ぼくが親としてできる唯一の教育って。
自分が楽しそうに生きている姿を子どもに見せることが、
ぼくが親としてできる唯一の教育なのかもな、と考えています。
教育に関する情報って、世の中に溢れかえっていて、
どのような教育を子どもに与えていくのかは、
多くの親が悩んでいると思います。
ぼくも色々と考えたし、夫婦でたくさん話もしました。
その結果、自分の娘の教育を飛び越えて、学校をつくりたい、
なんて話になったり、東京から京都へ移住をしたりしました。
だから、もちろん環境って大切だよなとは思うんです。
だけど、ここまでしてみて改めて感じるのは、子どもの環境以上に、
親である自分たちが人生をちゃんと楽しんでいるかってことが大切なんだろうなということ。
よく夫婦で「ぼく達は本当に、娘になにも教えていないね」と話します。
トイレだって、箸の使い方だっていつの間にか覚えていました。保育園や幼稚園で色んな子どもや先生たちとたわむれる中で、覚えてきたことってたくさんあります。
ひらがなも、数字も、ことわざも。
彼女がいま興味を持って夢中になっていることは全部、どこかでいつの間にか覚えてきたことばかり。
勝手に育つ、というと語弊がありますが。
幼稚園やお友達、まわりの色んな人達が彼女に学びの機会を与えてくれている。
ぼく達夫婦が、やっきになって娘に教えないといけないことなんてほとんど何もないなと思う。
例えば、勉強なら学校などで学べばいい。
人間関係や社会のルールだって、友達同士、学校の中で体験していくでしょう。
他の習い事だって、その先生に教わればいい。
でも、親として、または人生の大先輩としてぼくが娘に自信を持ってできること。
それは、人生を楽しんでいる姿を見せることくらいだなと。
楽しい姿だけじゃなくて、大変な姿や苦しんでいる姿も含めて”生きる”ということを、一番のそばで見せてあげられる。
建前や嘘じゃない、生の生きる姿を。
そんな姿は、親じゃないとなかなか見せられないんじゃないかなって思ったのです。
親と先生は違うんだよな。
って、なんとなく最近感じていて。
それは「親は先生みたいに子どもに何かを教えなくてもいいんじゃないか」ってことかもなと。
教えるよりも、”伝える””見せる””帆走する”。
そういうことのほうに、ウエイトがありそうな気がしています。
健全な意味において、ぼくたち夫婦が「なんだかんだあるけど、人生って楽しいよね」と娘に対して笑顔でいうことができたら。
子育ては成功したってことでいいんじゃないかなぁ。
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今日も見に来てくれてありがとうございます。
いま、多くの子ども達を毎日見る中で、彼らの柔軟性に驚かされています。
彼らはきっと、与えられた環境に不思議なほどするりと馴染んでいく強さを持っている。
その姿を見て、親の手の届かないところで子どもたちはどんどん成長していくんだってことを実感として感じています。
ぜひ、明日もまた見に来てください。