦であり、この二人によりハイチは壊滅的な状況になってるという点を具体的に明らかにしていく。
前述のようにハイチは2021年、モイーズ氏が大統領に就任した2日後に暗殺されるというアクシデントに見舞われた。
しかし、同年7月20日、国民一丸となは苦難を乗り越えようと宣言し、アリエル・アンリが首相に就任したものの、8月14日の就任直後に大地震がまた発生し、非常事態宣言を出し対応にあたることになった。
その緊急際代の最中、2023年に選挙を行い新政権発足させる予定で動く予定だったが、治安問題を理由に選挙が実施は不可能になり、アンリは独裁者として君臨し続ける事態となった。
そして、彼が権力にすがりついていることに不満を持ったギャングを中心に大暴動が発生。
ちなみにハイチにとって2月7日というのは非常に重要な日であり、ハイチで初めての独裁者が追い出されたのが1986年2月7日でもあった。
その後、初の民主的選挙で選ばれた大統領が就任したのが1991年2月7日 でもあり、アンリ現首相はそれに合わせ、2月7日に新政権発足すると宣言したが結局何も行われない事態に至っている。
さらにこの悪循環に拍車をかけているのがアメリカのフィリップスという人物で、2004年に当際のハイチ首相を追放した主導者である。
フィリップスは2017年6月のトランプ政権下で、麻薬の取引やマネーロンダリングをしたということで有罪判決を受けている。
コロンビア経由でアメリカ・フロリダ州にコカインを大量に送り込むルートを確保したのがこのフィリップスだった。
しかも、彼は有罪判決を受けて2026年まで刑務所に居るはずだったが、なぜかバイデン政権が2023年9月にフィリップスを釈放している。
また同年11月30日にフィリップスはハイチに帰国し、そこからまた活動を再開。
すぐに首相に退陣要求をし、「2月7日までに退陣しないのであれば我々はスリランカ式の抗議活動をやる」と宣言。
ちなみにデフォルトに陥ったスリランカは昨年、大統領が追い出されており、 そのケースと全く同じことをやるということを言い、現在それが実行されている状態だ。
つまり、ハイチはアメリカがバイデン民主党政権になってからも悲惨な状況が繰り返されて、アメリカはそれに対してなんら救済を行わないのだ。
そもそも、ハイチがアメリカ民主党から過酷な扱いをされていりのは現在に始まったことではない。
ハイチを世界最貧国にしたのは冒頭に述べたクリントン夫婦である。
実はクリントン夫婦は1975年のハネムーンでハイチを旅しており、この国に感動したという。
しかし、1995年、ビル・クリントン政権はハイチと自由貿易協定を締結。
結果として補助金が大量に注入されたアメリカ産の非常に安価な米がハイチに大量に流入することになり、ハイチの米農家を直撃し、米の生産量が一国内の生産量が激減。
ハイチの食料自給率はそれまで90%ほどあり輸入に頼る必要なかったところが、主食の米がアメリカの政策により輸入に頼らざるを得なくなってしまい、輸入依存国に転落。
つまりアメリカに頼らざるを得ない経済状況になってしまったのである。
さらに農村部の経済が破綻し、人々は都市部に出稼ぎに出るしかなくなったのだが仕事があるわけではない。
そのため、結局スラム街が形成されていった。結果、治安が悪化し、その負のループが、クリントン政権の際に始まったという流れである。
ハイチ国民は生き残るための食糧自給を奪われてしまった。
そこに拍車をかけたのがまたもアメリカの政策であった。
アメリカから、ハイチの大統領選挙に国務長官だったヒラリー・クリントンが全面的に介入した。
しかも2010年1月12日に前述した大地震が起き、 2月28日に大統領選挙が予定されていたものの延期となり、11月10日に大統領選挙を行うことになっていた。
しかし、ハイチの大統領選は過半数を取ることができる候補者が出なければ決戦投票になる仕組みとなっており、過半数候補がなかったため、決選投票となった。
決戦投票は翌年の1月16日に決っていたが、その決選投票で上位2名を誰にするかで揉めに揉めまくり、結局16日に間に合わないという事態に発展した。
最終的に3月20日に決選投票を行うことになり、投票されて1ヶ月後に、ヒラリー・クリントンが推薦し当選したミシェル・マテリが新たな大統領に就任することが発表された。
そのマテリだが、実は選挙の第1ラウンドでは3位だった。得票率21.8%で2位につけた人物が22.5%で僅差だった。
これに対してアメリカが文句をつけ、最悪なことにギャングを使って地震で亡くなった方たちの名前で不正投票を好き放題行うという暴挙に至った。
さらに2010年11月28日にヒラリーが直接ハイチに乗り込み、候補者に対して「あなた、この人が有利になるようイカサマをしたんじゃないの❓」と言いがかりをつけた。
そのため、大統領選は混乱し結論が出ず、その後1月30日になんと再びヒラリーがハイチを訪れ、またもや圧力をかけた結果、第3位だったマテリを第2位に繰り上げ、結果、決選投票ではなぜかマテリが圧倒的勝利を収めることになるという紆余曲折があった。
しかも、この選挙が終わった後、しばらくしてからアメリカ国内で情報公開請求があり、ヒラリーの首席補佐官がこの選挙結果を世界は認める、といった内容のメールを送ったことも判明している。
つまり、アメリカはハイチに操り人形のような政権を誕生させたのだ。
結局、この新しい政権は汚職ばかりを行い、これに対しては国民から猛烈な怒りを買っている。
驚くべきことにヒラリーは自叙伝の中で、自分たちの都合のいい人物をハイチの大統領として誕生させたことをあっさりと書いている。
彼女は国務長官就任直後の2009年、「ハイチに対するアプローチを変える。新たな実験をする国にする」と言い出した。
どういう実験かというと、従来の物資や金銭の支援ではなく、「投資だ」という。
つまり、ハイチという一つの国家を使いアメリカに利益が還元される仕組みを作ろうとしたのだが、結局、失敗に終わったのである。
また、ヒラリーはアメリカ国民に対する利益ではなく、アメリカにいるごく一部の権力者や金持ちに利益が還元される仕組みをハイチという国家を使って作ることに固執してきたということである。
ヒラリーの剥き出しの拝金主義と強欲さを象徴していると言えよう。
アメリカ、いやヒラリーにとって、ハイチに悲惨な大地震が起きることは介入するチャンスであった。
それはハイチを使い利益を上げることを意味する。
だからこそ都合のいい大統領をプッシュすることで、ハイチの国家運営に介入し、その結果、復興支援の破壊までも進んだ。
さらにここからが「こんなことまで人がやることなのか❓」というほどの非人道的なアメリカの政策が始まる。
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