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顕在と潜在の狭間で

あぁ、久しぶりだなぁ。
こうやって文章を書くのは。
本当に久しぶりだ。

アウトプットに転じてみようとしたが、ある程度のアウトプットをし終えた直後に自分の中に『空っぽ』を感じた。その『空っぽ』を埋めるためのインプットをせねば、出涸らしの自分になっていく。
出せば出すほどに自分が『ちっぽけ』に思えてきて、虚しくなった。
その虚しさが嫌というわけではなくて、『自分はまだ入るのだ』と、虚しさを感じれば感じるほどに『自分は、まだ成長できる』という可能性を感じた。
虚しさに勇気づけられるとは。

文章を書かずにいようと思ったわけじゃない。
そうだなあ…ナチュラルに湧いてくるのを待った。
きっとひねり出そうひねり出そうとすればするほど、ひねられた物が出る。僕はそんなにひねくれてはいない。ということは、ひねり出された産物はきっと僕ではないのだ。

で、今はとりあえず人生を一生懸命、生きている。

最近になって、音楽を聴くことが怖くなった。
シンクロニシティが起こり過ぎるのである。
具体的に言うと、よく聴く音楽や気になった音楽が暗示するような出来事が頻発しているのである。
その音楽を聴いた潜在意識が、現実世界に引き寄せを起こすかのように。
逆に僕の顕在意識が、潜在意識に働きかけようとしているのかもしれない。
何にせよ、こういったシンクロニシティというのは、自分の居る次元に何かしらの変化を起こそうとしている、もしくは今まさに変化が起きている事を示唆しているらしい。
確かに、最近『いろいろ』あった。
しかしながら、その『いろいろ』をアウトプットするほどに、僕はまだ満たされてはいない。
ひねり出すのはもうやめるのだ。

じゃあポジティブな音楽を聴けば、ポジティブな結果を引き起こすのではないかという発想に至ったが、顕在意識が選んだ音楽というものは、どこかこう、しっくりこないというか、心の琴線に触れないのである。
『しっくりくる』『なんか腑に落ちる』という感覚だけが『人生が正しい方向に向いている』という事を教えてくれる気がする。でも、潜在意識的に『あぁ!それそれ!』って納得しているのに、顕在意識が『それどうなん?』と訴え続けているのである。
『潜在意識は高次元にある』というのがスピリチュアル界隈の一般論だが、それが疑わしくなるほどに、わけがわからない事が頻発している。
それはまるで、高次元行き発射台のロケットに括りつけられた顕在意識"俺"に対して、今まさにニコニコ顔で発射スイッチを押す潜在意識"俺"であり、『無理無理無理無理!!!無理だぁぁぁぁあ…!』って叫びながら無理矢理、高次元に飛ばされる顕在意識"俺"なのである。

そんな中、たまたま流れてきたのがビートルズの『Let it be』だった。
全てなすがままにって…って思ったが、そうする他ないのだから仕方ない。「しっくりくる」事だけが羅針盤ではあるが、現状は本当に辛い、違和感しかない。人生が複雑化し過ぎている。もっとシンプルに生きたいと思う事しかない。しかし、その事を選んだ自分にしっくり来ている。
この『潜在』と『顕在』のギャップを擦り合わせて、違和感を無くすことができたなら、おそらくそれが成長なのだろう。うん、しっくりきた。

んで、ここまで一通り書いて、読み返してみて思った。
こいつだいぶひねくれてんなって(笑)
あー、まっすぐになろうとしてんだろうなぁ。

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