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「パパは仕事しなくてもいいと思うよ」

「パパは明日は仕事しなくていいと思うよ」
突然ベッドの中で娘がつぶやいた。
「なんで?」
「だって、お仕事行くと一緒に遊べないじゃん」

なるほど。週末出張でずっといなかったから、一緒に遊びたいんだな。

「でも、パパはお仕事しないとなぁ」
「なんで?」

今、3歳の娘は何かと言うと「なんで?」を繰り返す。彼女にとって世界は疑問と不思議で溢れているのだ。
わが家ではなるべくこの「なんで?」には正面から答えようと思っている。

「なんで寒くなると葉っぱは紅くなるの?」妻はそう聞かれて、すぐにググったらしい。「冬になったら栄養が少なくなっちゃうから、葉っぱに栄養がいかないようにして自分を守ろうとするんだよ。そうすると、栄養がなくなって葉っぱは黄色や赤色になるんだって」

「なんで雨が降るの?」「なんでお月さまは大きいの?」
子どもの本質的な疑問はすぐには答えられないことも多い。その度にグーグル先生にお世話になるわけだ。

「ご飯食べてる最中に遊んじゃダメだよ」
「なんで?」
「こぼしちゃうし、ご飯をちゃんと食べられないし、カッコ悪いからだよ」
「いえーーーーい!!!やおぉぉぉぉぅ!」
↑全然聞いていない、なんてこともしょっちゅうだ…。

「なんでパパのお腹はポンポコリンなの?」
「(ほっとけ!)最近ご飯食べ過ぎちゃったからかなぁ」
「へんなのー」
「(うるさい!)…。」

とにかく1日10回くらいは「なんで?」攻撃を受ける。

黙り込んだ僕に娘は再び訪ねた。
「なんで、仕事するの?」

僕はなんで仕事をしているのだろう?
NPOの代表をして、活動をしていればその事業や仕事への想いは強くある。これからは学校をつくるという新しいチャレンジもはじまる。

大人を相手に話すのなら、そうしたことをアレコレ話せばいいのかもしれない。
でも、3歳の娘に、もっとシンプルにわかりやすく、でも適当やごまかしじゃなく伝えるにはどう言ったらいいのだろう?

僕は「働く」こと自体、別に好きじゃない。本を読んだり、走ったりして遊んで過ごしている方が好きだ。ビジネス書も読むが小説を読んでいる時の方が楽しい。
だけど仕事には「たまらない瞬間」が確かにある。

それは「人に必要とされた瞬間」。

サービスを買ってもらった時、講演をした時の反応、依頼を受けた時。人に必要とされた瞬間はたまらない喜びを感じる。それが「僕だから」とお願いしてくれたことであればなおさらだ。

「仕事してるとね、いろんなことをお願いされるんだよ」
「ふーん」
「こっちゃんも、お友達に何かしてあげると嬉しいでしょ?」
「昨日ね、お友達のカバン取ってあげたんだよ!」
「そうそう、そんで、ありがとうって言われたら最高じゃん?」
「まあまあだね!」
「(まあまあなんかい^^;)だから、パパもママもお仕事をして、いろんな人のありがとうを集めてるんだよ」
「お金ももらえるの?」
「そうそう、ありがとうって気持ちをお金で払うんだよ」

もちろん、生活のために働いている側面もあるし、ありがとうどころかお互いに迷惑を掛け合いながら何とかプロジェクトを進行する時だってある。
仕事が全くありがとうに繋がらなくて、辛くて悩んだ時もあった。
それでも。
娘には仕事の内容や、自分たちの都合という視点だけで仕事を捉えて欲しくはなかった。
仕事とは、大きな視点で見ればきっと「誰かのありがとうを生み出すこと」ではないかと思う。サービス業に限らず、新しい知識を発見する研究職だって、誰かがやらねばならない事務仕事を淡々とこなす職種だってそうだ。
スポーツ選手だって、見ている人たちに感動を提供しているし、勇気を与えてくれる。そこには、本当に多くの人の「ありがとう」が溢れている。

勝負に勝つこと、売上を上げること、それはそれが目的なわけじゃなくて、その結果生み出される「ありがとう」にこそ価値があるはずなのだ。

仕事とは、ありがとうを集めること。

今は娘にはそれが伝わっていればいい。実際に働きだしたら、もっとたくさんのオプションが、働くことにはついてくるだろう。でも、見失っちゃいけないのは自分の仕事の先に誰かが「ありがとう」を言っているという事実だ。

考え込むようにしばらく黙った娘の顔を覗き込んだ。
娘は不思議そうに僕を見返しながら、何かに気がついたように目をいっぱいに見開いた。

「ねぇねぇ、そんなことより早く絵本読んでってば!!」

……話し、全然聞いてねぇじゃん。


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三木智有|家事シェア研究家
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