
「ニューシネマ」とはなにか?|第一章|芸術?|その2|
1967年に公開された『俺たちに明日はない』は、ハリウッド映画の刷新に寄与しただけではなく、アメリカの映画批評界を刷新したことでも知られています。
前回ご紹介したように、「ニューヨーク・タイムズ」に27年間在籍し、批評界の重鎮でもあったボズリー・クラウザーは、この作品への一連の厳しい批判記事掲載の後、「ニューヨーク・タイムズ」を去って行きます。一方、今回取り上げるポーリン・ケイルは、この作品を擁護するレヴューを書いた当時はフリーランスの立場でしたが、その後「ニューヨーカー」のスタッフ・ライターとして迎えられ、それからの約23年間を英語圏において最も影響力のある批評家の一人として過ごし、一時代を築くこととなります。
ふたつの刷新の原因は、既に「ニューシネマ」とはなにか?|はじめに| において引用した「タイム」の記事でも指摘されていた、ハリウッド映画にある「公式」や「慣習」、そして「検閲」と関わりがありそうです。
『俺たちに明日はない』は芸術作品である
さて、8月に比較的小さな規模で公開され、その後ヨーロッパなど各国でも公開されていた『俺たちに明日はない』への賛否両論がいまだ続き、映画批評家たちの意見を二分しているころ、ケイルは、現在でもしばしば話題に上る約9000ワードに及ぶレヴューを、紆余曲折を経て、最終的に「ニューヨーカー」1967年10月21日号に寄稿します。
ケイルの記事の論点は実際には多岐にわたっているのですが、ここでは、扱う点を絞ります。前述したとおり、ハリウッド映画にある「公式」・「慣習」・「検閲」に関連する議論の一部分と、それらに加えて、ハリウッド映画の持つ「社会的役割」に関する議論にも少し光を当てたいと思います。
彼女もまた、前回参照したクラウザーの記事にあったのと同様に、『俺たちに明日はない』の鑑賞中に遭遇した観者を観察し、その反応を記述します。
はじめのうち、観客たちは、銃撃が行われる場面を見ても笑っています。クスクス笑いなのか爆笑なのかはわかりませんが、ケイルによれば、それは自分たちがその銃撃を「ジョークであると理解して鑑賞している」ことを表明する行為です。
「その映画のはじめのパートの間、私の列にいるひとりの女性は、自分の連れに対して、楽しそうに『これはコメディよ、これはコメディよ』と保証していた」
なぜ、観客たちは、銃撃が行われる場面を見ても「ジョークであると理解して鑑賞している」と表明でき、また、この作品を「コメディ」であると「保証」できるのでしょうか。それは、観者とハリウッド映画との間に、その歴史を通じて培われた「期待のルール」とでもいうべきものが、既に存在しているからです。言い換えれば、ハリウッド映画における「公式」あるいは「慣習」に基づく、観客とハリウッド映画との間に交わされた了解事項、ということになるかもしれません。
『俺たちに明日はない』では、車が走り去る度に流れる《フォギー・マウンテン・ブレイクダウン》のバンジョーによる軽快な音色や、独特のユーモアなどが、(クラウザーも述べていたように)マック・セネットの「スラップスティック・コメディ」を想起させます(※ブルーグラスは1940年代に成立した音楽です)。
マック・セネットの「スラップスティック・コメディ」のように伝統的なハリウッドのコメディ映画では、例えば、キーストン・コップスのような登場人物たちが銃を振り回して発砲しても、通常の場合、深刻な事態には至らない——これはジョークである——ということを観客たちは理解して鑑賞しています。
例えばこれが、ハリウッド映画における「期待のルール」のひとつです。
一般の観客たちだけでなく、批評家たちも、むろんこの「公式」や「慣習」の知識を共有しています。例えば、クラウザーは、前回引用したコメントに加えて、このようにも述べています。
「もし、最も陰惨な種類の暴力の汚点で血染めにされていなければ、(中略)商業的なコメディ映画として通用したかもしれないが、それ以上のものではない」
『俺たちに明日はない』を鑑賞したクラウザーは、それまでの「公式」や「慣習」の知識に基づいて、この作品を、伝統的なハリウッドのコメディ映画「以上のものではない」と見なそうとするのですが、違和感を拭えない様子が伝わってきます。結局のところ、この作品がいったい何なのか判断しかねている、あるいは、判断を拒絶しているようにも見えます。
一方のケイルにとって、その答えはシンプルです。
「私は『俺たちに明日はない』は、欠点はあるけれど、ひとつの芸術作品だと思う」
それまで、一部を除く、伝統的なハリウッド映画の大半は、芸術作品と見なされることが少なかったことは周知の通りです。しかし、ケイルにとって『俺たちに明日はない』は、伝統的なハリウッド映画とは異なる、新しいタイプのハリウッド映画です。それは、1950年末以降、アメリカでも盛んに上映されていた、いわゆる「ヨーロピアン・アート・シネマ」ともまた異なるものです。
「『俺たちに明日はない』は、楽しさを見せる。しかしそれを利用もする」
この作品は、観客と伝統的なハリウッドのコメディ映画との間にある「期待のルール」を「利用」します。この行為は、彼女にとって『俺たちに明日はない』を芸術作品と見なす理由のひとつであったと思います。
「『俺たちに明日はない』は『あなたは、私たちが単にふざけているだけだと思ったでしょうね』と観客を混乱させる」
先ほど、自分の連れに対して、楽しそうに『これはコメディよ、これはコメディよ』と保証していた観客の様子は、物語が進んでいくうちに変化します。
「しばらくすると、彼女は口をつぐんだ」
それはまた、単なるパロディやパスティーシュとも異なるものです。なぜなら、それまでのハリウッド映画のなかにはなかった新しい試みが用意されているからです。例えば、この作品にとって最も大きな新しい試みは「残虐で生々しい暴力描写」です。
「残虐で生々しい暴力描写」を理由にこの作品を非難する人々に対し、「彼らは不快を感じるべき(should ※原文はイタリック)」なのだと述べます。
「死というものの、汚らしい現実——仄めかしではなく、血と穴——が必要なのだ」
「暴力」は、ここでは、具体的な「血と穴」として提示されます。それまで、映画製作倫理規定(プロダクション・コード)のもとで自主的な「検閲」が行われていたハリウッドでは、例えば「暴力」についても、さまざまな工夫に満ちた「仄めかし」の表現が行われていました。しかし、『俺たちに明日はない』は、それまでのような「仄めかし」とは異なる方法で「暴力」を表現しようと試みているのです。
「それは、私たちに何かを語りかける、という種の暴力である。(中略)芸術家は、暴力を自由に使用しなければならない(後略)」
「暴力」=「死」の現実を、観客の前に生々しく提示することこそが、芸術作品としての『俺たちに明日はない』にとっての、重要な「意義」なのだと言います。
『俺たちに明日はない』は、伝統的なハリウッド映画にある「公式」あるいは「慣習」を「利用」し、観客との間の「期待のルール」を操作して、観者に違和感を与えます。その上で、「検閲」時代の「仄めかし」とは異なる手法で、「暴力」=「死」の現実を、観客の前に生々しく提示して、これまで経験したことのない不快感を催させるのです。
(※ボズリー・クラウザーは、決してハリウッド映画の自主検閲に賛成した人物だったわけではなく、率先して反対した人物として知られていました。この矛盾とも思える問題については、機会を改めて論じたいと思います)
ハリウッド内部からの新しい芸術
ケイルはまた、クラウザーのような旧タイプの批評家の一部が、ハリウッド映画が担っていると考えていた「社会的役割」、つまり、ハリウッド映画は、あるべきアメリカ市民社会にとっての手本を示さなければならない、という考えについても、『俺たちに明日はない』が、ひとつの芸術作品である、という観点から論じようとします。
「芸術は模倣のためのお手本ではない——それは、ひとつの芸術作品が私たちのためにすることではない」
ひとつの芸術作品は、何かの役に立つために存在する道具ではありません。少なくとも、ある映画が芸術作品である場合には、社会の模範となるために働くという役目を担っていないのです。
ケイルが観察した観客のひとりは、最後までこの映画の新しさを認めようとしません。この人物の態度は、どこか、クラウザーに似ていないでしょうか。
「それでもなお、私の近くにいたあの女性は『これはコメディよ』と、ちょっと長すぎるくらい言っていた」
このような観者の態度を、ケイルは「彼らは映画における芸術体験にあまりにも慣れていないので、それに抵抗しているのだ」と分析します。
『俺たちに明日はない』の暴力表現の背景には、ベトナム戦争をはじめとする当時のアメリカにおけるさまざまな現実への批評的態度があったことが指摘されています。しかし、ケイルの擁護記事は、輸入された、いわゆる「ヨーロピアン・アート・シネマ」ではなく、アメリカという国で育まれ、慣れ親しんだ大衆芸能、特に娯楽的要素の高いタイプのハリウッド映画の内部から、新しい芸術が生まれ出た瞬間に立ち会ったと彼女が判断する、その発見に大きく誌面を割いていることが印象的です。
既に書いたように、当時の映画批評界における重要人物であったクラウザーは、この後「ニューヨーク・タイムズ」を去ることになります。一方のケイルは、「ニューヨーカー」のスタッフ・ライターとして迎えられ、それからの約23年間、英語圏において最も影響力のある批評家の一人として、一時代を築くことになります。
ケイルは『俺たちに明日はない』を芸術作品であると認めながらも、ヨーロッパから輸入され、受容されつつあった比較的新しい考え方としての「作家主義」に対して懐疑的な態度を取ります。
次回は、「作家主義」に関連するストーリーを取り上げてみたいと思います。