「育む」時間
なんでもすぐに結果を欲しがる社会にすんでいる。
「すぐに」「簡単に」「手間なく」「時短技」。ネットを眺めているとこうしたことばで溢れていることに気がつく。
ぼく自身も、やはりそうしたことを無意識に求めてしまっている。
だけど、そうした速さや手軽さの中に、どれほどの価値を見いだせるのだろうかと疑問にも思う。
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娘を眺めながら、ぼくはここまで一緒に育ってきた時間を思った。
娘が産まれたときから5歳だったら、ぼくはこれだけの愛情を感じてはいないだろう。
この2週間ほど、わが家はいろんな忙しさで疲弊しきっていた。
大変ではあったし、元気いっぱい笑顔でというわけにはいかなかったけど、夫婦で協力しあい、助け合いながらなんとかひと波越えることができた。
ここまでの10年。ともに大変さを乗り越えてきた信頼があるから、この程度のしんどさでやり過ごせたのだろう。
子育てと結婚生活。このふたつはぼくに「育む」ことの大切さと楽しさを、教えてくれていたのだと、ふと気が付いた。
「育む」とは結果よりも過程をたのしむこと
美味しい珈琲屋さんで飲む珈琲と、自分で豆からひいてドリップして飲む珈琲。味や香りなど、珈琲という飲み物としては、珈琲屋さんで飲むほうがきっと美味しい。
だけど、自分で豆を選んで、ミルで挽いて、お湯を沸かして、カップを温めて、震えながらドリップした珈琲は、そのプロセスのすべてが美味しいのだ。
ぼくはいま、ロースハムを手作りしているのだけど、肉を選ぶところから、塩もみして、湯煎して、というプロセスで、食べていないのにすでに美味しい。
自分で育てた大根は、スーパーの大根より細くて曲がっているかもしれない。だけどきっとずっと美味しい。それは採れたて新鮮とかってことじゃなくて、大根の成長の過程まで込みでうまいのだ。
こうした過程のことを「ストーリー」だとか「体験」だとかと言う。
だけど、ぼくはこれは「育むこと」だと思った。
だから、この過程が深まれば深まるほど、できあがった結果以上に、そこまでの道のりに価値が出てくるんじゃないかと。
「育む」という時間の感覚
食べ物だけじゃない。夫婦関係や、子育ても同じ。
手軽に、手早く結果を得ようとすれば、どこかで違和感が生まれる。
「育む」ということばには、長い時間の感覚が含まれている気がする。つまり時間がかかるのだ。
「育む」という長い視点で物事を見るようになると、すべての結果は過程にすぎなくなる。
スピード感が大切な時代ではある。
だけど、それは他人の価値観なだけかもしれない。自分の時間を他人の時間感覚にすべて合わせる必要はないのだ。
ぼくは、自分が大切にしたい物事ほど、じっくりと「育んで」いきたい。
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今日も、見に来てくれてありがとうございました。
家族との関係や子育てだけじゃなく。仕事やキャリア、趣味、このnoteだって。爆速で一攫千金を目指して駆けずり回るより、土を耕すように昨日より今日、という感覚でいるほうが、自分には向いているようです。
ぜひ、明日もまた見に来て下さい。
明日は、連続更新365日目。じっくりと育んでこれたなぁと思っています。