【ちょこっとあなたとモカにして】
※漂うユリ表現あります。よろしく
寒い。寒いさむいさむい。
ココ最近は雪も降ってきた。イルミネーションもちらほら、あちこちで輝いててワクワクしている。ワクワク、というのは私の主観。この時期は寒いのを押し殺してでも、街中どこかでキラキラしていてほしいみたい。私はウォークマンの画面をいじっている。好きな曲を聴きながら、景色を眺めて、少し積もった白いグズグズな雪を踏みにじる。これから行きつけのお店に行くわけ。ネックウォーマーで耳元をなんとか隠して、口元で口ずさむがために出来る白い息を目で追っかけて、それからやっとお店にたどり着く。なんてことはない、あの子が待っているから、ココに来る。ポケットから手を出して、耳元のイヤホンを外す。
「せーんぱーい」
あの子の声が私を呼ぶ。そう、その甘ったるい声で私を呼んで、見れば白い雪を敷き詰めてできたような、モコモコしているコートに身を包んだおひめさまがいるんだ。手を振って隣に座った。彼女は今どきの薄いパソコンを開いて、何やら音楽を聞いているようだ。
「せんぱいのおすすめの曲、聴きましたよ~」
彼女はばっちりお化粧をしていて、いつも可愛い服を着ていて、丁寧な応対が心地よい、なんだけど。
「とにかく最高でした、ワブワブ」
「でしょでしょ。ダブステはやっぱ重圧な低音が良いよね」
なんと、音楽の趣味がこっちより。私はそんな後輩と友達になった。各言う私はサークルでバンドしてたり音楽つくったり、はたまたDTM(デスクトップミュージックって言うのよ)かじってたり。彼女は音楽を作ってみたい、という憧れがあって、私が文化祭の舞台をサークル絡みで牛耳って、シャウトしているのを見て貫かれたらしい。すごいアプローチをかけられた。
のが、私は彼女にメロメロなんですがな。
「わー! 新しいヘッドフォン買ったのですか?」
「そう。シュワシュワ音がめちゃくちゃクリア。お試しあれ」
「します! お借りします!」
基本ワインレッドしか選ばない私のおニュー、ヘッドフォンを彼女に差し出した。ワクワクしながらそれを自前のパソコンにつなげて、彼女はさっそくお気に入りの重たすぎる音楽をかけた。その間は会話なんて発生することもないので、私はカウンターに向かった。
「モカですね、いつもありがとうございます」
顔見知りになっちった。へへへ、と愛想よく笑って私はそのカフェモカを待ち構える。
「ちょっと実験していいー?」
「いいっすよ~」
実験、というのは。カフェモカに乗せるココアの新しい模様づくりに、私の一杯は弄ばれる。それが楽しみで、金曜日の夜はもう欠かすことなくここに訪れている。それもあの子に筒抜けになっていたので、今となってはこうやって、モカと彼女と音楽が待ち構えているこの空間に身を預けることが習慣化された。つまり、私の毎週の楽しみとなっている。大学生、バンザイ。
「聴きました……」
「どや」
「さいっこう、……ですねえこれ……いや、ほんと、好き」
「わかる」
モカを味わう私。あの子はたまにほうけて私を伺うことがあるけど、あまりそのことに関しては聞かないでおく。一目惚れした女の子のような顔しているよーだなんて、口が裂けても言えないから。黙って甘い、温かい飲み物を飲むんだ。
「また髪切っちゃったんですか、先輩」
「いやーもう、風呂上がりがきつくて」
「ちゃんと髪、乾かしてから寝ればいいじゃないですか~」
「無理だよ、待てん」
「先輩ズボラ~」
「わかってますぅ」
距離の縮まることのない、カーテンウォールの端っこの席。同じ景色を見て、冷気を少し漂わせている一面の窓ガラスに映る自分を見てぼーっとする。
「先輩の髪乾かしにいけるのにー」
そーゆーこと、へーきで言うなよな。
「や、マジで部屋狭いから駄目」
「ドライヤー持っていないんですよね。持っていきますよ」
「マジで。髪伸ばしたら今度頼むわ」
「伸ばしてくださいよ? 絶対」
このガツガツとやってくるかんじ。嫌いじゃないんだよなあ。
「聞いてくださいよー」
それから、彼女のルーティンの話を聞いてやる。彼女の生活はいたって普通の女子大生で、バイトもすれば同じクラスの友達と勉強会もする。サークルはまったくの別物で、お絵かきをするんだとか。性格と雰囲気がまったくの真逆なのに、何故か彼女は私のそばにいることを選ぶ。それもこれも、彼女が溜め込んでいる周りへの配慮が行き過ぎた鬱憤を晴らすための材料だと判っていても、私はここに来ている。
心地よいと思わせるだけの耳を私は提供するだけだ。それでいいんだ。それで。
◆◇◆◇◆
好きな人が出来ました。
いつも真っ黒な服と、寒い時期はトレンドマークになっているくらいの頻度で身につけているネックウォーマーと、ソレ以上にトレンド化しているウォークマンで、いつも耳を塞いでいる人。あの人は周りの小物は必ずワインレッドにしていて、紅いバック、紅い筆箱、紅いイヤホン、紅い縁のメガネ、と抜かりなく。そんな小物を殺さないように、いつも黒かネイビーの色を施した衣装しか着ない。
あの人を知ったのは、先々月に行われた文化祭にて。文化祭はクリエイターよりのサークルがここぞといった勢いで作品をお披露目できる場所。私はたくさんの華をしきつめた中に、寝そべっている肌を黒く塗りつぶした女性を描いた。女の人もちゃんと丁寧に描けばよかったのに、なんてサークルの同い年からは相当文句を言われちゃったのだけど。
「へー! いいね、ジャケットみたい」
あの人は私の作品を見て、第一声に。
「貴方が描いたやつ?」
「え、は、はいっ」
ドキドキした。だって女性らしいのに声がハスキーでひくくて、真っ黒な衣装なのにその日はワインレッドのジーパンを履いていたのだから。目が泳いでたと自覚している。
「センス感じる。これ好き」
好きってそんな簡単に言えちゃうのねって、心の底から動揺してしまった。
「あの、名前は……」
名前を聞いてから、今度はその人は自分のサークルの舞台の時間が来るからと言って、美術部のアートコーナーを立ち去ってしまった。私は即座に追いかけて、あの人のライブを見たいと思って、体が勝手に走った。それから、あの人の歌声を聞いた。
音楽ってすごくて、何がすごいかと言うと、その人の内側の色をよく表現してしまうこと。表現する色はあの人の小物の赤色だったり、でもそれ以上に感じ取った雰囲気は紫色。崇高で、気品高くて、色っぽくて、ずるい人。
私って、男の人じゃ恋が沸かなかったんだなあ、って納得してしまった。
それから、私はあの人に囚われてしまった。
「可愛いね、その服」
可愛いと言われたものを取り込んだ。
「赤好きだけど、ふたばちゃんは白が素敵だね」
嬉しくて舞い上がっちゃった。
「化粧上手にするよね。オレンジとかよく使うの?」
私のことをよく見てくれて、もっと舞い上がってしまって。
「へー! ふたばちゃんも聞くんだね、EDM!」
だって貴方の好きなものを私も好きになっちゃうから。
これを恋って言わないのなら、なんていうの?
わたしって、変?
◆◇◆◇◆
「よく頑張ってんじゃん、ふたばちゃんは」
先輩はさらりと人をよく褒めてしまう。先輩は手をポケットにしまっていて、手袋をつけない。ウォークマンをつつくために、手袋は必要ないのですって。
「さんむい」
「手袋貸しますよー」
「だめでしょ、ふたばちゃん冷えるじゃん」
私は冷え切ったりしない。貴方がそばにいるだけでポカポカするのに。
「……とーま先輩」
先輩の下の名前。冬馬って書いてとうま、と呼ぶ。男の人っぽくて先輩は好きじゃない名前。でも、私に呼ばれる時はとても嬉しそうにしてくれる。だからたまに呼びたくなる。
「ん?」
「先輩は好きな人とかいないんですか?」
「いないねえ」
「そっか」
「いやーしばらく恋はしたかないよ。ほんと、やな目に遭うからさ」
そう。
先輩は、つい最近まで恋人がいたらしい。でも先輩は、人に対する愛とか親切とか、はたまたその愛による犠牲を負うことが日に日に嫌になったらしくて。その時の先輩は私に会ってくれなかった。この人は本当にずるくて、自分が弱っている姿を誰にも見せたがらない。私はたくさん見せているのに。そんな秘め事をいくつもどこかに隠し持っていて、でもそれを垣間見ることができるのは貴方が歌を歌っているときと、カフェモカと音楽に溺れているときだけ。
この時に思い知らされるの。私は、音楽とカフェモカに負けているって。
「……先輩に恋している人、たくさんいると思いますよ」
「やだなあそれ」
苦い顔をして笑われる。
「女の子だったら悪くないか」
「先輩の恋人担当しちゃってもいいですか」
「ぶっこむなあ、きついぞー? 私の恋人担当は」
「へーきです。先輩のこと、誰よりも好きな自信だけはありますから」
突然だった。先輩は眉間にシワを寄せて、私の手袋を片方取り上げてから手を握られた。イルミネーションがちょうど近くにあって、先輩の姿は逆光になってしまって、よく見えなかったけど。私の大好きな先輩の、怒りに満ちた目が私を拘束した。
「お前はさ、関係が壊れることを望んでいるのかい?」
「え、え」
「恋人ってさ、友達じゃだめなんだよ」
先輩が怒っている。怖かったけど、初めて触れる心の衝動を垣間見た私は、本当にバカなの、舞い上がっていた。
「友達じゃない恋人で一番ダメージがでかいの、嫉妬なんだよなあ」
「嫉妬」
「付き合って理解したんだけどさ、私は相当な執着だよ。嫉妬を抱えたんだよ。しんどかったんだよね」
そこまでゆっくりと私に説明したら、先輩は手を話して、手袋を返してくれた。先輩の手は案の定、とても冷たかった。
「自分がしんどい関係になりたくはないんだよなあ」
私はだから、カフェモカと音楽には勝てないのかもしれない。
「……せんぱい!」
でも、私は朽ちることを知らない、大馬鹿野郎だから。先輩の背中を掴んで、震える声で訴えてしまった。
「先輩の嫉妬、ください」
◆◇◆◇◆
人間は科学でできている。化学反応だ。それは関係というもので、人間関係は互いの競り合う情報と本音を差し引きして、お互いの反応を起こして、それから緩やかに調和する。
「……はぁ……」
重い溜息が口をついた。頭を抱えて、シャワーをかぶって、部屋で布団に寝転がって半分死んでいる。
「どうしてくれんだよぉまったくーぅ……」
支配したかった子からの、突然の告白に頭がショートした。何も答えてやれなかった。応えることができなかった。支配したかったんだから。でも支配というのは合意のもとでやって良いものじゃないのが自分の中では判っているのだ。彼女の自由を保証するために、私は友達でいたかったのに。彼女はそれを、むしろ私の嫉妬すら欲しいとな。貪欲なのはどっちだったんだろうか。
「……チューとかするんかな」
リアルな想像が頭の中をよぎった。宅飲みを最近覚えたから、ついついお酒が常備するようになっているけれど、それでも私が飲みたいのはカフェモカだった。アツすぎるから飲みきれないし、音楽を流しているのにちっとも耳に入らない。私を私として運営するに必要な燃料の音楽とカフェモカがちっとも作用しなくなったのだ。心臓がまだバクバク言うし、変な約束してしまったのだからもう詰んだ、としか言いようがなかった。
「明日どうしよ」
でえーと、だなんて口が滑り過ぎにもほどがあるわ、ワレ。いや、したかったんだけどね、本当は。彼女をちょっと楽しげなお店に連れて行って、適当にデパートさまよって。私は買いたいものがないから恐らく彼女が行きたい場所とか回りたい服屋さんとかちゃっちゃと決めてくれるんだろうな。私は流されるけど、楽器店に入った途端まるで人が変わるからな。今度は彼女がそれを見てふふふうと笑うんだろうか。
「容易に想像出来るわ」
これじゃ普段と変わらないジャーン。それはエスコートできていないのでは??
「知るかッ」
もう考えるのは止めよう。寝よう。明日の私に任せたわ。
そして当日まで、いつもどおりにぐっすり眠ってはいつもどおりに彼女を迎え入れたわけなのだが。
「……? どうしたのふたばちゃん」
「……寝癖、ついてませんか?」
口からモカ出そうになったわよ。あのさあ。
「や、とーま先輩?!」
むぎゅう、と彼女を抱きしめた。もこもこしたコートに私の細すぎる腕が食い込んだ。彼女の体のフォルムは、本当はずっと細いことをこれで知るわけ。そして胸が私よりおっきい。私はどこをとっても女らしい太刀筋じゃない。
「めちゃいい香りがするから良し!」
彼女が固まった。あのさあ、この程度で死なれちゃ困るんだけど。
「ふたばちゃん、どこ行きたいの?」
「あ、えっと、その!」
彼女らしくないわたわたした動きで終始笑いが耐えなかったわけだが、これは本当に私が好きなんだろうなあという証言を何度も叩きつけられた。彼女の行きたかったお店は、それこそ洒落た女子たちがこぞってうろちょろするところで、私はさっそく苦手意識が働いてしまうのだが。
「せんぱーい」
て呼ばれて、腕を巻き込まれて引っ張られるのだからこれはもう逃げられないな。渋々彼女の足の向かう先に合わせて私も歩く。でも、彼女が改めて私より背がちいさいことを再認識した。私の顔を伺うように何度かこっちを覗いてみてきては、この服どうです?と確認をしてくる。それにどうかねー、とやんわり意見をいえば、ぱあっと明るくなってすぐに採用される。
「それじゃ私の色になるよ」
「せんぱいの色がほしいんです!」
ぐさっ。あっぱれな切り返し方だな。
「きみさあ、どうなりたいかとかないの?」
「先輩の好みになりたいです」
「十分だけど」
「えっ」
今度はあっちが殺されたな。面白いので畳み掛けてみる。
「こんなズボラで面倒くさがりな私が、なんで毎週金曜日に欠かすことなくふたばちゃんに会いに行ってたのかわかんなかったかねえ~」
「お、恐れ入りました……」
顔が真っ赤になっている。かんわいい。これはレアすぎるけど、なるほどこれが恋人の特権とやらなのだね。これはちょっと得をしたのかもしれない。頭をぽんと撫でることも、今後は許されるわけなのだから、存分に撫でてやろう。
「くふふっ。ありがとうねふたばちゃん」
「と、ととんでもないです! 私がお店に連れ回しているだけなのに!」
「いや、たまにはいいよね。こうゆうのも」
「たまには、ですか」
「頻度増やしたい?」
「んっ、んんー! そんなつもりで言ったわけでは……!」
わっかりやす。
◆◇◆◇◆
「……き、今日は大変、お世話になりました」
「なに仰々しいことしてん??」
私は本当に、大馬鹿者!
先輩を一日、まるまる、独り占めをしてみたのです。先輩はやっぱりずるい人で、私がお店で迷子になっているとすぐに見つけてくれたり、地図がどこにあるのかすぐに発見してくれたり。美味しいパンケーキが食べたいなあとダダをこねれば、すぐに検索をかけて比較してくれたり。そこに行く道成は私が先頭をきったのだけど、それでもお店に入ったとたんのいつもどおりのお話が幸せで、どこに行っても貴方はやっぱりカフェモカを頼むんだなあってホッとして。それから、駅前のピアノで堂々と遊び始めちゃうんだから、自慢の才能あふれるカレシなんだぞー!(?)と心の中で叫んでいたけど、本当に叫びたかった。
「先輩、どうでしたか? 私、変じゃなかったですか?」
「ん? いや、別に」
むしろ先輩がいつも通りの平常心で、本当に悔しい。私ばかりバタバタしているみたい。やっぱり貴方はなかなか弱みを握らせてくれないのね。ずるいったらありゃしない。
「……せんぱい!」
ここは意地というもので。
「ち、ちゅーしませんか!!」
「はい????」
多分、私はお昼に食べたパンケーキのいちごのような真っ赤な顔をしていると思う。それに緊張で泣いてしまいそう。先輩は困った顔をして、メガネを外した。その仕草にやっぱり固まるのは私だった。
「目、つむって。無理、恥ずかしぬから」
なのに話す口調はいつもどおり。目をそっと瞑って、私は先輩のアクションを待った。感じたのは、耳元でのかすかな吐息。ふうと温かい空気が耳の穴をくすぐってきたらか、びっくりして塞いだ。先輩は相当な意地悪な人だった、もっとずるい人だったということが判った。
「もぉーう冬馬せんぱいのばーかあー!!」
遠慮のない腕力で先輩の背中を叩いた。あたっ!と痛そうにさすっているけど、ずるいが過ぎる人だからこのくらいの報復、当然だもの!
「……ふーたーば」
先輩の空気ががらりと変わった。軽く怒っているのが判った。怖くないもんと意地をはるけど、とっても怖い。先輩は普段があまりにも優しくて抜けているから、怒っている姿を見ると震えて足がすくんでしまう。両頬を冷たい手が覆ってきた。ピアノを奏でる魔法の指が、私の冷え切った頬には暖かく感じた。
「ひえっ」
先輩は私の鼻をかじってきた。歯の硬い感触より、先輩のそのアクションはキスよりずっと毒だった。
「お返しじゃ」
いたずらっぽく笑われてしまった。
「んじゃ、帰ろうか」
手を差し出されてしまい、私は思わず手袋を外した。
「外さなくてもいいへん?」
「や、で、す」
片言に言葉を返した。だってさっきの出来事は、私の心臓に異常な作用が働くだけの効力はあったのだから。先輩の指を絡めて、今度はピアノじゃなくて私に触れて欲しいなあとか、言葉では絶対に言わないけど、思うだけに留めて今日をクロージングすることに専念した。
確信した。私、貴方に恋をしたのは本当だったみたい。
それと、鼻をかむ人の心理。私は知っているの。勝手にまた舞い上がっちゃったのも墓場へ持っていく秘密にしちゃうんだから。
ココアシガーに火を点けて
(大人しい文学少女×クール系不良少女)
・しっとりとした感じ
小説っていうのは、私のこのつまらない世界を切り離すのにうってつけの手段だった。私は白いスカートを身にまとう魔法使いであったり、はたまた囚われの姫を助ける闇の魔王だったり、首の長い超高速の黒い龍に変わったり。私は私らしからぬ何かになりたくて、物語を追うことが一つの日課となっている。今日もお気に入りの話を一本取り出してから、誰もいない五限目の終わった放課後に、図書館にて一人の楽しい時間を過ごしている。
それはつい先週までの私。
「ソナター、私の口紅知らんー?」
「知るわけないでしょ」
現在、お気に入りの本を数冊借りてから、誰も来ない中庭の、それこそ掃除も行き届いていないベンチに座って読み耽っている。それは多分、この隣にいるその子のお陰。
「何読んでるのー?」
「人間失格」
「名前しか知らない」
「面白いから、おすすめするわよ。そんなに分量も鈍器じゃないし、なにより一人称は初心者に読みやすいからうってつけよ。古い文体は敬語が主流だから独特な雰囲気に包まれて楽しいし」
「概要だけは知っているけど、主人公相当なクズなんでしょ?」
「クズとは失礼な。彼は純粋に人間になりきれなかった人間よ」
「ふふっ。なにそれ、おもろい」
図書館は飲食禁止。私語もあまりよろしくない。それがここのベンチは、隣でネイルをいじっている、明らかに先生に見つかれば怒鳴り散らかされそうな身なりを頭の天辺から足のつま先まで施している彼女が差し入れてもってきれくれる、ホットコーヒーの缶と。
「火、ない?」
「いらないでしょ、ソレには」
「ちょうだーい、灯火」
「馬鹿なの?」
ココアシガー。それを頂きながら時々鼻歌を聞かされるこの空間が、このつまらない世界を蔑ろにしてくれるから。
「ソーナタっ」
それから、彼女はいたずらが過ぎる。不良のよくやる短すぎるスカートから、少し焼けた肌色の太ももをさらして、ニーハイが食い込んでいるその色の濃ゆい足元をちらつかせながら、ベンチの隣で前のめりに私に這い寄る。口元にはシガーが咥えられていて。
「好きなのねえ、ほんとう」
私はまだ手のつけられていないシガーを咥えて。はたから見れば子供遊びにしちゃあ知識が寄り過ぎなことをしているって思う。でも、この誘いに乗らないと、私は世界を切り離せない。
「ふふふぅ、さんきゅー」
彼女のバッグの中身は騒がしい。彼女の世界を作るための道具が詰まっている。チークを取り出してお色直しをし始める。それと、やっと口紅を探しあてたみたいで、それを口にたんまり塗りつけた。
「濃すぎ」
「映えるっしょ」
「そんなことしなくても、貴方は可愛いじゃないの」
「大人にはなれないのよ、小道具がないとさあ」
変な子。大人になるのなら、姑息な手段だと思うのだけど。でも上手に指先の爪を光沢のある群青色と、ラメを加えて楽しそうにしているその姿は、まるで職人さん。それをほうと眺めて確認して、満足気に私に自慢をしてくる。
「どう?」
「目立つ」
「良いでしょ」
色彩センスは確かに認める。貴方の選ぶ色はあまりにも暗いけど、よく凝らして見れば青と紫に輝く色をよく身につけているから。シガーの一本目を食べ終えてから、すぐに次のシガーを取り出す彼女。おままごとは一回ぽっきりだけ。後は普通にチョコを食べている。
「その人間になりきれなかった人間って、どんな意味?」
「それより私、ゲームがしたいわ」
「なんの」
「人間失格に出ているゲームでね、名詞を喜劇と悲劇のどちらかを決めてゆくの」
「私、国語三二テンなんだけど……」
「五〇点満点中でしょ?上出来じゃない」
私は本を閉じてから、今度はノートと鉛筆を取り出した。
「喜劇をcomedy、悲劇をtragedy、そう言うの」
「とら、……?」
「ええ。コメディとトラジェティ」
「コメとトラね、りょーかい」
「私が五つ、固有名詞を出すわ。貴方はそれにコメかトラか、埋めていってちょうだい。貴方も五つ、適当でいいから何かアイデアを出して」
「へーい」
ノートを一枚破って、それから鉛筆を手渡した。彼女は悩みつつも五つの名詞を書き出している。提案した私も四苦八苦しながら、でも自分がちゃんと何故コメなのか、トラなのかを説明できるものじゃないといけない。
こういった、小説の中にあるゲームを提案しても、彼女は本当は賢いのだから、すんなりと受け入れてくれる。
私の世界に出てくる、唯一現実世界からやってきた登場人物。
「できた?」
「日常的なもんしかでてこんかった」
「それも面白いじゃない。じゃあ、交換ね」
彼女の選んだ名詞は……
「母親、カマキリ、かげろう、白昼夢、夏休み」
「娘、テスト、運動会、恋人、誕生日」
彼女も私の上げた名詞を読み上げてきた。
「これ性格にじみ出そうだわー」
「楽しくなってきたでしょ?」
「解釈違っても嫌わんといてよ」
「最初から好きじゃないわよ、あなたのことなんて」
「どいひー」
彼女がスマートフォンから流している音楽を聞き流しながら、静かにお互いのお題をジャッジしはじめた。彼女らしいところといえば、運動会と恋人と、誕生日という名詞を選んだこと。運動会はそれこそ、面白くない学校の規則を無視してはっちゃけることの出来るイベント。それに親も来てくれれば万々歳。でも、彼女の両親が来たところは一度も見たことがない。もったいない、と何度も思った。彼女が走ると、その速さに勝てる女子はいないのだから。私は平均より少し遅い。だから、彼女にリレーでつなぐのはいつも私。
その時は、このどんくさすぎる足を愛おしいと感じることができる。この七海様にまかせろ!て、かっこいい主人公のように私のバトンを受け取って、颯爽と追い抜いてゆくのだから。
その私の弱さを知ってからだと思う。彼女が私のそばにいるようになったのは。恋人と友達の兼ね合いもできなくて、思わず振ったなんて聞かされた時は嬉しかったなんて言えないし、誕生日にお揃いのブレスレットなんて手渡された時なんか、もう。
まるで恋人みたいじゃないの。
「むずすぎるんだが」
「さあ、御開帳よ」
ソナタお題:娘→トラ テスト→コメ 運動会→コメ 恋人→トラ 誕生日→トラ
七海お題:母親→トラ カマキリ→トラ かげろう→トラ 白昼夢→コメ 夏休み→コメ
「あら、お母さんも娘もお互い不幸って解釈は一致したわね」
「不幸っしょ、少なくとも男女参画化社会とか言って女にあれこれ強いるこの世界はさ」
「あら、社会科出てたの?」
「ちょろーっと」
彼女らしい答えが帰ってきた。正直、これをしたかったのはあの子がどのくらい、私と似ているかを推し量りたかっただけ。そして予想は的中した。
「カマキリとかげろうがトラなのね」
「だってー、カマキリは交尾中、オスってメスに食われるっしょ? それからかげろうは身ごもると、メスはその卵に内蔵を圧迫されて死にそうになるんだし」
「だから娘は悲劇なのね」
「そーそー、特に私みたいなはみ出しもんに育っちゃったらもうそりゃ」
鼻が赤くなっている。やっぱり彼女はそれなりの理由を背負っている子。
その彼女を自分の世界に招き入れることができるのなら、私は。
「何言ってるのよ、私もはみ出しものよ」
「知ってるー」
とりとめもなく、お互いの傷を解釈に交えながら、名詞の喜劇と、悲劇を語る。
「ソナタはやっぱ判ってんだねえ」
それはこっちのセリフだから。