大好きな人に犬の名前をつけてもらった話
私がnoteを始めたきっかけは、とある一本のエッセイだった。
人とのつながりを遮断され、同時にいろいろなことも重なって絶望の淵に立っていた私の心が、それによってほぐれていくのに時間は掛からなかった。気がついたら、ほろほろと粒が零れていた。もっと自分の心を大切にしてあげたいと思った。
あの日手を差し伸べてくれたエッセイのおかげで座っていた崖からすくっと立ち上がることができ、今こうして自分の思いを綴っている。
今月の頭に、件のエッセイストさんに会いに行ける機会があった。時間をかけてアンケートを入力するふりをしながらタイミングを計り、大好きな人を目の前にして絞り出した声は震えていた。ちょっと勿体無いのが興奮のあまりその時のことを覚えていないこと。
「お名前、なんと言いますか」
と聞かれ、
「ともえです」
とたどたどしく答えたことはたしか。
また奈良に会いにいきますとも伝えた気がする。でもまさかその一ヶ月後まで覚えてくれているとは思わなかった。
私は好きな人を目の前にするとわかりやすく人見知りになる。目も合わせられないし、せっかくお話できてもなんだかそっけない感じを醸し出してしまう。そういえば自己紹介もしてない。今気づいて大後悔の渦に巻き込まれている。だからこそこうやって文字にして残しておくのかもしれない、相手に届くかどうかは別として。
むしろ私のことなんて忘れていて、とさえ思っていた。
采女祭で賑わう古都・奈良で再びお会いし、「覚えてますよ」と言われた時は気が動転しそうだった。やっぱり目は合わせられなかったけど。
イベントで仲良くなったお姉さんと一緒に、会場の目と鼻の先にある中華料理屋で開かれた交流会に参加した。横に座るのもやっとのことで、緊張のあまりに芋焼酎水割りと紹興酒をぐいぐい入れて、ようやく目を合わすことができた。人柄も、紡がれる言葉も、佇まいも全部好きだなあとあらためて感じる。ここまで書いて、絶対にご本人にこれを読まれたくないと強く思う。まるで公開告白だ。
そろそろお開きにしましょうか、の時間に、私が近ごろ愛用しているトートバッグの話になった。ミニチュアシュナウザーがほどされたバッグは、どこに行っても「可愛いね」と愛でられている。飼い主の私もいつも鼻が高い。
「名前つけてください」とお酒の勢いで無茶振りをして、私の犬(バッグ)を撫でながら、たくさん悩んでつけてくれた名前が『トロ』。とろとろの触り心地だから。ああもう、このバッグを一生宝物にすると心の中で誓った。
一晩寝てまだ奈良にいるのだけれど、昨日のことを反芻しながら書いていても、いまだに夢だったのじゃないかと思う。
だけど、『トロ』を撫でて、その手触りを感じることでいつでもこの日の夜に戻ることができる。次お会いした時は、もっと自分のこと話せるようになりたいな。