暴力と愛情の境界線
「痛い! 痛い! ゴメンナサイ!」
「お前らみたいなバカヤロウはいくら言ってもわからないんだな!」
僕が中学生の頃の体育のフクダ先生(仮)は、それはもう最悪な人だった。
少しでも言うことを聞かない生徒がいれば、次の瞬間にはぶん殴られる。お優しいことに、女子にはビンタ、男子にはゲンコツと、それなりに気を使っていてはくれたようだ。
フクダ先生の最悪加減は小テストでも現れていた。
選択問題の解答を上から順番に読むと「ゴチュウハバカバカリ(五中はバカばかり)」となった。選択肢がアイウエオじゃなく、ガギグゲゴ、タチツテト、など変な問題になっていたので、全員が全問正解した。ちなみに五中とは隣の中学校だ。
週に数回あるこの体育の授業が訪れるたびに、僕たちは身体を小さくして、気配を消して、どこにでも転がっている石のごとく無害な存在になろうとした。
この日も、石のように静かに体育の授業を乗り越えようとしていたのだが、運悪くタケル(仮)がつかまってしまった。
バスケの授業中、いくつかのグループに別れて試合をしていたのだが、試合に参加していなかったタケルと友達がボール投げをして、はしゃぎすぎたそのボールがフクダ先生の頭に当たってしまったのだ。
当然逃げ切れるわけもなくタケルはつかまり、殴られるという結果に。
せっかく静かに終わるはずだったその日の体育は、無残な暴力に彩られて終わる結果になってしまった。
「あいつ、どっか別の学校に異動になったりしねーかなぁ」
ボコボコにされたタケルが悔しそうにぼやいた。
「辞めさせちゃえばいいんじゃない?」
転校してきたばかりなのに、クラスの中心人物に成り上がっていたジュリ(仮)がつまらなそうに呟いた。彼女は3年の学校を仕切ってる先輩と付き合っていて、何でも自分の思い通りになると思っているふしがある。
「辞めさせるって?」
「あいつが誰か殴ってる所、カメラで撮って校長に送ってやろうよ」
その提案はクラス中を湧き上がらせたが、誰も実行する勇気はなかった。
ただの妄想だけで終わったと思っていた計画だったが、数カ月後には学校中を震撼させる出来事へと展開されていったのだ。
「ねえ、体育の先生が怖いって本当?」
突然、母から尋ねられた。
適当に流していたが、どうやらPTAを中心に保護者全体にその噂が流れているらしい。しかも証拠の写真もあると言うのだ。
翌日、クラスはその話しで持ちきりになった。
「わたしが彼氏に話したら面白がって、写真撮ってくれたみたいだよ」
何でもないかのようにジュリが言った。彼氏はフクダ先生が自分と同じ3年のクラスの誰かを殴っている所を撮影し、それを自分の親に見せたらしい。
学校中の噂になり、大問題へと発展。日に日に憔悴していくフクダ先生の姿は恨みが募った僕たちにとっては心地よい以外のなにものでもなかった。
そして、ある日の朝礼。
「残念ながら、体育教師のフクダ先生が今日で異動をすることになりました。みなさん、お別れの挨拶をしましょう」
と校長先生が発表をした。
「フクダ先生! なんでどっか行っちゃうんですか! 僕たち、先生のこと大好きだったのに!」3年生のジュリの彼氏が挙手をして大声で叫んだ。
ざわつく会場。
その時、フクダ先生は自ら前に出てきて、校長先生が止めるのも聞かず、勝手に話し始めた。
「俺は、みんなの事を愛してた。確かに殴ることもあったけど、それはその方がみんなのためになると思ったからだ。うるさい親達がそれを理解できなかったのが本当に悔しい」
彼は泣きながら話し続けた。いかに自分が学校のことを思い、生徒のことを思い、取り組んできたのかを。
彼が話せば話すほど、その場にいる全員が引いていくことに彼だけが気がつくことはなかった。
愛情の裏返しで、つい手が出てしまう、という人もいる。
状況によっては時にそうした対応が必要だと主張する人もいる。
じゃあ、どこからが「暴力」でどこからが「愛情」なのだろうか。
線引は難しく、なかなかできないがこれだけはハッキリと言える。
「常習性を持ち始めたら、どれだけ愛情を込めていてもそれはただの暴力」なのだと。
暴力を振るう人に対して「愛情」ではなく「恐怖」を感じるようになったら、それは「虐待」と言えるのではないかと。
いま、僕は親になってつくづくそう感じている。
コミュニケーションの手段としての暴力は、絶対に許されてはいけないのだ。
言うことを聞かない子もいるだろう。
暴力を奮ってくる子もいるだろう。
だが「教育の手段」として暴力を使うことは間違っている。
コミュニケーションには様々な方法がある。言葉で問いただすだけじゃなく、普段の態度や行動の一つ一つが全てコミュニケーションなのだ。
親だろうと教師だろうと、「教育」という強力な盾で自身を守りながら、「暴力」と言う矛を振りかざすことは、とんでもなくキタナイやり方だ。
そして、その行為がいかに矛盾に満ちているか、僕は自分の胸にしっかりと刻みつけておこうと思う。