私と言う人の出来上がり方~その5~
継母の事
私が小学6年、つまり、母をなくして1年あまりで父は再婚した✨父の名誉のためにいておくと、周囲から勧められてのお見合いだった。
それでも多感な時期の私には受け入れがたい事実であり、一番の拘りは父からの説明がなかったことだ。
父はいつも大切なことを放置する❗️直面することから逃げるのだ😅
祖母や近所のおばちゃんから意見をされてもねぇ~
反対しているわけでもない。
が、祝福できる寛容さもない。
一番の被害者は継母だ。
くそ生意気な反抗的な娘
プライドの高い義母
発言の少ない義父
優しく見えるだけの夫は頼りにならず。
継母は仕事を続け、休日だけ帰ってきた。実質私の生活は大きく変わらず2年が過ぎる頃、降ってわいた転校の話。
成績は良かったので、継母が大学進学に有利な高校がある自分の手元に引き取ってくれようとしたのだ✨
当時は育ててくれている祖母への恩義を強く感じており、行動へは起こせずに現状に甘んじた😅
大学は金銭的な援助を継母に頼めず、断念しなんとか自力で行けるお金のかからない専門学校へ。
大きくなるにつれて継母との距離は縮まり、入院した父の看病、姉の結婚、出産私の結婚、出産などを通して掛け替えのない存在となっていった。
とても慈愛の深い人だったのに、私の未熟さで辛い思いもさせてしまったと思う☀️
70歳を前に急逝した。脳動脈瘤破裂だった。なんの前触れもなく、なんの恩返しもできないままにこの世を去った。
後10年元気でいてくれたらと思うことも多い。
曾孫までみれたら喜んだであろうと思うばかりだ。
生きていることが家族の支えであることも多いことを学んだ。
続く