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「イジメられる側にも問題」なんて100%あり得ない。
「イジメられるのは、あいつにもちょっとは原因がある」なんて思ったことありませんか。
ぼくはあります。
それも、2つの立場で思ったことがあります。
ひとつは、イジメられていたとき。
ふたつ目は、イジメを見てみぬふりをしていたとき。
イジメを受けていたときは、自分にも至らないところや問題があるのだと思っていました。
太っていて、言葉も方言訛りがあって、要領も悪く意見もハッキリと主張できませんでした。
そんな自分だから、イジられる。
最初はイジりだったのが、気がついたときにはイジメになっていました。どこでそのラインを越えたのかはわからないけれど、気がついたときには過剰な悪意と、笑えない痛みを伴い始めていたのです。
イジメって子どもだから起こる事ではありません。
社会人になったばかりのころ、はじめて入った会社で壮絶なパワハラにあいました。
灰皿が飛んでくる。一日中動くことを許されずにカタログを眺めさせられ続ける。理由もなく怒鳴り散らされる。
さっさと辞めましたが、精神的な苦痛は辞めたあとも簡単には癒えませんでした。
この頃も、自分は仕事ができないからこんなに怒られるんだと思わされていました。
イジメられたり、パワハラをされたりするのは自分が悪いんだ。
そんな気持ちにさせられていたのです。
そして、イジメられている被害者としてではなく傍観者としての立場でも同じように思っていたことがあります。
学生時代、空気が読めなくて暗くて、何を言われても大して言い返してこない人がいました。
「こいつには何を言ってもいいんだ」
そしてサークル内でそんな空気が蔓延していたのです。でもぼくは、それにNOを言わずやはり周りと同じような態度で接していました。
そんなときに思っていたのです。「いつもハッキリしてないこいつが悪いんだ」と。
すでにイジメの被害者であった経験があったにも関わらず。いや、経験があって自分を責め続けていたからこそ、同じように考えてしまったのかもしれません。
イジメは子どもだけでなくおとなになってからもある。
大人になってからのイジメは犯罪と名前を変えて、具体的な罰との結びつきがわかりやすくなります。
でも、子ども同士のイジメだって犯罪なのです。
イジメと言う言葉が、子ども同士の行き過ぎたケンカみたいなある意味「思春期あるある」的なイメージを持たせてしまいますが、あきらかに犯罪でしかないのです。
犯罪は、犯した方が悪いのです。
日本はなぜか、弱者に対して無意味に厳しい社会な面もあります。
性被害にあった女性に対して「露出が多い格好をしてるからだ」「嫌なら断ればいいのに」などと、普通の感覚で言葉にする人もたくさんいる。
それが、どれだけ異常な発言かに気がつくこともなく。
イジメも同じです。
被害者に対して「君にも責任がある」なんてことを、先生が普通に言ったりします。
空気を読めなかったから?
太っていたから?
ブス、ブサイクだから?
勉強ができない、もしくはできすぎるから?
人より反応が遅いから?
そんなことが、犯罪を受ける理由になっていいはずがない。
「イジメられる側にも問題がある」なんてことは100%ない。
その問題に見えることに対しては、イジメ以外のやり方でフィードバックすればいいだけのこと。
それを、イジメという犯罪の免罪符になんて絶対にしてはいけないのだ。
山下弁護士の書かれている子どもの法律。
ここには、弁護士の視点から法律と照らしあわせて子どもの周りにある様々な問題について書かれています。
とてもすばらしい記事なので、ぜひ読んでみてください。
では、また明日。
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