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「ニューシネマ」とはなにか?|はじめに|
「自由」のゆくえ
ときは1967年、季節が秋から冬に変わる頃、恒例のオスカー・シーズンと呼ばれる時期がやってくると、雑誌「タイム」の12月8日号は、その年のアメリカ映画界に起こった、ある大きな変化を記述するカバー・ストーリーを掲載します。
ステファン・カンファーによるその記事は、その年にアメリカ国内で既に公開された、あるいはこれから公開予定となっているいくつかの映画作品を挙げて、その傾向を分析しました。
それはたとえば、以下のようなものです。
「主題とスタイルに大きく違いはあれ、それらの映画には、いくつかの共通点がある。それらには、かつてのアメリカ映画の面影がない。それらは、公式、慣習、検閲からの目の眩むような新しい自由を楽しんでいる。そして、それらはすべてハリウッド発なのだ」
よく知られているように、この号の「タイム」の表紙は、ロバート・ラウシェンバーグが手がけた『俺たちに明日はない』の二人の主人公、ボニーとクライドの肖像でした。そして、雑誌タイトルの右肩には、「ザ・ニュー・シネマ:暴力…セックス…芸術…」と書かれた帯が付けられていたこともまた知られています。
この言葉が使われたのは、これがはじめてというわけではないかもしれません。また、この記事では、ある種のヨーロッパ作品などに対してもこの語を用いています。ちょっと混乱します。しかし、「ニュー(・)シネマ」(以下、「ニューシネマ」)という呼称が、この時代——1960年代後半から1970年代にかけて——のハリウッド映画に起こった潮流、あるいは、ある種の作品群を指す用語として定着したのは、この「タイム」12月8日号の表紙およびカバー・ストーリー以来のことである、と標準的には考えられています。
私たちが、こんにち「ニューシネマ」と呼ぶなにものかが、1967年のこのときからはじまった、と、ひとまず仮定してみたいと思います。そのなにものかは、学術的には「ニュー・ハリウッド」、「ハリウッド・ルネサンス」、「ポスト古典的ハリウッド映画」、「ニュー・アメリカン・シネマ」、「ザ・ニュー・ゴールデン・エイジ・オブ・アメリカン・フィルム」、「アメリカン・ニュー・ウェイブ」等々と呼ばれ、研究されています。
しかし、これらの概念がカバーする範囲(たとえば、どの作品をそう呼び、どの作品をそう呼ばないか)はそれぞれ全く同じというわけではなく、さらに、たとえ同じ語を用いていても、その論者や、または論点によって、微妙に異なってくるに違いありません。
それから、日本において「アメリカン・ニューシネマ」として受容され、定着した語のカバーする範囲もまた、その論点、あるいは論者によって異なってくることと思います。
さて、このnoteには、「『ニューシネマ』とはなにか?」というタイトルを付けましたが、ちょっと大袈裟かもしれません。なぜなら、このnoteの目的は、その言葉を定義することではないからです。
ここでは、先に引用した、雑誌「タイム」の一節を「案内役」として、いわゆる「ニューシネマ」あるいは「ニュー・ハリウッド」あるいは「ハリウッド・ルネサンス」等々の名称で呼ばれるなにものかの誕生から終焉までの背景を、様々なエピソードを中心に綴っていく予定です。それらのエピソードを通じて、「ニューシネマ」に関心のある私たちそれぞれにとっての、このなにものかの姿が次第に見えてくる、そんな構成にできたらと考えています。
現時点で想定している〈今後の全体見取り図〉(予定される目次)は以下のようなものです。
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共同執筆した新刊『アメリカ映画史入門』(三修社、2024年10月刊行)の「第Ⅰ部 アメリカ映画の歴史」において筆者が担当した「5章 ニュー・ハリウッド 1967-1980」には、この時代の歴史的な概説が掲載されています。