5歳児が「ひとりになりたい」と言ったら?
ぼくは、気持ちや身体が疲れてくると、ひとりになりたくなる。気心のしれた友人や家族ともそっと離れて、誰もいないところでぼーっとしたくなる。
そう思う大人って、決して珍しくないはず。
「あー、わかる。ひとりになりたい時あるよね」と共感してくれると思う。
とくに、子育てをしているとひとりでいられる時間がなくなって、気持ちがぐったりしてしまうと、よく耳にする。
でも、5歳の子どもが「ひとりになりたい」と言い出したら、親としてどう思うだろうか。
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今朝、幼稚園の先生から「娘さんが、たまにボーッとひとりで座ってるんです」と言われた。コロナ禍で環境がコロコロと変わる中、子どもたちの細かな点にまで目を配ってくれていた。
いつも元気いっぱいで、ハイテンションな娘のボーッとする姿を心配してくれたのだ。
帰りのお迎え時にも違う先生から「少し"無"になってましたよ」と、たまたま同じようなことを教えてもらった。
話を聞いただけでは、どのくらいボーッとしてたのかはイメージしづらい。でも、わざわざ教えてくれるくらいだから、普段とは違った様子が見られたのだろう。
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夜。娘とお風呂に入りながら話をした。
「ボーッとしてるときって、なに考えてるの?」
「あー、つかれたーって、ボーッとすんねん」
「あぁ、わかるわー。疲れるとさ、ボーッとしたくなるよね」
「そうやねん、でもひとりでボーッとできへんねん」「え、なんで? 幼稚園でもボーッとしてればいいじゃん」
「ちがうねん、ボーッとしてるとみんな、話しかけてくんねん」
あぁ、なんて言うのかな。子どもも大人も、同じ感覚だよなってすごく思った。
5歳だろうと、40歳だろうと、ひとりになりたい時はあるし、放っておいて欲しい時もある。
娘から話を聞くまで、ぼくは5歳児が「ひとりになりたい」と思うなんて、思ってもみなかった。
「じゃあ、家でボーッとしたら?」
「パパとかママがおるやん」
子どもは、いつだってパパやママと一緒にいたいもんだって思い込んてた。少なくとも5歳児はまだ。
でも、そうでもないんだろうな。
娘は朝から晩までひとりになれる時間がない。
自由にのびのび過ごしているように見えて、まだまだ大人の管理下にあるのだ。
「だったら、お布団の部屋でひとりになったらいいよ」
「それええな!!」
大人はつい、子どもってこうだよね、というバイアスで見てしまう。
だけど、その子が何を思い、考えているのかは、当たり前だけどみんな違う。その子がまだ、うまく言語化できないだけかもしれないのだ。
ぼくと娘がお風呂に入る前も、入った後も。妻が娘の気持ちを丁寧に聞いてくれていた。だからぼくは、安心して「ボーッとしてるとき」の気持ちを聞けた。
大人だってそうだけど、自分の気持を言葉にするのは時間がかかる。それは、気持ちを話すと言うよりも「言葉を探す」作業に近いかもしれない。
娘が困ったときは、妻と共に、慌てずに娘の言葉を探してあげたい。
では、また明日。