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小さな勇気を持つことにした

公園にある大きな縄のトンネルの上から、男の子の大きな声が聞こえてきた。

「がんばるから! 大丈夫!」

遊具の下には心配そうに見上げるお母さんの姿。
縄のトンネルの高さは3mほど。下から登っていったら、縄を伝って降りてこなくてはいけない。だけど、縄を網目状に編んだトンネルなので下が丸見えになる。
男の子は、トンネルのてっぺんから、一歩も動けないでいた。

僕も高いところが苦手だからよく分かる。
てっぺんで立ち止まってしまったら、それまで調子よく登れていても突然足が動かなくなるのだ。身体をどう回転させればいいのかがわからなくなる。どう考えても落ちてしまいそうな気持ちになる。

よせばいいのに、その男の子は何度も下を見ては縄にギュッとしがみついていた。

「ママが向かえに行こうか?」

いまにも手を離して転がり落ちそうな男の子を心配して、お母さんがそう声をかけたとき。

「がんばるの! 大丈夫!」

表情は全然大丈夫そうではないのだけど、叫ぶように言うことで自分を奮い立たせていた。

「がんばる、がんばる!」

身体が硬直したまま、その男の子は何度も自分にそう言い聞かせていた。
何がそこまで彼に思わせたのかはわからない。だけど、彼は自分ではっきりと「自分の力で最後まで降りる」と決めたのだろう。意思の固さは伝わってくる。

***

彼は「勇気を持つ」と決めたのだ。
やり方もわからないし、落ちるかもしれないし、落ちたら痛いかもしれない。あの場での彼の心境としては文字通り「命がけ」くらいの戦いだったのだろうと思う。

勇気は、勝手に湧き上がってくるものじゃない。
勇気を奮い立たせると言うけど、もう少しリアルな心境としては勇気は「持つと決める」ことなのではないだろうか。

勇気を持つと決めたところで、足が前に踏み出せるかどうかは解らない。
勇気を出せない理由は100も200も浮かぶだろう。
だけど、そうした踏み出せない理由一つ一つに「勇気を持つと決めたから」と言いながら蓋をして回ることが「勇気」なのだと思う。

僕も、勇気を持ちたいと思う。

誰か困っていそうな人がいたとき、僕は手を貸すべきかどうか迷ってしまう。席を譲ったほうがいいかな、と思いながらもそのまま座り続けてしまう。
何かやりたいことを表明することも戸惑うし、「NO!」という事もおせっかいをすることも、言い訳と自制心が過剰に働いてしまう。

手を貸さない理由、やらない理由、NOと言わない理由はいくらでもある。そうして自分を正当化することなら、簡単にできる。

そして、それらの理由一つひとつを論理的に打ち破っていくのは困難だ。

恥ずかしいから、もしかしたら迷惑かもしれないから、危ないから、余計なお世話だから。

そうした思いに、答えじゃなくて蓋をする。その蓋こそが勇気だ。

勇気を持つということは、とりあえず言い訳に蓋をして一歩を踏み出すこと。その先どうなるのかは、まだ考えなくていいと信じること。

***

男の子が一歩を踏み出した。
そおっと、そうっと手を出して、縄を掴んで、足を出す。

それを見たお母さんも、ほっとしたようだ。

男の子はほとんど目をつむったまま、

「がんばる、がんばる」

とブツブツ言いながらゆっくりと降りてきた。

***

僕も何か自分が一歩を踏み出したいのに、踏み出せないとき。
「勇気を持つことに決めたんだ」
と自分に言い聞かせてみようと思う。

たくさん湧き上がってくる言い訳達に、一生懸命蓋をかぶせて、まずは一歩を踏み出してみたい。
そのせいで失敗したり、恥ずかしい思いをすることだってあるかもしれない。

でもそれでいいのだと、トンネルをくぐりきった男の子を見ながら、僕は思った。


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三木智有|家事シェア研究家
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