『成仏(浄仏)』という事の意味を故人交信する私が死生観から考えると…
よくある質問のド定番が『成仏できたかどうか』
いつも、亡くなった方や亡くなったペットとの交信をすると、お客様からほぼ必ず訊かれること。
「うちの主人は無事成仏出来ましたか?」
「亡くなった人の事を考えすぎると成仏出来ないから忘れよう・泣かないと思って…」
「どうしたら無事成仏出来るんですか?」
これ、だいたい訊かれます。
それについてぶっちゃけツッコミ入れると「その価値観や考え方ってどこ由来のものですか?」と…
多分、連想ゲーム的に出来上がってしまったもののような気がするし、その結果亡くなった方々が逆に心配して憂いては本末転倒なので、『故人交信をしてきた私から見た成仏(浄仏)について書いてみます。』
そもそも、魂が『成仏(浄仏)』するってどういうことだろうか?
「うちの○○は無事成仏出来ましたか?」
に対しては「49日経過していたら基本的にはしています」
但し、自死の場合はその期間がググっと伸びて、結構時間かかるのですが、それについては深い話故、改めて記事を設けようと思います。
さきほどから私、『成仏&浄仏』と二通りの書き方をしているのですが、言霊って大事だと思っているのでその視点から考えて見る事にします。
成仏=煩悩を解脱して無上の悟りをひらく「目覚めたもの」という状態
浄仏=未練や苦しみから浄化されてスッキリして、仏になるという状態
浄仏については、昨日のお客様の故人さんが教えてくれた事なのですが、
どちらも「浄化されてる、目覚めてる(覚醒)」している状態です。
では、仏になるってどういうことなのだろう?と思った時、ピンと来たのが観音さま。
世の中のすべての人に救いの手を差し伸べたり、様々な姿に変身したり。
仏になる=今生きている私たち人間を救うことに力を貸してくれる存在になる
そもそも、人が亡くなる事は終わりでも敗北でもありません。
もともと私たちは、魂に肉体と言う制限をまとって地球上に留学してきているのですが、
亡くなるという事は魂のレベルアップを無事に終えて、49日までの間はその事実や魂として出来る事(魔法みたいな能力とかね)を思い出したり、未練やしがらみを取り払うべくあちこち訪問したりする時間です。
それを経て本来の魂の故郷である源(ソース・グレートセントラルサン・光次元…いろんな呼び方が有りますが)に戻って、私たち人間をサポートする側にまわる事です。
そう思うと、『成仏(浄仏)』って言葉は言い得て妙だなと感心したりもできるかも??
実際、私の守護霊さんはもともと地球上で生きていた人間です。
今では私のお仕事のお手伝いをしてくれたり、松岡修造ばりに熱のこもった説明をしてくれたりもしてくれていますから。
「○○してると成仏出来ない」の本当の意味について
「いつまでも悲しんでいると成仏出来ない」「いつまでも亡くなった人の事を考えていると成仏出来ないから早く忘れた方がいい」…云々って言葉に翻弄されている人が本当に多いなと思いますが、
『それは絶対無いので、むしろ泣いて思い出してスッキリしてください』
実際それで、看取った義父母さんが成仏(…と言うか、細かく言えば光次元に移行)出来ている様を視ているので、成仏出来ないという事は無いです。
では、何故「いつまでも悲しんでいると~」「いつまでも亡くなった人の事を考えていると~」という言葉が存在しているのかな?と考えたのですが
そもそもコレ、言い出しっぺは誰なんだろう…?
経典や聖書などを理解しようとする時と同じように、文字通りそのまま受け取って実行に移すというのは間違いで、本当の所は「方々への手続きや知らせでめちゃくちゃ忙しくなるし、混乱しまくりであっても葬祭マナー的に失礼が有ってはいけないから、泣きながらでもいいけど心の中だけとりあえず落ち着いた方が良いよ」という事だと思います。
経験された方はお分かりだと思いますが、亡くなった直後ってやる事山積みで、どっちかと言うと、役所や手続き関係で本当に悲しんでいる暇がない!
そりゃぁ、時間が経ってあれこれ「生前~だったら、~してれば」思いますって。
死後の世界や魂の仕組みを知らない人にとってみたらこれは、苦しいとか辛いとかより鬱にならないか本当に心配になるレベルのやること山積み具合…
辛くなったら抱え込まないで相談してほしいです、本当に。
故人交信を実際に行っている私ですら義父母さんを看取った後の1か月は、辛さや悲しみを感じつつ、余裕がない日々も感じてなかなかヘビーになる位なのですから、辛くなったり悲しくなったりしんどくなることは恥ずかしい事では無いし、それで相談する事も気晴らしに何かする事も全然悪い事じゃないのです。
そんなわけで、心の中を一旦落ち着かせることを最優先にして、その為には泣いても全然かまいません。
「どうしたら無事成仏出来るんですか?」について
ここまでお読みになるともうお分かりかと思いますが…
故人側は、こちらの世界での学びを卒業したことをきちんと納得した上で光次元に移っています。(自死を除いては)
先述したように死は終わりでもないし、消えることでも無く存在し続けています。ただ、姿かたちが変わっただけの事です。
先述の『成仏(浄仏)』って言葉の意味も含めて考えると、私たち人間をサポートする側にまわるのに、遺された側が本当の意味で笑顔で元気に生きてくれてる方が故人や亡くなったペットも安心して本領発揮出来るものです。
先にも書きましたが、辛くなったら泣いてください。
人って、泣くことも怒ることも、ずっと続けていると疲れて飽きてくるので、自然と止まりますので。
感情を発散させないで溜め込むことの方がよく無いですから。
どちらかと言うと気を付けないといけないのは、睡眠と食欲の方です。
眠れないかもしれないと思いますが、横になって休むだけでもいいです、睡眠をとってください。
大変な時だからこそきちんと食事をとって栄養や体力をつけてください。
それらは不謹慎には当たりません、寧ろ故人が安心してくれますよ。
(死別による悲嘆状態からうつ病に発展しにくくするためにもこれらは重要です。)
もしかしたら気後れや疎外感、ご自身を責めてしまうような気持ちみたいなものを感じてしまう事も出てくるかもしれません。
もしそうなってしまっても、無理に気持ちを抑えようとか葛藤することはせず、
「今は悲しいんだ、辛いんだなぁ」「今は思いっきり楽しみたいんだ!」と、ご自身の気持ちをありのまま受け入れて下さい。
気晴らしにお出かけしたり、遊んだりしても、やる気が起きずゴロゴロしてても、決して不謹慎にはなりません。
寧ろ、それが故人の安心にも繋がりますよ。
なぜなら、亡くなった存在達の望みは「本当の意味で心から笑顔になってくれること」、これにつきますので。
そのために、泣くことは勿論、笑って楽しむことも良いのです。
新しい趣味を始めるのも良いですし、遊びに出かけても良いのです。
(ただし、焦って無理やり元気になろうとか、笑顔になろうとかというのは間違いですのでご注意を)
心から喜び笑顔になることで、亡くなった存在とのつながりを感じる感度も上がりますよ(^^)
そして、一息ついて改めて大切な故人とお話ししたいと思いましたら、私の個人セッションで亡くなった方とお話しすることをおススメします(^^)
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