育児は同じ親だからと言って平等でも、公平でもない。
同じ子どもを育てている夫婦なのに、育児の大変さはそれぞれ違うんだよな。なんて言ってしまえば当たり前のことを思ったりした。
きっかけは、妻の「想像していたけど、ワンオペはやっぱりキツイわー」という言葉。
ぼくはいま、毎日朝6時前に家を出て、帰ってくるのは夜の8〜9時ごろ。
朝の準備が大変になる時間にいなくなり、一段落したころに帰ってきている。
今年の4月から6月の2ヶ月間は、妻が東京へ単身赴任で家におらず、その間はぼくがワンオペ状態。
そしていま。6月から8月までの約2ヶ月は上記のように、ぼくが平日戦力外のワンオペ状態。
夫婦のどちらかがワンオペ状態で過ごしている家庭は多いのだと思うけど、わが家は夫婦交代でワンオペ状態を担い合っている。
他所の家の育児の大変さを聞くことはあるけど、自分の家庭内で育児の大変さを比較することってあんまりない。そんな貴重な経験を、まさにしている最中だ。
娘のパパモードがつらい
妻から聞いた、いまのワンオペで大変なのは、娘が事あるごとに「パパがいい!」と大騒ぎすること。これはぼくが家にいるときも、娘は露骨にそういう態度を取ることがあるので、その厄介さはよく見てぼくも感じる。
娘が大騒ぎをしているとき、たいてい大した理由なんかないのだ。眠たいとか、虫の居所が悪いとか、そんなときに「パパ」を持ち出す。きっと娘の中でぼくは都合のいいドラえもんのような存在なのだろう。
そこに理由があろうが、なかろうが、虫の居所が悪くなる度に「パパがいい」と言われたら溜まったものじゃないだろう。わかっていても傷つくし、どうしてやることもできないリクエストに応えることはできないのだ。
もしも、これが逆だったら。
ぼくだって娘と一緒に過ごすことに煩わしさを感じるだろう。
これはわが家だけじゃなく、「パパがいい」「ママじゃなきゃだめ」などという理不尽はいろんな家庭で起こっているのだと思う。
同じ「親」なんだから、同じように育児ができるなんてのは幻想でしかないのかもしれない。
子どもは、残酷なまでに親の存在に好悪をつける。それは、時間ごとに違うこともあれば、日毎に違うこともあるのだけど。
育児は同じ親だからと言って平等でも、公平でもない。
妻の話を聞きながら、ぼくのときと感じている大変さは全然違うんだよなと思った。育児は同じ親だからと言って平等でも、公平でもない。ましてや大変さが同じだなんてこともない。
ママができるんだから、パパだって同じことができるとは限らない。逆もしかりだ。
きっと、それでいいのだ。
お互いができることを補えあえているのなら。同じことを相手に求めることに意味なんてない。
育児は、夫婦の足並みがそろうとずいぶんと楽になる。
それはスキルや価値観の話じゃなくて、お互いを支え合い、ねぎらい会えているかどうかってことなんだと思っている。
大変だよー、という愚痴も言い合えるし、共感し合える。
たったそれだけでも、辛さを持ちこたえられるのだ。
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今日も、見に来てくれてありがとうございました。
お互いが同じように大変さを分かち合える機会ってなかなかない。そういった意味においてもこの期間はいい期間だったんだろうな。
ぜひ、明日もまた見に来てください。