【考え方】一つでも得られるものがあったら【苦い経験について】
嫌な思い出ばかりだったとしても、一つでも好きなものや得られたものがあったら、それは「成功」と表現しても良いくらい素晴らしいことだと思う
◇ ◇ ◇
先日(2021年11月)、美術科高校時代に描いた油絵を整理した。
あんまり自分や作品を卑下するような事は言わないようにしてるのだが、まー正直全部めちゃくちゃ下手だし「あ、楽しくなかったんだな」ってのが見るからに分かる物ばかりだった。
というのも当時の生活にあまり良い思い出がなく、当時は諸々抑圧された環境下で怯えながらただただ制作していたので、のびのび制作する事も出来なければ油絵の描き方・良さすらちゃんと理解出来ていなかったのだ(と、大人になってから気付いた)。
でも一枚だけ凄く好きな作品があった。
コラージュをメインテーマにして授業で制作した作品。
久しぶりに見つけた時、本当に私のか?と疑うくらい生き生きしていると感じた。必死に上手に・写実的な絵画を描こうとしていただけの当時の自分では、課題として出されなかったらこんな風に材質選びや質感を重視した作品は作れなかったと思う。
白く染まった段ボールの粗い目や木の枝が素敵で、色選びやグラデーションの感じが凄く自分好み。良い作品だな、と。制作当時も楽しかったなって思い出した。
当時尊敬していた同じ学科の友人の色使いを自分も表現したかったんだと記憶している(彼女は今も油絵を続けていて、画家として活動している。今回整理したキャンバス達は彼女に譲渡した)。
時が経った今でも好きって事は、本能的に本当に好きな色合い・画風ってことなんだろうな。これを機にこういう色合いのイラストをもっと描いていきたいな…
……そんな自分だったので、一枚でも心底好きな作品作れてて良かったな、と嬉しさを覚えたし、少し感動さえした。
世間的にこの絵がどう映るのか分からないが、今はもう完全に過去の趣味の作品なので、他人の評価は関係ないところも良い。
過去の私が今の私のために描いてくれた作品なのかもしれない。
今は廊下に飾っていて、目に入る度に安心感や仄かな嬉しさを抱いている。今の私をそういう気持ちにさせてくれる作品を作れたってだけでも、学生時代に油絵に触れていたことは無駄ではなかったな、良かったな、と思える。
ありがとう。
これからも苦しい事や嫌な事・辛い事がきっとあるだろうけれど、「(なにかひとつでも)得たものはあった」「だから頑張ってよかった」と思える人間でいたい。そんな自分を思い出させてくれる優しい作品。
これからもずっと大事にしていきたい。
Thank you for reading!!
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