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ちょっとの油断から始まる、親の”オオカミ少年化”

4歳の娘に、怒られてしまった。
それはもう、腰に手を当ててぷりぷりと怒っていた。

「もう、そんなことしちゃあかんで!」

覚えたての関西弁で娘は僕に注意した。

***

僕は娘を車に乗せる時、チャイルドシートの上に落ちていたお菓子の欠片を無意識に外にポイッと捨ててしまった。

そのまま娘をシートに乗せようとする僕を不思議そうに眺めながら「いま、なんでゴミ捨てたん?」と娘は僕に問いただした。

「え。いや…」

思わず言葉に詰まる。

小さいお菓子の欠片だったから? 
少しだったから? 
自分の家の駐車場だったから? 

この時の答えはそのまま娘に対する「この程度のゴミだったら、そこらへんに捨てたって構わないんだよ」という価値観に繋がっていきそうな気がした。
「だって、パパだって捨ててたもん」と言うような。

なぜか娘はゴミに対して厳しい視点を持っている。道を歩いていても落ちているペットボトルなどを見つければ「これ落ちてたで」と拾ってゴミ箱まで持っていってしまう。
公園にゴミがたくさん落ちていたのを見つけた時に、わざわざ家まで戻ってゴミ袋を持って、ゴミ拾いをしたこともあった。


完全に、僕の油断だった。
無意識に、なんの意図もなく、つい捨ててしまったのだ。
強いて言えば、近くにゴミ袋がなかったからかもしれないが、そんなのは言い訳に過ぎない。

「やっちまった」と言う自責の念と、後悔、そして恥ずかしさを感じる。

***

「ごめんね。パパがいま、いけないことしたね」
何一つ言い訳を思いつかなかったし、言い訳するべきでもないと思い、素直に謝った。
「ゴミ捨てたら、あかんで!」
「うん、そうだね。パパが捨てちゃったのは良くなかったね。もうしないよ」
「もう、今回だけやで。次やったら許さへんで」

もはや、どっちが親なのかわからない。

***

ゴミに限らず、娘に注意していることを普段自分が無意識にやってしまっていることがある。
ご飯の時にスマホを見ない、とか。
右左をちゃんと確認しないで道を渡らないとか。
こういったところを子どもは本当によく見ている。そうして”親のオオカミ少年化”が進むのだろう。

自分がオオカミ少年化してしまっていると気がついたら。
僕は素直に謝り、次からは同じことをしないように気をつけるのが一番だと思っている。それは大人同士のコミュニケーションと同じである。

親だから、「子どもには教育として指導はするけど、自分の言動は色々理由があるんだから別の話」と言うのは、極端に言えば親という権力の乱用だろう。

親だろうと、子どもだろうと失敗する時はするし、ついつい間違ってしまうこともある。そして、それをできるだけ正そうとすることが大切なのも同じだ。

次からは、同じ間違いをしないように気をつけよう。
それが、娘にも伝わればいいなと思っている。

***

今日も、見に来てくれてありがとうございます。
その後、寝かしつけの最中にも突然思い出したのか改めて叱られました。
しつこいんだよな〜。
ぜひ、また見に来て下さい。

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三木智有|家事シェア研究家
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