鞆 肥後屋の歴史
江戸時代の建物である鞆 肥後屋。
元々は「肥後屋」という屋号であり、江戸時代から保命酒や鯛味噌を販売していた商家として営まれてきました。
肥後の国(熊本県)から来られた方が、この地でお店を始められた為、「肥後屋」という屋号がつけられたと聞いております。
お店の近くには「肥後屋通り」と呼ばれる小道もあり、ご近所様の中には、今も「肥後屋通り」と呼んでいる方もいらっしゃいます。
その後、建物は増改築された為、現在は店舗部分が江戸時代、私達が座って作業している畳部分が明治時代、その奥にある座敷は大正時代と時代をまたがり現存しております。
時代によって使われている瓦が違う為、屋根を見ていただくと違いが分かりやすいかと思います。
また、入口付近には、海に1~2年ほど沈め防虫処理が施された「塩木」と呼ばれる大きな梁があります。(松の木で作られています。)
隣の部屋まで一本で続いているのはとても珍しく、この梁を見る為に来られる方も時々いらっしゃいます。
この場所で長く続けられてきた商いでしたが、一旦閉められ、10年ほど空き家のままでした。
ご縁があり、この建物と出会い、建物の歴史と共に「鯛味噌」という鞆の食文化は残していきたいとの思いから、
2013年10月に新しく「鞆 肥後屋」として生まれ変わりました。
これまで、鞆の「鯛味噌」と言えば、味噌に白身魚のすり身を混ぜ込んだ比較的安価なものでしたが、素材にこだわり、味噌を主というよりも鯛を主とし、佃煮として改良いたしました。
当時の雰囲気を少しでも残していきたい為、「肥後屋」で使われていた看板を現在も使用しています。
「肥後屋」としての歴史、そして鞆の浦の歴史と調和するよう徹し、店頭では鯛味噌を試食していただきながら、お客様お一人お一人と会話を楽しめるよう「座売り」で接客させて頂いております。
鞆の浦の行って欲しい場所や訪れて欲しいお店などについて話をしていると、つい長くなってしまうことも…
少しの時間だけでは話したりないほど、鞆の浦には素敵な場所が沢山あります。
古い建物を維持していくのは大変なことではありますが、江戸時代からこの場所で商いをされてきた方々の想いを受け継ぎ、
鞆での暮らしを大切にしていきたいと思っております。
鞆 肥後屋