私という人の出来上がりかた~その2

私は先天性股関節脱臼と斜頸が見つかり、生まれてすぐから装具の装着と治療が始まった。お陰で今に至るまで大きな支障もないほどに回復している。この点については大阪で生まれたことに感謝する。はじめから鹿児島の田舎であったなら、医療の地域差もまだまだ大きい時代🍀(50年以上前の時代だ)装具を装着する治療を受けることはできず、障害が残っていたと思われる。斜頸を見つけてくれた母、先天性股関節脱臼が合併する可能性を示唆していただけた主治医に感謝するばかりだ。

後で詳しく書くが、お産婆さん(助産師)だった祖母が我が家の大黒柱🍀
ポンカン、さつまいも、米などを中心に農業をする祖父、なかなか仕事が続かない父、慣れない農業を手伝う母。
年に2回(お盆と正月準備)、隣街へ母と二人で買い物に行くのが楽しみだった。家計は祖母が握っていたので今思えば母は大変だったと思う。

母の思い出はかなり少ない😅
編み物や縫い物、文化刺繍、フランス刺繍等で服や帽子を作ってくれていた。
私は体が弱く、中耳炎、扁桃腺炎、風邪の悪化と隣街の病院へ行くことも多かった。運転できない母は祖父や父に頼まねばならず、お金は祖母に言わねばならず、考えただけでもゾッとする。

ここで力不足は父の経済力。今思えば給料はパチンコで使っていたようだ。父親のこの癖は今後も我が家に波紋を呼び、私の苦労に繋がる。続く

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