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「ニューシネマ」とはなにか?|第一章|芸術?|その1|
ハリウッド映画の歴史において『俺たちに明日はない』(Bonnie and Clyde, 1967)ほど、批評家たちの意見を二分した作品は、そう多くは存在しないのではないでしょうか。
1967年に、この作品が公開されたとき、新聞あるいは雑誌上で、多くの批評家たちがこの作品をめぐる批評合戦を繰り広げました。この作品を非難したのは、たとえば「ニューヨーク・タイムズ」、「ニューズウィーク」(一回目)、「タイム」(一回目)、「ライフ」(その後、訂正)といった影響力のあるメディアでした。
論争となった点はいくつかあります。たとえば「歴史的事実との相違」、あるいは「犯罪(者)への称賛の有無」、そして、最も議論されたと思われる「残虐で生々しい暴力描写」などなど。
批判の急先鋒は「ニューヨーク・タイムズ」においてチーフ映画批評家をつとめていたボズリー(ボズレー)・クラウザーであり、また、この作品を最も熱く擁護したのは、「ザ・ニューヨーカー」に寄稿したポーリン・ケイルであったことが知られています。
論争の的となった点が多岐にわたるため、扱う問題を、一点に絞ります。ここでは、批評家たちのレヴューの実際を通じて、その「残虐で生々しい暴力描写」への1967年当時の観者の反応を追体験できたら、と思います。
現在の基準からすれば、この作品の暴力描写をめぐって大論争が起こったとは、想像しがたいことなのですが、この作品の公開は1967年。例えば、その暴力描写がやはり話題にのぼった『ワイルドバンチ』(The Wild Bunch, 1969)が公開される、2年前のことになります。
この時代には、ハリウッド映画において、いまではごく当たり前であると考えられているいろいろなものごとが、新しく試みられはじめました。そのことを念頭に置きつつ、しばらくの間、1967年後半へと、時計の針を巻き戻してみることにしましょう。
新奇だった二つのブレンド
クラウザーによる一連の批判記事は、この作品が最初に上映された「モントリオール国際映画祭」(※「モントリオール世界映画祭」とは別の映画祭です)からのリポートとともに始まります。
「この映画祭に参加している米国からの(中略)訪問客には、これほど無神経で未熟な映画が、この危機的な時期に、自分たちの国を代表するとは、という狼狽と憤激に頭を振っている者もいた」
一部の観客の反応を描写しながら、自身の憤激を代弁させているようです(「この危機的な時期」については、第三章において概観することができたら、と思っています)。彼は直接的な批判記事を含む、少なくとも計7回の記述を「ニューヨーク・タイムズ」紙上において行いましたが、その主張は一貫しており、ほとんど揺らぎません。例えば、映画祭からの第一報では、このように述べています。
「安っぽい泥棒たちのサーガを、それが、卑しむべきもの、残忍なものである代わりに(instead of)、あたかも、面白おかしいものであるかのように(as though it were funny)、素早く駆け抜ける」
「である代わりに」と「あたかも〜であるかのように」という表現に注目してみますと、本来であれば「卑しむべきもの、残忍なもの」として描かれなければならない犯罪(者)の物語が、ここではそうではなく、まるで「面白おかしいもの」であるかのように描かれている、と言うのです。そして、それは間違っていると。
これを読むと、彼が「残虐で生々しい暴力描写」そのものだけを問題視しているわけではないということが伝わってくる気がします。例えば、その翌週のレヴューにおいても、以下のように記述します。
「あつかましいスラップスティック・コメディの安っぽい一作であり、薄汚れた、まぬけなカップルのおぞましい残虐行為を扱う」
『俺たちに明日はない』では、車が走り去る度に流される《フォギー・マウンテン・ブレイクダウン》のバンジョーによる軽快な音色や、ときおり画面に充溢するユーモアなどが、コメディの雰囲気を演出しています。にもかかわらず、この作品が、マック・セネットの「スラップスティック・コメディ」のように、例えば、キーストン・コップスの愉快な失敗を扱うのではなく、登場人物たちによるリアルで「おぞましい残虐行為」を扱うことへの嫌悪を表明しています。
もうひとつ、別の記事から見てみますと・・・。
「クライドの(中略)兄の、身の毛もよだつような殺害に突然直面するまで、クライドとボニーの犯罪をとても陽気なものにしているグロテスクな映画」
いまではもう、すっかりお馴染みのものかもしれません。しかし、1967年には、とても目新しいものだったのですね。その主張は、二週目のレヴューにある、以下の見出しに集約されているように見えます。
「殺人者たちの仕事が、ファルス(笑劇)として描かれる」
単なる説明ではありません。「殺人」と「ファルス」(つまり、この場合「コメディ」)はミスマッチであり、本来は結びつけられるべきものではない、という意味で使っています。そして、本文中においても再度、以下のように言い換えています。
「このファルス(笑劇)の残酷な殺人とのブレンド」
クラウザーにとって、「残虐で生々しい暴力描写」そのものももちろん不快だったと思います。しかし、いまではにわかに信じがたいことなのですが、彼を最も「狼狽」させ、「激憤」させたのは、その「残虐で生々しい暴力」と「コメディ」との新奇な組み合わせであったようなのです。
ハリウッド映画の「公式」と「慣習」と「社会的役割」
この「狼狽」と「激憤」の要因にはいくつかあると思います。そのすべてに触れることはできませんが、ひとつには、クラウザーをはじめ、1967年当時活動していた(多くは旧世代の)批評家たちの一部が、ハリウッド映画にあると考えていたであろう、その「社会的役割」とでもいうべきものと関連がありそうです。
そして、もうひとつ、これはおそらくすべての批評家たちにとって自明のことであった、ハリウッド映画産業が創り出したと考えられている、それまでの「公式」あるいは「慣習」と関連があると思われます。
先ほども書いたように、この時代には、ハリウッド映画において、いまではごく当たり前であると考えられているいろいろなものごとが、新しく試みられはじめました。
また、『俺たちに明日はない』は、ハリウッド映画の刷新に寄与しただけではなく、アメリカの映画批評界を刷新したことでも知られています。
「ニューヨーク・タイムズ」に27年間在籍し、批評界の重鎮であったクラウザーは、この作品への一連の厳しい批判記事掲載の後、突然「ニューヨーク・タイムズ」を去ります。一方のケイルは、この作品を擁護する記事を書いた当時はフリーランスの立場でしたが、その後「ザ・ニューヨーカー」のスタッフ・ライターとして正式に迎えられ、それからの約23年間を英語圏において最も影響力のある批評家の一人として過ごし、一時代を築くこととなります。
次回は、ポーリン・ケイルによる長い擁護記事から、ハリウッド映画における「公式」あるいは「慣習」と「社会的役割」に関連する議論を中心に取り上げてみたいと思います。