「いーれーて!」と言われたらどうする?
「いーれーて」
「やだよー。いま2人で遊んでいるんだから」
「ぼくだって、一緒に遊びたいよ。えーん、えーん」
今夜読んであげた絵本にこんなシーン。
断られた子は泣き出してしまいます。それを見た断った子が「いじわるして、ゴメンね」と仲間に入れてあげます。
「みんなで遊ぶと、楽しいね」
そう言って絵本は終わっていきます。
2人だけで遊びたいと言う気持ち
別に、この絵本に物申すわけではないのだけど、「みんな仲良く一緒に」が大切なこととして描かれがちな絵本。
断られてしまった方の気持ちを考えると、仲間はずれになんかしないで仲良く遊ぶのが一番、ということになるのでしょう。
でも、2人だけで遊びたかった子どもの気持ちはどこへ行ってしまうのかな?
ぼくは子どもの頃。大人数で遊ぶのが苦手でした。だから、仲のいい2人だけで遊びたいなってことはしょっちゅうでした。
でも、そこに「いーれーて!」とだれかが入ってくる。すると、ぼくと友達の2人で遊んでいたときの世界は、少し違うものになっていきます。
新しいキャラクター、新しい価値観が増えていくと最初の頃の2人だけのものだった世界はすっかり影を潜めてしまうのです。
それまであった親密さは失われ、まったく違う遊びへと変化していく。
人数が増えるほど遊びは形を変え、例えば人形遊びだったのが、ボール遊びなどへと変わってしまう。
「いーれーて!」を受け入れることで、ふたりの遊びは確かに失われてしまった。
ぼくは子どもの頃、それが本当に嫌だったのです。
道徳という答えだけでいいの?
「みんな一緒に」「みんな仲良く」というのは道徳の基本。
それが別に悪いとは言わないけれど、そうした大人が決めた答えを押し付けられるのが、ぼくは子どもながらに息苦しかった。
「いーれーて!」を断ることが、まるで悪いことのように教えられる。
だけど、受け入れる権利もあれば、断る権利もあるんじゃないかと思うのです。
「いまは、2人で遊びたいんだ」
そうやって言ったっていいんだよ。ぼくはそう思う。
子どもの頃から「みんな一緒」「みんな仲良く」だけを教えるのではなくて。「自分の気持ち」も大切にしながら、自分で考えて答えを見つけ出すことこそ、教えてあげたい。
断られることも当たり前
「いーれーて!」の返事は「いーいーよ」。
まるで決まった定型文のように教え込まれるから「だめー!」の返事がイジワルに聞こえてしまう。だって、本来するべき返事と違うんだから。
どっちが返ってくるか分からなければ、断られたときに傷つくこともないと思うのです。
断り下手であり、断られ下手。
僕自身そういう子どもだったし、いまでもどちらも苦手。
断られると言うのは、道徳に反することで、そんな答えをしたりされたりするなんて、よっぽどなんだと、どこかで思ってしまっている。
だけど、それって本当じゃない。
受け入れるのも、断るのも、どっちも当たり前。別に良いも悪いもない。
そういうものじゃないかな、ってふと絵本を読んであげながら考えてしまいました。
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今日からも見にきてくれてありがとうございます。
大人が決めた答えをなぞらせるのって、あまり意味ないなーと思ったりします。だって大人がその答えを守れないんだから。
ぜひ、明日もまた見に来てください。