鹿児島県曽於地区のリサイクルの歴史を紐解く
自分が尊敬する、『そおリサイクルセンター』の宮地社長からそんな相談を受けたのが、昨年の夏頃でした。
そおリサイクルセンターといえば、自分が大崎町に関わるきっかけになった資源循環・日本一のリサイクルの取組みを、民間側としてここまで作り上げてきた企業。まさに日本一の資源循環の仕組みを語るうえで、なくてはならない企業です。
そして宮地社長は、そおリサイクルセンターの設立時から今に至るまで一貫して事業に携わっている立役者です。実績もそうですが、宮地社長からは"行政の方々の凄さ・行政の方々のここまで築いてきた信頼の深さについて"や、"住民の皆さんに信頼されて愛される企業であることの大切さ"など、考え方や想いからさまざまな事を教わってきました。
なによりも印象的だったのが
というお言葉です。
宮地社長にこの言葉を伺って、自分自身まだまだ未熟だということと、事業を続けていくことの価値を気づかせていただきました。
行政と民間の連携という、合作としても一番力を入れて取り組んでいることの大大大先輩からこの言葉をもらい、<良いときもあれば悪いときも絶対にある。それをどう乗り越えていけるのかが、最終的に大きな成果につながる。>自分もそうした視点を持って事業を続けていかなくては、と肝に銘じている次第です。
だからこそ、リサイクルがスタートして四半世紀が経過して宮地社長が「これまでの経緯がわからない人が増えてきたように感じる」ということは、色んな意味で深みのある言葉だと思います。
まず、この言葉の裏には<最近までは四半世紀にわたってしっかりと引き継がれてきた>という凄さがあると思います。
通常は、会社設立の経緯やその背景、想い、社会情勢などはすぐに忘れ去られやすいもの。新しく入ってきた人たちが「なんでこれをやっているの?」と言い、過去を踏襲せずに変えていってしまうことの方が多いのではないでしょうか。だから事業が継続しない、成果に結びつかないまま立ち消えていくことだらけだと思います。
一方でこのリサイクルシステムは、宮地社長以外の方は入れ替わりながらも、宮地社長が軸となって当時関わった人達の想いを引き継いできた。だからこそ成立し、成果が出ているのだと考えています。
そして、ここまで積み上げてきた宮地社長でも、「これまでの経緯が分からない人がいる」感覚を受ける状況があるということ。それは大変なことだと感じています。
そこで今回、宮地社長からのご相談を受けて色々と協議をした上で、改めてさまざまな関係者にリサイクルの成り立ちの経緯をインタビューしてまとめていくことを提案し、実現に至りました。
自分たちは、大崎町をきっかけにこの資源リサイクルの取り組みを勉強させていただいてきました。しかし、これは大崎町だけでなく旧曽於郡8町での協議からスタートしています。
そのため今回は大崎町の関係者だけではなく、旧曽於郡8町時代に関与されたさまざまな方へインタビューをさせていただきました。そこからは、今まで自分たちが知っていたよりはるかに多くの方々の想いや、考え、経緯によって成り立ってきたという事実を知ることが出来ました。
今回のインタビューは、まずはnoteの連載という形で公開していきます。最終的にはまとめた冊子の制作も予定しています。
これから少しずつ公開していきますので、ぜひ読んで頂ければ幸いです。