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子どもに退屈をプレゼントする覚悟を持とう

そう言えば、ぼくはいつから”退屈”していないんだろう。思い返せばスマホを手に入れた時、ぼくの人生から退屈はいなくなった。

暇になればスマホを見ればいい。
最近はKindleも入れてるから、本も読める。スマホさえあれば、そしてWi-Fi(か、電波)さえ整っていればぼくは退屈することはなくなった。

じゃあ、4歳になる娘はどうだろう。
この記事がそれを考えさせてくれた。

子どもたちの潜在能力を最大限に発揮させるには創造性やクリティカルシンキング(批判的思考)のスキルを育てる必要があるが、そのために必要なのは子どもたちが自分と向き合う時間だ。
大量の情報から離れ、効率的に動くことをやめ、ぼーっとリラックスし、自分のことや自分が欲するものを考える「退屈」する時間が。

そう言えば、娘と家でぼーっと過ごしていたとき。ふたりで暇だねー、と言いながら一緒に遊びを考えたりした。
よくわからない、スゴロクみたいなゲームをノートに書いたり、意味不明な替え歌をつくっては大爆笑したり。
受け身になるエンタメではなくて、創作するような遊びを楽しんだ。

退屈させることが、子どもの創造性を育むんだ、とわかったとしても、子どもを退屈させるのは子どもだけじゃなくて親にとっても試練だ。

ただぼーっと「退屈だねー」と言いながら内省してくれたらいいけど、実際はそうはいかない。

「ひまーー!!!」
「たいくつ! なんかしたい! TV見たい!」

絵本読んで、一緒に遊んで、公園行きたい。

こうした猛攻撃にさらされること間違いなし。
そう、子どもに退屈を与えるには、親にも相当の覚悟がないとできない。

ともに退屈を味わい、想像力を育むことができるだろうか?

最初の数十分。持ちこたえれば、諦めて自分で遊びを考えたりしはじめるかもしれない。

ヒマだ〜!子どもが不平をこぼすと罪悪感を抱くのは親の方、というのは現代ではよくあること。手っ取り早く解決するため、テレビやコンピューターをつける、ゲームをさせる、何か楽しい計画を立てることになるのだが、それによって子どもたちは自分の頭で考え、人として成長できる機会を逸しているのだ。

そうなのかもしれない。
辛いのは子どもではなくて親である僕自身。

だったら、今度一緒に退屈を味わってみよう。僕自身もしっかりと内省する時間になるかもしれない。

※※※

今日も見に来てくれてありがとうございます。
たまにはスマホを置いて、退屈に身を委ねるのもいいかもしれません。
ぜひ、また見に来てください。


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三木智有|家事シェア研究家
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