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怖いのは学校へ行けないことよりも、家庭の崩壊なのだ。
ちょっと前。友人と「いま不登校について色々と調べているんだ」という話をした。
そのときに、もしも自分の子どもが不登校になった場合、何よりも怖いのはなんだろうかと考えました。
娘が学びをやめてしまうこと。
学歴がなくなってしまうこと。
引きこもって、家から出られなくなってしまうこと。
きっと、怖さも不安も数限りなくあって、混乱だってあるのだと思う。
だけど、何よりも怖いのは家庭の崩壊かもしれないと思ったのです。
夫婦や家族で意見が食い違う。そしてお互いを信頼しあえなくなる。
こうなったのは、子どものせいじゃないかと思うようになる。
ここまで来たら、家族の誰もが苦しいことになる。
ぼくは、子どもの学びも、将来も、育んでいくための手段は学校以外にもいろいろとあると思っているし、実際にあることを知っている。
だから、家庭が誰にとっても安心できる居場所でさえあれば、時間はかかるかもしれないけれど対策はできると考えている。
だけど、家庭の崩壊は修復はかなり難しい。できないこともないかもしれないけれど、自分の人生、子どもの人生、パートナーの人生にあたえる影響はとても大きい。
無理に一緒にいることが正しいなんて全く思わない。(別れたほうが幸せなケースなんて山ほどある)だけど、不登校が原因で家族が息苦しくなるのは、不登校ということの本質から違った課題になってしまうことだと思う。
不登校に限ったことではないけれど。
家族の危機的状況に、家庭は案外脆かったりする。
だから。
教育についてでも、子育てについてでも、キャリアについてでも、様々な価値感についての対話をサボってはいけないのだ。
いざとなってから、価値感の違いに気が付いても、崖っぷちではゆっくり対話をしていられないかもしれない。
大切なんだ。夫婦の対話。
当たり前すぎるけど、本当に大切なんだ。
何かあってから、ヨチヨチ協力しあうんじゃなくて。何かあった時にはすでに、がっちりタッグを組んでいないと間に合わない。
夫婦で、家族で。
大切なことをちゃんと話しあおう。
では、また明日。
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