前向き迷宮
心理カウンセリングの勉強をしていると、時々「なるほど」と思う興味深く分析したいものが現れます。
「ポリアンナ症候群」
ポリアンナ物語の主人公から名がついた様です。
「極端な偏りある前向き思考」という表現が相応しいでしょうか。
如何なる時も物事の「いいとこ」だけにフォーカスする。
「別にそれって幸せでいいことじゃん」
と確かに一見そう思えます。
「いいとこを見つけましょう」という教えは昔からあるものですし、最近では例えば最近の書籍やスピリチュアル情報でも「ポジティブ」という言葉は多く使われています。(それらを否定している内容ではありません)
では、症候群という呼び方は何故だろうという疑問が面白い鍵です。
「極端な偏りある」という部分。
「いいとこ探し」に執着してしまうことで「笑える=幸せ解決」だと、自分が乗り越えるべき課題や問題点の本質を置き去りに時間を進めてしまう。
その結果、明るく楽しくとあるようで、そこにある自己成長や他者の犠牲があることに眼を向けることがないため、現実的な精神成長がなく「事なかれ主義」で逃げ切ることが主軸となる。
特に現在から進んでいく世の中の大変革となる時には「生きる力」が何より必要となります。さて、本質的に成長と進化を閉ざした時間や環境、人間関係が積んできた因果はどのようになるのかは其々ですが、結局自分が見過ごしてきた果たすべき刈り取りはこれからの時代で逃げ切る事はないでしょう。
ポジティブという言葉の概念が最初から違った都合だけの解釈であったとも言えますね。例えば、全くそんなわけがないのに、陰陽の「陰が不幸」「陽が幸せ」のような短絡的な感覚での解釈のみがされてしまう思考が多く蔓延する環境があるのかもしれません。
「自分の身を守る」ことは勿論、生命として大切なことですが、何らかのトラウマなのか「強烈な保身」から生まれてきた潜在的回避思考と行動なのかと考えます。そのため、逃避できる環境、人を選ぶか、ひきこもるかとなるため、「なあなあ」と成長の足引っ張り合いと、それをまた肯定させるための極端な偏り思考を上塗り繰り返す。自己や周囲の課題や問題は増幅していくがそれは「不幸」だと眼を向けることないため、症状の応急処置で根本を乗り越えた次へ進むことがないでしょう。
未来を生きる世代に残したいこと。そんなことを考えるのは、ただの私の自由世界の話なのですが、自己の陰陽和合した平和な世の中を描く時に、実在している自分の内部のことだけではなく、世の中の様々な現象についても深く考えることが多くあります。
明らかになっていく世界を穏やかに生き抜いて参りましょう。
これからも宜しくお願いいたします。
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