「保育士の暴言」から親として学べること。
悲しい事件がまた起きてしまいました。
度々ニュースになっているのに、それでも無くなることはありません。もしも自分の子どもが、こうした暴言を吐く保育士の元に通っていたらと思うと本当につらくなります。
子どもを預かるという責任を負った保育士による暴言や暴力はけっして許すことはできません。でも、ただ糾弾するだけでなく、この事件から僕たちが親として学べることも何かあるかもしれません。
▶ 子どもをコントロールしようと思ったら黄色信号
ご飯を作っているのを邪魔する。片付けをしないで、部屋をめちゃくちゃにする。TVを見ているのにうるさい。買い物中に泣き叫ぶ。電車の中で泣きじゃくる。
子育てしていれば、どのシーンも珍しくはないでしょう。むしろ、それが日常かもしれません。もしこうしたことが、子どもが集まって散らかしても騒いでも全然OKな場所だったら気にせず放っておけばいいだけです。でも、そんな場所なんてほとんどありません。また、忙しいときや、やりたいことが他にあるときも、子どもは容赦してくれない。
そうすると、どうしても子どもをコントロールしたくなります。
言うことを聞かないことに腹が立つ。どうして伝えたことが守れないのか腹が立つ。約束したことを守れないのも腹が立つ。
どれも、子どもなのだから当たり前です。だけど余裕がなくなると「当たり前」じゃ済ませなくなってしまう。そして、言うことを聞かせようと言葉がどんどん強くなってしまうのです。
▶ 理想を子どもと一緒に共有する
僕は自分の子育てや、小学校でのインターン経験を通して学んできたことがあります。それは「なぜ、そうして欲しいのか。理想を子どもと共有する」ということ。
大人は子どもに対して、どうしても「こうして欲しい」という理想を描いてしまいがちです。べつに大きなことじゃなく「静かに買い物して欲しい」とか「時間通りに家を出るために準備をして欲しい」とかも。
ただ、この理想って自分が勝手に思っているだけで、子どもにはちっとも伝わっていない、もしくは納得できていないことも多い。よく意味もわかないのに「ああしろ、こうしろ」と言われる。そしてそれは、大人と子どもという強制力のもと、当然のこととして守らなければ怒られる。これは、子どもにしてみたら理不尽じゃないかなと思ったのです。
娘がまだ3歳くらいのころ。娘がお菓子を欲しがっていたのですが、僕はそれを頑なに買ってあげませんでした。でも、一方的に買わないと言うのではなく、お菓子売り場の前で娘と15分くらい話し込んだのです。
なんで欲しいのかを聞いて、なんで買いたくないのかを話しました。3歳ですから、自分の気持をしっかり言葉で表現するのは難しいし、僕の言うことを100%理解するのも難しい。それでも、お互い納得するまで抱っこしながら話しました。結局、そのときは「家に帰ったらご飯を食べるし、さっきお菓子は食べたから、今日は買わない」を、娘なりに理解して納得してくました。
でも、別の日。やはり「お菓子が欲しい」と娘が言ったとき。何となく「買わない」と言ってしまったのですが「まだ今日はお菓子食べてないし、このあとご飯じゃないから食べたい」と、プレゼンしてきたのです。僕は納得して「それじゃ、ひとつ買ってあげる」とお菓子を買ったのです。
わが家では、お菓子に限らず、あらゆることを話し合うようにしています。お小遣いが欲しいときも、新しいアプリが欲しいときも、どこかに行きたいときも行きたくないときも。欲しい理由を説明し、納得してもらえれば希望が叶います。逆に親がこうして欲しいと思っていることも、子どもに1から説明します。理由もなく押し付けることは原則ありません。
大人が勝手に理想を押し付けるのではなく、その理想や希望を共有するところから対話をスタートさせると、子どもはかなり解ってくれるものです。ただ、時間はかかるし、手っ取り早いやり方じゃないし、労力だってかかります。それでも、暴力や暴言でコントロールするよりはずっとお互いにとってよいコミュニケーションだと、僕は信じています。
子どもたちへの暴言や暴力が、少しでもなくなりますように。
では、また。
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