大分市明野地区の歴史研究(3)旧町村と大字、地名について
明野地区が造成される前の町村
明野地区の歴史について紹介される際「元々明治村猪野の一部であった」と紹介されることが多いのですが、実際には明治村以外の複数の町村にまたがっています。
以下のページで 1914年(大正3年)の地形図を見ることが出来ます。
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旧町村の境界を赤でトレースすると、複数の町村に跨っていたことがわかります。
町村の変遷
現在の大分市域は、平成の大合併 2005年(平成17年)1月1日 に北海部郡佐賀関町・大分郡野津原町が編入され行政区域が確定されましたが、直前の大分市は1963年(昭和38年)に大分市・鶴崎市・大分町・大南町・大在村・坂ノ市町が合併し成立しています。
明野地区も大部分が鶴崎市域でした。
大分市 ← 大分市 ← 滝尾村 ← 津守村、曲村、片島村、下郡村、羽田村
大分市 ← 大分市 ← 東大分村 ← 津留村、今津留村、萩原村、牧村
大分市 ← 鶴崎市 ← 桃園村 ← 乙津村、三川村、千歳村
大分市 ← 鶴崎市 ← 明治村 ← 猪野村、横尾村、小池原村、葛木村
大字明野 昭和32年(1957)~昭和47年(1972)
大字明野は、元々「大字猪野、大字小池原、大字横尾、大字下郡」の一部であったことが記載されています。
大字西明野 昭和42年(1967)~昭和62(1987)
大字西明野は、元々「大字牧、大字下郡、大字猪野、大字明野の各一部」であったことが記載されています。
※住居表示により大部分が明野西1、2となったが、登記上ごく一部分が大字西明野として現存している
大字東明野 昭和47年(1972)~昭和62(1987)
大字東明野は、元々「大字明野の大半、大字横尾、大字猪野、大字小池原の各一部」であったことが記載されています。
※住居表示実施後も広範囲でに現存している
(例:丸尾山の部分→字丸尾、高城台付近→字則小池、明野東5付近→字米良草・字小丸尾
大字西明野・大字東明野時代の都市地図
昭和62(1987)に住居表示が実施された
住居表示が整備され、各町の町名が大きく変わりました。
こちらに関しては後日深堀させていただきます。