長崎日々日記
混戦だった長崎市長選
今回の長崎市長選は、全国の統一地方選でも「1、2を争う」注目の選挙区だった。NHKラジオ第一放送午後7時の統一地方選後半戦告示のニュース。トップで報道されたのは長崎市長選で、4候補の第1声がかなりの時間を使って紹介された。
筆者は橋本氏に投票した。人口減少に対する危機感は知事選出馬当時から氏が焦点にしてきた問題意識であり、ついに今年、全国市町村ワースト1位の流出数が判明、衰退ぶりは市民の眼前に差し出された。これを食い止める(ソフトランディングさせる)政策は現職田上氏より豊富であるのは間違いない。若い情熱にも期待した。
投票結果は田上氏当選、8万6000票。橋本氏は5万4000票。高比良氏1万9000票。吉富氏4200票だった。橋本氏は田上氏に3万2000票差。高比良氏、吉富氏の得票数を仮に全部橋本氏がとったとしても、まだ8800票の差が残る。現職の壁は思いのほか厚かったと言わざるを得ない。
公会堂やMICEをめぐる住民投票条例請求を「袖にした」との批判が高まっていた田上氏であるが、乗り切った格好だ。4月22日付長崎新聞(田賀農記者)は、「連合長崎や経済界、建設団体などの組織が支援、現職の底力を示した」と分析している。ある意味、与野党相乗りの構図に橋本氏は果敢に挑んだ。
12年前の伊藤市長銃撃事件の渦中で名乗りを上げ、当時は「改革派」のイメージを携えながら登場した田上氏であるが、いまやすっかり様変わりしたかのようにも見える。混戦を抜け出したしぶとい強さの秘密は何であろうか。
長崎新幹線事業と密接に絡むMICE、大規模市役所建設、他の箱物…など、市の厳しい財政事情に見合わぬ事業は精査し見直すべきだ、という指摘は根強い。ただ、これら大型施設事業には当然、利権が発生する。しかし、田上氏は基本、これらの流れに逆らうことがない。しかも、この利権に手を突っ込んでいる様子はない。県都を牛耳る保守陣営、業者、その周辺を取り巻く人たちにとって、都合のよい「神輿(みこし)」である。そこがまず、大きいのではないか。その先行きを見通し、慎重に保身を図る能力には長けていると思われる。
筆者は田上氏の真の意味での組織票は「市役所(職員)」でしかない、と考えている。金子前知事が一時、建設間際の市民病院を“ご破算”にして、原爆病院と合わせ高次機能病院を建てる計画を打ち上げたことがあったが、田上市長は乗らなかった。市職組の「職場確保という権利」を優先したと推察する。県とあつれきを生じさせず、のれんに腕押しの手腕は見事だった。保守層と明確な食い違いが出た事業は、これぐらいしか思いつかない。当時金子氏が予定していた県庁跡地対策としての同病院構想は、その後、「県庁跡地では用地が狭い」との批判を受け、長崎駅裏ではどうか、という展開になっていた。関係しているのかどうかわからないが、その駅裏にMICEが建設される成り行きとなっている。
22日付長崎新聞で田賀野記者は、「市民の声を聞かない市長」と半ば断じているが、市民の声にも二面性がある。直接・間接「市民の口に糊する」事業は、たとえバラマキと批判されようが「声」として確実に耳を傾けている、という自負が内心あるかもしれない。姿勢はあくまで控えめであるところが支持の要諦か。スキャンダルには縁遠く、清潔感もある。その点も市民にある種の「癒やし」に近い安心感を与えているだろう。
橋本氏は長崎知事選出馬を打診された当時から、本音では長崎市長のほうに魅力を感じていたという。道州制を見据えたとき、牽引力を発揮するのは地方中核都市だという思いが強まる反面、ふるさと長崎のふがいなさに我慢がならないのだろう。元農林水産省の官僚、米ジョージタウン大大学院修了という経歴は申し分ない。今後の行政・産業を左右するIT分野の知識も豊富。市の指導者として現職より勝っていると考える市民は多い。それが票数にも反映された。
2015年の統一地方選挙当時から、市長選出馬を求める声は特に長崎市の将来を真剣に憂える街中の住民を中心に強かった。しかし、橋本氏は市議選出馬を選んだ。長崎へ避難してきた大震災被災者支援など、市民目線を大切にする地道な活動が共感を呼び、トップ当選につながった。市議会での活動を通じて現職の弱点を突き、支持者を増やした。戦略は十分練られたものだった。22日付長崎新聞出口調査報道によると、立憲民主支持者の半数以上が、橋本氏に投票したという。知事選当時は民主党の推薦を受け立候補した橋本氏だが、その色は薄まっている。何より長崎市の連合自体が、今回、現職側に回っているほどだ。政治的立場は穏健保守に近いと言えるのではないか。リベラル左派色が強い立憲の支持者の票が集まったというのは意外感も覚えるが、現職の変質を見抜いた票も取り込んだと判断すべきだろう。
では、いったい何が足りなかったのか。橋本氏支持者からすれば否定する思いは強いだろうが、「知名度」の浸透不足が挙げられそうだ。私事で恐縮であるが、筆者の父に橋本氏投票を依頼したとき、まず飛び出した発言は「ハシモトって、そいはだいか」というものだった。父は85歳、高齢ではあるがボケてはいない。いまだ見識を維持していると思うが、「それでもこの反応か」と、正直がっかりした。投票を快諾してはくれたが…。
筆者の60代の知人女性は選挙に関心が薄く、投票にもめったに行かない人である。ゆえにやはり橋本氏の名前を知らなかった。ただこの女性は市公会堂の破壊については大いに憤慨しており「(文化遺産を)壊さんでもよかったとに」と、現職の失政に厳しかった。五島市の知人に長崎市長選の感想を尋ねると、「橋本氏? ウーン、知名度がなかったんじゃなかったの?」という率直な言葉が返ってきた。話がそれるが、長崎市長と五島の縁はなぜか深い。田上市長はいうに及ばず、本島元市長も五島の生まれだ。金子氏とともに長崎を国政から睥睨(へいげい)する谷川氏も五島出身。かつて「五島票」という言葉が、長崎市長選ではよく新聞紙上に出た。いま、その影響力のほどは定かではないが、長崎市長選で勝つには、長崎市内だけでなく、五島にまで知られるほどの何かがないとダメかもというのは、うがちすぎだろうか。
橋本氏は、橋下徹大阪市長市政下で特別参与を務めた経験を持つ。場違いな比較のようでもあるが、橋下氏はまずメディア露出が先行し、それから政治家の道へと進んでいった。現代を生きる人々に対しては、メディア戦略が欠かせない。あるいは小泉政権下で行われた刺客総選挙。メディアがこぞって取り上げる刺激性に満ちていた。12年前の長崎市長選で、田上氏も全くの無名新人として名乗りを上げたのだが、伊藤市長銃撃後の異常事態の中で、全国から注目を浴びるメディア選挙の激戦をくぐり抜けての当選だった。橋本氏も市議会で存在感を示し、地元新聞・テレビへの露出は決して少なくなかったが、幅広い世代や各層に広がる訴求力にはいま一つだったかもしれない。
各マスコミ報道でも指摘されているように、橋本氏にとって他の2候補の出馬は、現職批判票の分散という意味で、最後まで響いたことは間違いない。ネットでは、橋本氏と2候補の得票数を足しても現職票に8800票足りなかったことに触れ、結局、現職肯定票が民意だったと強調する意見も散見されるが、筆者はそうは思わない。今回の選挙は前々回選挙に比較し、投票率が5.95ポイント下がったという。有権者数にすると2万票。田上票との差、3万2000票には届かないが、2候補の総数2万3400票を入れると、計4万3000票超の行方が試された計算になる。投票率が落ちず一騎打ちであれば、橋本氏に十分勝機はあった。田上氏の当選は、投票率低下にも救われている。
高比良氏は2016年の早い段階から市長選出馬への意欲を示していたという。県政界のベテランとして衰退一方の長崎市を活性化したいという気持ちが誰より強かったというのも本当だろう。ただ大変失礼とは思うが、果たしてどれほどの勝算を見込んでの出馬だったのか、という疑問を禁じ得ない。前回県議選長崎市区の当選票からすると1万2000票の上積み。まさに今回選挙の「陰のキーパーソン」になった印象は否めない。高比良氏の市長選乗り換えで空いた県議選長崎市区のポストに、自民新人が滑り込んでいる。
統一地方選の投票率低下は全国的傾向であり、長崎だけではないが、6ポイント近い低下というのは、どこに原因を求めたらよいのだろう。筆者は長崎市の経済力低下、中でも中間所得層の減少が響いているのでは、という推測を立てる。「衣食足りて礼節を知る」ではないが、貧困層の拡大が政治的ニヒリズムを深刻化させていないか危惧する。「貧しくなれば政治への関心が逆に高まるはずでは」という指摘ももちろん、理屈としては、ある。いま長崎市では三菱長船の縮小・撤退が進んでいるが、その数がいかほどかは別にして、たとえば設計技師らテクノトラートに代表されるような中間層が厚く存在すれば、政治意識がこうまで低くなることはないのではないか、という思いも抱く。新聞購読者の低下はネットの影響が強いことは言うまでもないが、同時に地方政治への関心の薄弱化も確実に生みだしているだろう。中間層空洞化と政治意識の変化は密接に絡んでいるはずだ。
選挙は投票終了直後からまさに次への選挙がスタートすると言われる。橋本氏が再挑戦するのか、依然、関心の的になり続ける。期待の声も大きい。23日付長崎新聞インタビューで多賀農記者は田上氏に「5期目への考えは」と問いただしている。田上氏は「もし(5期目を)やりたいと言っても、何の保証もない」と答えている。選挙期間中は「総仕上げ」ということばに触れ、これが最後というような言質を与えていたかに見える田上氏。筆者には「神輿をかついでくれるという保証があれば、続けても良い」と含みをもたせているように聞こえた。